碌・はるかの作戦 後
青々とした下草が衝撃を和らげてくれるとはいえ、ほとんど音もたてずに着地する。
開け放たれたままの窓辺を見上げる紫水晶の瞳がまぶしさに細められた。
抜けるような秋空。中空にたたずむ太陽と、それに寄り添う白月。秋にしては陽射しが強いと感じたのは、白月の反射光のせいだったのだ。
はるかは壁伝いに歩き出しながら懐から取り出した布を頭に被せる。金茶の髪や瞳を隠してしまえば、一目には栞菫と気づかれないはず。
真実を知るには行動すること。
直接秋良に会って、自分の眼で、耳で、確かめればいい。
そう思って抜け出したものの、ここに来てから一度も城の外へ出たことがない。
沙里まではどのように行けば……それよりもまずは高い城壁に囲まれたこの敷地から出なくてはならないのだ。
木がまばらに生える草地を壁伝いに歩き二度角を曲がると景色が変わった。
伝い歩いて来た壁の先には立派な石段と大きな扉。おそらく正面入口なのだろう。
城の前には広場があり、石段から伸びる道は四角く切り出された石が整然と敷き詰められた石畳が続いていた。
石畳の終点には朱塗りの大きな門柱が一対立てられており、門柱と扉の間を従者と思しき男が数人往来している。
はるかは頭の布を深く被ると、うつむき加減のまま門柱めがけて歩き出す。
途中すれ違った者に見とがめられることはなく、自信を持ったはるかはそのまま朱塗りの門柱を抜けた。
門の先へも白い石畳は続いていた。緩やかに下っていく坂道の両脇に家が並ぶ。どの家も白い土壁と赤い瓦ぶきの屋根という似た造りをしているようだ。
道の右手は畑が多く、左手は木々や民家が多いようだ。
どちらの方角にも共通して奥に見えているのが、高く長くそびえる壁である。城と同じ白く艶やかな石で作られた城壁だった。
その光景の中、はるかは石畳を行く。
家々の合間に見える草花や木。その奥に見える耕された土と栽培されている作物。
砂漠の縁にある沙里や琥珀とは全く異なる様子に眼を奪われる。
畑には女たちが作物の手入れをし、道には収穫物を入れた大きな籠を男たちが運んでいる。
彼らを見て、以前李に聞いた言葉を思い出す。
珠織人は彩玻動の結晶から生まれ、瞳や髪の色は元となった結晶の色が反映されると言っていた。
砂漠に暮らしていた人々は皆、茶か黒の髪をしていたが、ここの民は違った。
赤や緑、黒いように見えて陽の光に青味を帯びて見える者もいた。瞳も各々が髪の色に近い色をしているのだ。
生き生きと楽しげに会話を弾ませている彼らの話題は、栞菫のことだった。
明日姿を見せることを三長老が知らしめたようである。
聞こえて来るのは期待と、栞菫が無事であったことへの安堵の声ばかり。
いたたまれなくなり、被った白布の端を両手でつかむ。歩調を速めて畑の脇を通り過ぎた。
暁城からまっすぐ伸びている道の先は、外門のひとつに通じている。
四方を囲う外壁に門はふたつ。南門を見張る門番ふたりは、外から近づいててくる長身の影を見、手にした長槍を立てて直立不動の姿勢をとった。
「お帰りなさいませ」
年長の門番の言葉に、翠はうなずきを返す。
周辺調査が目的である今日は儀服ではない。同じく白を基調としてはいるが、動きやすさを重視した衣服に身を包んでいる。
彼の後方には萌葱と浅葱が付き従っていた。
必要な手順を踏んで城門をくぐった翠は、左手に見えた姿に足を止めた。こちらに向かってかるく片手を上げて歩み寄ってくるのは白銀だ。
「よう。帰ってくるころだと思ってな」
「白銀様」
萌葱と浅葱がそろって近衛隊長に敬礼する。
翠が目配せをすると、ふたりはその場を離れた。
城へ向かう道を歩き出す白銀に翠も続く。並ぶと白銀の方が少し背が高い。
「外の様子はどうだった?」
「相変わらずだ。未だに瘴気が増え続けている。妖魔の数も然り」
合わせて、例の老人の調査も続けているが足取りはつかめていなかった。
「だが白銀」
隣を歩く白銀の横顔を、夜灯りに見る緑玉のごとき深い色の瞳が捉えた。
「そんなことを訊くために俺を待っていたのではないのだろう?」
「まあな」
白銀は口端を上げて答えた。
察していたからこそ、翠は部下を下がらせたのだ。
「昨晩、栞菫に会ったよ。あいつ夜中に部屋を抜け出して、月影の間で呉羽様の肖像を見ていた」
翠は足を止めた。数歩遅れて立ち止った白銀は翠を振り返る。
