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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
壱・はるかと秋良
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壱・砂漠を渡る者 後



 岩場までの距離は半分にまで迫っていた。はるかの心の準備を確認し、ぴたりと足を止める。


「おい、隠れてないでとっとと出てきな!」


 威勢よく言い放ってから一呼吸、岩陰から男が三人姿を見せた。


 一人は痩せた小男、もう一人は中肉中背、最後の一人は太った大男だ。

 汚い身なりに無精髭。品性の無さがにじみ出た顔。一瞥して盗賊とわかる。武具はそれなりのものを身に着けているが盗品だろう。


「へへ、ずいぶん勇ましいねぇ」


 小男の声を合図に、男たちは下品な笑いを浮かべながらじりじりと距離を詰めてくる。


「女連れでこんなところ歩いてちゃあ、盗賊に襲われちゃうかもなぁ?」

「彼女にいいところ見せようってか? 命は大事にした方がいいぜ」

「死にたくなかったら金目のもん置いてとっとと失せな」


 盗賊たちは思わず顔を見合わせた。お決まりの台詞を言ったのは自分たちの誰でもなく、今日の獲物の方だったのだ。


「おいおい、早く言わねぇから先を越されちまったじゃあねぇか」

「今日は誰がそれ言うんだっけか?」

「大兄がふぁひ――」


 嘲笑いあう三兄弟の、一人の嗤い混じりの声が空気の抜けるような細い音に変わった。

 それは大男の喉から血飛沫と共に発せられていた。


 他の二人の笑いが強張る。

 何が起こったのか、理解が及ぶまでの間の時間を掛けて、大男は喉を掻く仕草のまま前のめりに砂上に倒れた。


 左前方、一番近い位置に居たのが紅蠍末弟の不幸だった。

 狙いをつけて懐に跳び込む。同時に、両腰に提げた一対の小曲刀のうち一方を右手で逆手に抜き喉を一閃。返り血を浴びぬよう即座に後方に跳び退る。

 その一連の動作は一瞬で、はるかには止めることもできなかった。


 残された二人の紅蠍の驚愕の眼差しが、頭巾が外れてあらわになったその姿をとらえる。

 後ろで無造作にまとめた髪が風に舞う。長めの前髪の間からのぞく鳶色の瞳には野生の獣を思わせる鋭い輝きが宿っていた。


 不敵な笑みを浮かべ獣のごとく身を沈め、刃渡り一尺程の片刃の小曲刀を胸前にかざすように構えた。


「だから言ったろう? こうなりたくなかったら有り金置いて失せな」


 言いつつ、地面に転がる男の右上腕に眼を止めた。

 赤い蠍の刺青を認めたのは一瞬。狙い定めるように細められた双眸が残る二人を捉える。


「いや、やっぱりここに命も置いてってもらおうか」

「待って、秋良ちゃん!」


 制するはるかの声に次男の顔色が変わる。


「あきら!? まさかお前っ、運び屋の……」

「運び屋ぁ?」

「ほら兄貴、酒場の奴らが言ってた――」

「びびってんじゃあねぇ! 弟の敵だ、殺せ! お前は女だ」


 盗賊二人の怒りと憎しみの視線が自分をもとらえているのを見て、はるかも急いで刀を抜く。

 頭上にまで迫っていた次男の白刃を抜きざまに鎬で受け止め、滑らせるように横に流した。


 正面から受け止めず力を流す判断も、次々繰り出される斬撃をかわす身のこなしも、どこで身につけたものなのか。はるか自身知らぬままに相手をいなす。


「くそっ」


 思いもよらぬ苦戦に男は苛立っている。

 その様子も、はるかにはどこか遠く感じていた。恐怖と緊張の中、ただ早鐘のようになり続ける鼓動の音だけがやけにはっきりと。剣戟の音はどこか遠くから壁を隔てて聞こえるような。

 刀を振るうときはいつも。まるで別の自分が身体を動かしているような感覚に囚われる。


 だけど、違う。

 今、この手の刃が向けられているのは妖魔ではない。


 怖い――。


 殺そうと、している。


 その刃が、刀を持った腕が、腕を動かす衝動が、存在を形作るすべてが――。

目の前にいる『人』を


 殺……してはだめ!

 

