伍・魔竜の乱 後
呉羽は自らの持つ聖の力を栞菫に継承し、戦乱の中で生涯を閉じた。
「栞菫が施した強力な術に守られた守護石を諦め、魔竜士団は緑繁国から撤退した。それを追った我々は水流国で連合軍と落ち合った」
「そのとき、私は?」
「栞菫は、近衛隊と一度城へ戻ったよ。呉羽様を帰すためだ。その後に水流国へ合流した。翠を連れてな」
水流国での戦況は思わしくなかった。
竜人族の中でも強力な力を持つ戦士たちが率いる魔竜士団は、連合軍の戦力を確実に削っていった。戦死者・負傷者が増える中、士気も目に見えて落ちていた。
しかし稀石姫の増援に、兵たちは戦う気力を取り戻していったのだ。
「その後、連合軍は魔竜士団の士団長を討ち取った。魔竜士団は撤退、連合軍も各々の国へ戻り事実上の休戦だ。その間、栞菫は休むことなく聖として動いていたよ。各国と連携しつつ残った守護石の警護を強め、同時に魔竜士団の動向を探る必要もあったしな」
戦で父親を失ってなお、珠織人を導く長として、稀石姫としてあり続けた。民にとってはどれだけ心強かっただろう。
しかし栞菫は誰にも頼ることはなかった。どれだけ白銀が言葉をかけようとも。栞菫は悲しみや弱さを見せることはなかったのだ。
「魔竜士団の新たな士団長から決戦の申し入れがあったのは三年後だった。栞菫は戦を避けたがっていた」
「犠牲者をそれ以上だしたくなかった、から?」
「そうだ。休戦中に戦地となった国を回ったが、土地は荒れ、民は傷ついていた。栞菫が出来得る限り彩玻光で治療を施していたが、それにも限界はあるからな」
栞菫の彩玻光が誰より強くとも、その力は万能ではない。
癒しきれぬ傷は後遺症が残る。なにより心に負った傷を癒すことはできない。
「戦を続けるべきか、他の道を模索するか。諸国の王たちの意見は割れていた。それに対する栞菫の提案には、皆驚いていたよ。自らが魔竜士団長と戦い、戦の勝敗を決する。いわゆる一騎討ちというやつだな」
「いっきうち」
「士団長と栞菫だけで戦い、どちらが勝っても戦は終結。負けた側は勝った側に従うという条件だった」
それに対し諸国の反対は多かった。栞菫ひとりの敗北が双月界の消滅を意味する。双月界の命運をひとりに預けてよいものか、と。
しかしそれ以上戦を続けるには兵力・国力共に厳しい現状もあり、各国とも栞菫の提案を飲まざるを得なかった。
「こちらの提案は魔竜士団へ届けられ、先方もその条件に応じた。決戦の地として選ばれた陽沈島に両軍が対峙した。魔竜士団の士団長は、栞菫と同じ年頃に見える若者だった」
そこまで言って、白銀は口をつぐんだ。ややして、はるかがじっと続きを待っていることに気がつき小さく笑う。
「すまない。俺は詩人ではないから、あの戦いをどう話したものかと思ってな。とにかく、すごかったよ」
「そんなに?」
「ああ。神同士の戦いを再現したならば、あのような壮絶な戦いになるんだろう。そう思ったよ」
栞菫も魔竜士団長も手にするのは刀一振。
眼で追うのがやっとの速度で縦横無尽に駆ける。双方の刃がぶつかるたび、刀に乗せられた力の余波が大気を震わせた。放たれた術はかわし、あるいは受け流す。それが向かう先の大地は裂け雲は散る。
自軍の命運を背負って戦う彼らの戦いを、両軍とも固唾を飲んで見守っていた。いや、見守ることしかできなかったのだ。
踏み入ることも声を上げることすらかなわず。
誰もが神聖な儀式を見つめる眼差しを向けていた。
「ふたりの戦いはずいぶん続いた。いや、実際はそれほどでもなかったのかもしれないが、俺にはとても長く感じられた」
直撃は避けているものの、どちらも打ち合うたびに傷は増えていく。全身を染める血は自らのものか相手のものか。
戦いの終わりは近い。
ふたりは距離をとり、構えた刀の向こうに相手の姿を捉え。地を蹴った。