静かな表情の下にわずかな驚きとほんのかすかな期待を感じ、白銀は小さく微笑んで首を横に振った。
「俺も記憶が少しでも戻ればと思ったが……」
「そうか」
答えた翠の声にはさほど落胆の色はない。それは白銀も同じだった。栞菫の記憶に関して結果を急くことはすまいと話していたからだ。
「それと、お前が以前言っていた違和感のことだが……確かに栞菫にしては彩玻動はずいぶんと弱い。波長は栞菫のものに間違いないとは思うが」
そこまで言って、白銀は肩を揺らしつつ抑えきれない笑い声を漏らす。
「言動もまるで子供みたいだしなぁ」
翠はそんな白銀に物言いたげな視線を送る。対する白銀はまったく悪びれる様子はない。
「そう怒るなって。普通じゃあなかなか見られないぜ」
「……確かに。草むらをほふく前進している栞菫は見たことがない」
淡々とした翠の声に、数間離れた草むらの揺れがぴたりと止まった。
「ほら栞菫、早く出てこいよ」
「むぅ~なんでわかったの?」
白銀に促され観念したはるかは身を起こした。
三人の間に流れた一瞬の沈黙。
それを破った翠のため息は、途中から白銀の大爆笑にかき消された。
太陽と白月の光に金色に透けている髪は、ほとんどが白い布に隠されている。その布の端が、あろうことかあごの下で結ばれていた。
侍女服のいたるところに草や小枝をひっかけ、ほっかむりをしたその姿。まるで農作業をしている最中に猪に追いかけられ林を転げまわった娘のようだった。
「栞菫様、そのようなお姿でどちらへ?」
翠が、白銀の笑い声に消えないよう大きめの声で問いかけた。
「えっと、そのぅ……」
「まさか、おひとりで沙里まで?」
その声に怒りは含まれておらず、さりとて他のどの思いも感じさせない。
顔を上げたはるかの視線が翠のそれとぶつかる。
勝手なことをした罪悪感に視線を合わせていられず、はるかはうつむくようにうなずいた。
ようやく笑いを収めた白銀がはるかに歩み寄り、頭の布を外して立ち上がらせる。
「一人で抜け出して、どうする気だったんだ? 栞菫を金と交換するような奴など放っておけ」
「白銀――!」
「秋良ちゃんは、そんな人じゃないよっ!」
翠の制止の声を掻き消すほどの大きな声。
はるかは、強い意志を秘めた瞳で白銀と翠を交互に見た。
「きっと何か、理由があってそんなこと。だから、それを確かめに行こうと思って私……」
最初の勢いは次第に失われ、最後の方はほとんど聞き取れない。
「そうか……悪い」
白銀は決まり悪そうに言った。はるかは黙って首を振る。
「おお、ここにおられましたか」
不意に聞こえたおぼえのある声。
振り向くと、城の方から歩み寄る泡雲の姿があった。
翠と白銀が礼をすべく身をかがめるのを、彼は片手で押しとどめる。ゆっくりと、しかし盲目とは思えないしっかりとした足取りではるかの前まで来て、足を止めた。
「栞菫様。少しの間、この年寄りにお付き合いくださらんか」
泡雲の言葉に、はるかはうなずいた。
見つかってしまった以上、城の外に行くのは無理だ。泡雲の後に続いて城へと歩き出した。
ふたりの後姿が遠ざかっていくのを見送りながら、白銀は言う。
「栞菫は信じたくないようだが、その秋良という者は金と貴石で栞菫を引き渡したんだろう?」
秋良と直接やり取りをした翠からは沈黙しか返ってこない。
訝しんだ白銀が振り向く。そこには何かに耐えるようにうつむき思いつめた様子の翠の姿があった。
白銀は身体ごと向き直り真摯に問う。
「違うのか?」
「……嘘はついていない」
翠は顔を上げて白銀の視線を受け止めた。
その深い緑玉の奥に潜む確固たる信念を見、白銀は気になる言い回しについては追及を止めた。
「ま、いいさ。お前がそう言うのなら、そうなんだろ」
軽く言い置いて、白銀も城へ続く道を歩き始めた。
翠は立ち止まったまま、視線を白銀の背よりも先へ送る。
小さくなってゆく栞菫と泡雲の姿は緩やかな坂を昇り、朱塗りの門柱を抜けたところで見えなくなった。
【珠織人の衣服】城内での任務や公的な場では必ず陽昇国・暁城の紋章を身に着ける。紋章の赤色が映える白が地色とさだめられており、装いも白が基本色である。
【萌葱と浅葱】髪・目の色以外とてもよく似ているふたりだが、双子ではなく年子の兄弟。あわてんぼうだけどやるときはやるお兄ちゃんと、クールでいつもお兄ちゃんが心配な弟。ふたりとも直属の上司である翠を尊敬している。




