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壱・定期便と…… 前



 栞菫(かすみ)暁城(あかつきのしろ)へ戻ってから一か月が過ぎようとしていた。

 城内では日々、栞菫が幼少期に受けていた教育が繰り返されている。


 時雨(しぐれ)による双月界(そうげつかい)の神話・成り立ちと歴史。

 (おぼろ)による双月界の種族や生物について。

 泡雲(あわくも)による珠織人(たまおりびと)の歴史と彩玻動(さいはどう)彩玻光(さいはこう)の扱い方。

 侍従長による礼儀作法。


 栞菫の記憶が戻る手助けになればとの配慮であった――のだが。


「頭使うのって、苦手なんだけどなぁ……」


 戸を開け放った窓辺に寄りかかり、はるかはつぶやいた。

 使いすぎで熱を持ったようにさえ感じる頭に、吹き抜ける風が心地よい。沙里の秋風よりもずいぶんと涼しい風が吹いている。

 暁城のほうがより北にあるからなのか、沙里が砂漠沿いにあるからか。


 そういえば、砂梨の収穫がもうはじまるころかな――


 昨年の光景にもかかわらず、今のはるかにはずいぶんと遠く感じられた。


「どうしてるかなぁ……秋良ちゃん」


 誰にも聞かれることのない言の葉を、一陣の風が色づき始めた枝の葉一枚とともにさらっていく。

 鮮やかな黄色に染まった葉は、ふわりと舞って城壁の下へ落ちた。

 しかし風はなお城下の空を北へ向かう。城門を抜け、城の脇を通る街道の上に沿って草原を抜ける。街道は森の中へと続いていく。


 立ち並ぶ常緑樹の枝を揺らして風が通り抜けたその下を、大きな荷馬車が南へと進んでいた。

 あふれんばかりに荷を積み上げた大きな二頭立ての馬車だ。荷の上から布をかぶせて、さらに縄で幾重にもくくっている。

 道の起伏に合わせて、荷車は木製の車輪から軋みを含んだ音を立てながら揺れ進む。


 荷車をひく馬たちの前で手綱を握っているのは四十代後半の恰幅のいい男だ。島北部の港街・(うしお)から来た彼は、砂漠の南北にある街に住むとある商人の親子とそっくりだった。