「ぐっ」


 うめき声と共に男から鮮血が散る。


「あ……」


 止められた。袈裟懸けに胴を裂くはずだった刃は男の左腕を掠めるに終わった。


「くらえぇっ!」


 動きの止まったはるかの隙に、次男の渾身の力を込めた上段からの一撃が襲う。

 白い砂の上に、大量の血が零れ落ちた。


 直後、血だまりの上に転がる。刀を握ったままの、赤い蠍が刻まれた右腕。


「ぐぁああ!」


 右肩を押さえて、膝から崩れ落ちた男の背後。秋良が振りかざした小曲刀の切っ先は正確に男の首筋を狙って――。


「秋良ちゃん、だめぇ!」


 振り下ろされた小曲刀は空を切った。紙一重のところで転がり秋良のとどめを逃れた男は、そのままよろけながら走り去っていく。


「逃がすかよ」


 秋良は舌打ちし男を追って駆け出した……はずだった。


「やめて秋良ちゃん、もうやめてぇ!」

「なっ! 離せこのっ」


 全体重をかけて腕にしがみつくはるかが、秋良の足を留めていた。振りほどこうと試みていた秋良も、やがてその力を抜いた。


「放せよ。もう行っちまった」


 気の抜けた秋良の声に、はるかはようやく絡めていた腕を放した。砂に座り込んだままあたりを見回す。

周囲には自分たち以外に生きている者の気配はなかった。

 ただ、砂の上にかつて生きていた者の亡骸がふたつ――。


 秋良は取逃した男が去った方をもう一度だけ見やった。砂の上に残されたのは点々と続く赤い染みのみ。

 たとえ逃げたところであの傷だ。血のにおいを嗅ぎつけて妖魔も寄ってくる。

 利き腕を失い、深手を負ったあの男が到底生き延びるはずはないだろう。


 視線を転じ、男が残していった腕を秋良は足先で転がす。

上腕部に彫られた、赤い蠍の刺青――。

 これさえあれば問題ない。


 秋良は麻袋を出すと、中に入れてあった布でその腕を包んで袋に入れた。二つの死体からも、刺青の腕を手際よく切り落とし同様に袋に収める。


 その様子を、はるかは呆然と見つめていた。

 砂漠を荒らしている三人組の盗賊がいる、と。近頃街で噂になっていた。

 裏通りの酒場で賞金首として挙げられてるとも、秋良から聞いていた。確か、刺青のある利腕が賞金と引き換えになっている、と。

 砂漠の用心棒や荷物の運搬をしてはいるが、生活費のほとんどは秋良が賞金首を挙げて稼いだ金で賄われていることも、わかっている。


 だけど――。


 いつしかうつむいていたはるかの視界に秋良の革草履のつま先が現れ、足を止めた。


「おい」


 頭上から聞こえた秋良の声に、はるかはわずかに身を震わせる。

 怒られる、そう思った。


「前にも言ってたな。『どんな人間でも命は命だ』って」


 予想に反し秋良の声は淡々と、その抑えた表情からも感情は読み取れなかった。


「だけどな、助けてやったところでこいつらが改心すると思うか? 違うところで、こいつらは私欲のために別の命を奪う。どこでいつ奪われるかわからない誰かの命を、お前はどこまでも行って守るってのか?」

「……」

「賞金首になるってのはそういう奴らだ。殺そうが奪おうが誰も文句言いやしない。殺らなきゃこっちが殺られるんだ。さっきのお前みたいにな」


 はるかは何も言い返せなかった。

 秋良の言うことは正しい。正しいのだろう。

 でも、それでも――。


 視界がぼやけはじめ、はるかは慌ててうつむいた。勢いで眼から落ちた滴が数滴砂を濡らす。

 心が悲しい気持ちで満ちている。

 目の前で起きた死が悲しいのか、それを止められなかったためなのか。


 けれど、きっと一番の理由は――。


 秋良は溜息をひとつ吐くと、はるかの頭巾を持ち上げ勢いよくはるかの頭に被せた。


「ほら立て。凍える前に街に着かねぇと」


 その声は、普段よりもほんの少しだけ柔らかく感じるように思えた。


 はるかは砂をほろった手で涙をぬぐって立ち上がる。見ると、頭巾を被った秋良がはるかの細身刀を拾い上げているところだった。

 歩きながら刀を一振りして砂を払い落とす。はるかの横を通り過ぎざま、刀を逆手に持ちかえて彼女に押し渡した。


 受け取ったそれを鞘に納めると、街を目指す秋良の背中を追いかけた。

 その背中に、胸を締め付けられるような感覚を覚える。


――誰かを殺めた時の背中はいつも泣いているみたいだから


 出逢ったばかりの頃はわからなかったそれが、今では痛いほど伝わってくる。

 だから、秋良を止めずにはいられなかった。


 風がより強さを増し、砂を巻き上げていく。砂塵はやがて二人の影と、夜空に浮かぶ白月をも覆い隠していった。


紅蠍三兄弟べにさそりさんきょうだい】世紀末の荒くれ者感あふれる盗賊たち。一般人からすると抵抗はできないくらいには強いが、雑魚もケン○ロウにかかると即死するのと同じ。


小曲刀しょうきょくとう】刀身が短めで湾曲した刀。秋良は一対装備。某F×2の双剣「さすけのかたな」みたいな感じ。刃のついた部分の長さが30cmほど。


革草履かわぞうり】革製のサンダル。砂漠を渡るのに適している。真昼に砂が過熱されているときはおすすめできない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 妖魔を相手にするのと人と戦うのでは、やっぱり違いますよね……紅蠍兄弟の自業自得とはいえ複雑な気持ち、ちょっと分かるような気がします。
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