「最後の力を乗せたふたりの刃がぶつかる瞬間だった。どこからか飛んできた白い光の矢が、ふたりにぶつかった。あたり一面が炸裂した白い光に包まれ、光が消えた時にはふたりも姿を消していたんだ」
「しろいひかり?」
「あの光については、なにもわかっていない。ふたりが消えたことで戦は一応の終結を迎えた。戦いの前に『相打ちとなった場合は戦の終結を』と告げられていたからな」
魔竜士団は撤退し、その後は目立った動きもない。おそらくは消えた士団長の行方を追っているのだろう。
それは暁城も同じだった。
「そのあとは大変だったんだぞ? 長老たちが『かすかではあるが栞菫様の玻動が感じられる』とはいうものの場所もわからず、ずっと探し回ってたんだからな」
冗談めかして言う白銀だったが、言葉に隠された重みをはるかは感じていた。
戦のあと、百年近くもの間。珠織人たちはずっと栞菫の行方を捜していたのだ。『栞菫が生きている』というかすかな希望を頼りに。
「どうして……」
はるかが小さくつぶやいた。
「どうして、そうまでしてひとりで戦ったんだろう」
かつての記憶がないためわからない。その時、栞菫がなにを思っていたのか。
戦のことは知識もなく、確かなことは言えない。
「もっと別な方法はなかったのかな?」
うつむくはるかに、白銀は沈黙しか返せなかった。
しかし白銀も、そのことには違和感を感じていた。最初に魔竜士団との戦に同行すると言った時から。
彼女を知る者は皆、栞菫であればそのように考え、行動するであろうと想像するに違いない。幼い頃から栞菫が抱いている稀石姫としての使命感を身近に感じているからだ。
だが白銀は今でも思っている。それだけではない別の理由があったのではないかと。
栞菫はひとり、なにかに駆り立てられるように奔走していたように思えてならない。
当時その理由を栞菫に聞くことはできず。今となっては彼女が記憶を取り戻さない限り知る術はなかった。
白銀は心のもやを振り払うように、愛刀を手に立ち上がる。
「もう休んだ方がいい。さあ」
はるかも玉座から立ち上がる。元通り刀を腰に提げた白銀は、こちらへ手を差し伸べている。段を降りながら、ためらいつつもその手に自らの手を乗せた。
「手が冷たくなってるじゃあないか」
扉の方へ促す白銀の手からぬくもりが伝わってくる。彼の気遣いに、胸が痛くなる。
たまらず、はるかは胸のうちにわだかまる不安をこぼした。
「私、ほんとうに『栞菫』なのかな?」
白銀は急に立ち止まり、素早くはるかを振り返った。はるかも長身の白銀を振り仰ぎ、ふたりの視線が交錯する。
ややして、白銀がはるかの頭を押し下げるようになでた。
「いらん心配するな、栞菫は栞菫だよ」
白銀のその言葉は、自らに向けても紡がれたものだった。
以前、翠に告げられたものと同じ言葉を本人から聞かされ、少なからず動揺した。しかし珠織人として感じる彩玻動は、弱くはあるものの紛れもなく栞菫のものに間違いない。
「それより、俺が夜警をさぼってここにいたことは内緒だからな」
白銀に笑いかけられ、はるかの口元にも自然と笑みが浮かぶ。
広間を出ると、巨大な扉はゆっくりと閉じていく。はるかはもう一度振り返った。
珠織人を束ねる長であり栞菫の父であった呉羽の肖像は、蒼月に照らされて静かにたたずんでいた。
【緑繁国】陽昇国の北、大陸の最南東にあり広大な森に住む草人が治めている。
【水流国】大陸の北にある大きな湾を中心とした、渦氷民が治める国。
【彩玻光での治療】彩波動は双月界すべての生物の生命力の源。彩玻光でそれを高めることにより傷を塞ぐ。創傷後時間が経過した傷ほど完治させるのは難しい。
【改稿した『序』】実は2022/03/17に改稿された『序』に白銀が語った戦いの一部を綴りました。後にも関わってくる大切なシーンです。