 髪は白髪混じりで癖があり眼鏡はかけていない。しかし顔の造作だけ切り取って並べたなら判別がつかないと言っても過言ではないくらいだ。


「あれが珠織人の住む暁城だ」


 がたつく車輪の音に負けないよう、男は荷車の後方にむけて声を張る。

 荷の紐が緩み崩れることのないよう見張りながら歩いていた少女は、遠くに見え始めた城壁を荷車ごしに望む。

 城の向こうにかすむ空は少しずつ茜色に染まりつつあった。


 森を抜け街道を進み、城門へと続く脇道へ入る。城壁が近づき、見上げる高さにまでなったところで男は馬を止めた。

 城門の前に現れた門番に止められたのだ。


「定期便ですね。ご苦労様です」


 先刻までは無人だったはずの門前に、二十代半ばの門番がふたり。背の低い方が気さくに声をかけてくる。

 暁城内で、珠織人は自給自足で生活している。どうしてもまかないきれないものを補っているのが、陽昇国(ひいづるくに)の最北端にある潮という港町からの定期便なのだ。

 もうひとりの門番は荷をざっと改めていたが、荷車の影に隠れるようにして立つ少女に眼を留めた。


 袖の長い生成りの上着に、腰から足元まで長さのある紅藤色の布をぐるりと巻いて脇で結んでいる。街でよく見られる装いだ。

 大きな布を三角形に折りたたんだもので頭を包み、布端はうなじで結ばれている。そこから黒褐色の髪が背中の中程まで流れ出し、そよぐ風に揺られていた。

 うつむき前髪にかくれた表情は判別できない。


「今日はひとりではないのか?」


 少女ではなく男のほうへ問う。


「え、ええ。最近体調がすぐれないもので……心配してですね、娘が。ついてきてしまったのですよ」


 門番たちは顔を見合わせ、小声で相談を始めた。

 間もなく門限だ。娘の入城についてうかがいを立てに行っていたのでは時刻に間に合わない。

 物資の鮮度を優先して荷車だけ中に入れたとして。この親子ふたりを朝まで野宿させることになってしまう。

 体調が思わしくないという男と娘をそうさせるのも忍びないが、勝手な判断で許可のない娘を城内へ入れて良いものか――。


 小声で相談を続ける門番たちを心配そうにうかがっていた商人が、今にも沈みそうな夕陽を横目にしてたまらず声をかけた。


「あの、娘は中に入れてもらえないのでしょうか? 最近は妖魔も多くなっていると聞いておりますし」


 太陽は山際に消え、最後の光を黄昏の空へ放っている。

 門番たちはうなずき合い、背の高い方がこう告げた。


「通行を許そう。ただし、うかがいを立てた結果によっては行動を制限させてもらうこともあるかもしれぬ。その時は従ってもらうぞ」

「はい、おおせのままに」


 男が頭を下げると、奥にいた少女も両手を前にそろえて楚々と礼をする。

 北門を通り抜けた直後、暁城の門は固く閉じられた。


「いやはや、通してもらえないかと思ったぞ。まったく運のいいことだ」


 額の冷や汗を手巾(しゅきん)でぬぐいながら商人は息をついた。

 彼は名を磯満(いそみち)という。暁城の専属商人のひとりとして二十年近く商品を卸している。その信頼があってこその通行許可であったのだろう。


 暗くなりゆく城下を城へ向かう道すがら、娘は磯満の横に並び小声で尋ねた。


「門を通るとき、門番が短刀を地面に刺していたのは?」

「あれか? なんでも外壁に沿って目に見えない壁を張り巡らせて、よそ者が入れないようにしているらしくてな。短刀で通り道を開けているらしいのだが、詳しいことは私にもわからん」

「ふぅん……」


 特別な術を使っているのか、おそらく門番が忽然(こつぜん)と現れたのもそれが関係しているのだろう。


 陽が落ちてしまったためか、門から誰ともすれ違うことなく林の近くを通り抜けようとしていた。林を抜ければ民家が立ち並ぶ区域に入ってしまう。

 娘は歩みを止めぬまま磯満に言った。


「それじゃあ、ここで」

「頼むから私の商売に障りないようにしてくれよ? 沙里のやつの頼みじゃなきゃ、こんな危険なこと――」


 磯満は思わず足を止め周囲を見回した。

 隣を歩いていたはずの娘の姿はどこにも見当たらなくなっていた。






 林を少し奥に入った茂みに潜んで、娘は頭にかぶった布を取り去る。

 風に流れる黒褐色の髪。長めの前髪の隙間からのぞく鋭い光を宿した鳶色(とびいろ)の瞳が、林間に垣間見える暁城を見据えた。


「まったく、なんだって俺がこんな山ひとつ越えたところまで来なきゃいけないんだよ」


 小声でぼやきながら背中まである黒髪を後ろでひとつにまとめる。

 重ねて着ていた上着と、腰から下を覆う布を脱ぎ捨てたその姿は、沙流砂漠を渡る運び屋のそれであった。


「それにしても情報屋親子とあの親父、どんだけ似てるんだよ」


 磯満は荷車と共に道を進んでいく。彼と秋良は今日顔を合わせたばかりだが、磯満の髪をそり落として眼鏡をかければ完全に見知った顔になる。


 その当人である沙里の情報屋・吉満の元を、秋良は暁城の情報を得るために訪れた。そこでより詳しい人物として吉満の従兄弟である磯満を紹介されたのだ。

 吉満を介して連絡を取り、定期便を輸送中の磯満と落ち合うなり暁城内へ忍び込む算段を打ち明けたのだった。協力に対する大金の報酬はまとめて吉満へ渡してある。

 当初はそのまま城内まで入り込む予定だったが、拘束されてしまっては元も子もない。


 脱ぎ捨てた衣服を茂みに隠すと、素早く移動を開始する。


 どう考えても、こんなのは自分らしくない。

 はるばる沙里の町から砂漠を越えて、島を南北に分断する山脈を越えて、商人の娘のふりまでして――。


「くっそ、はるかの奴っ!」


 考えれば考えるほど腹が立ってくる。

 数発殴ってやれば少しは怒りもおさまるだろうか。


 秋良は夕闇に紛れ、人目を警戒しつつ暁城をめざし速度を上げた。




手巾しゅきん】手拭きやハンカチのこと。綿で作られているものが多く普及している。


【陽昇国の商人たち】大陸と同じく陽昇国でも商人組合があり、国内の多くの商人が所属している。売り上げの一部を収める代わりに、組合からは各地を巡る配送便の利用や様々な情報や補助を受けることができる。


吉満よしみち広満ひろみち磯満いそみち】陽昇国で商いをしている外見的な遺伝子が強い親族の一部。

 吉満は沙里の町で酒屋と情報屋をしており秋良を気に入っている。息子の広満は琥珀の街で宿を経営しており秋良が苦手。磯満は港町・潮で商人組合の役員を兼任する商人で秋良に巻き込まれた。


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