伍・魔竜の乱 前
「あの戦は、竜人族の若者を中心に構成された『魔竜士団』によって起こされた戦乱だから、今では『魔竜の乱』と呼ばれている。魔界解放を謳い双月界各地に配された守護石破壊を目的としていた」
「しゅご、せき?」
彼女が首をかしげると、幼少期の栞菫よりも幼いそのしぐさに白銀は思わず眉尻を下げた。
「双月界が造られた頃、環姫が強力な妖魔を封じたとされる石だよ。命あるものはすべて、彩玻動の恩恵を受けている。彩玻動が正しくめぐるため道標の役割を果たしているのが守護石だ」
「竜人族、っていうのは?」
「言い伝えでは『天から竜の力を授かった種族』と言われている。実際、戦では竜の姿に変わった者もいた」
竜、といっても今の栞菫には想像しがたいものかもしれない。
なるべくかいつまんで話すことを白銀は意識する。
「竜人族は地響国を治めていたが、まずそこの守護石が破壊された。彩波動流の乱れを察知した我々が動くとすぐに、風翔国から救援を求める報せが入った」
魔竜士団が次に狙ったのは隣国である風翔国の守護石だった。
竜人族とて全ての者が強大な力を持つわけではない。風翔国を守護する斎一民は、数なら勝ると勇敢に戦った。
しかし火燃国からいち早く救援に駆けつけた天翼族は、風翔国で戦に荒れた大地と破壊された守護石を目の当たりにしたという。
「風翔国の守護石を破壊した後、魔竜士団は戦力を分けて水流国と緑繁国を同時に襲っていた。火燃国の天翼族は水流国へ。我々は緑繁国へと向かった。その時には栞菫、お前も同行していたんだ」
「私も、戦いに?」
「皆に反対されてたが、呉羽様はやむを得ず承諾なさっていたよ。連れて行かなかったら、ひとりでも城を抜け出して行きかねない様子だったからな」
白銀は当時のことを今でも鮮明に覚えている。
戦では当然傷付く者や命を落とす者も多い。それを少しでも防ぎたいと栞菫は思っていたのだろう。
「守護石にはもともと結界が貼られているが、栞菫がそれを強めて破壊を防ぐ。我々は緑繁国の草人と共闘して魔竜士団を食い止める。そういう作戦だった。
緑繁国への進軍を指揮していた魔竜士団の将は、氷の剣気を操る長刀使いだった。魔竜士団の副官であるその男に我々は兵力を分断された。すぐに呉羽様の元へ参じたかったが、それができるほど容易い相手ではなかったんだ」
そう語る白銀の表情に悔しさが滲む。このとき呉羽を護りきれてさえいれば。そう思わずにはいられないのだ。
「なんとか振り切って呉羽様を探した。呉羽様は、もうひとりの敵将と戦っておられた。稲妻を宿した槍を自在に操り、魔竜士団で『雷神』と呼ばれていた男だ」
「雷神?」
「ああ。その名もうなずけるほど、すさまじい戦いぶりを見せていた。俺は道を塞ぐ竜人族を払いながら呉羽様の元へ向かった」
白銀はいったん言葉を切り、ゆっくりと深く息を吐く。
近衛隊長に任ぜられながら主を護ることができなかった。その悔やみきれない思いが、心に癒え切らぬ傷として残っているのだ。
はるかは気づいていた。
白銀は表情こそ穏やかではあるが、抱えた苦しみを押し隠していることに。
気づく、というのとも違う。秋良の時にも感じたことがあるが今はより鮮明に。自責の念にかられる彼の心情が、直接心に響くのだ。
それ以上白銀に呉羽の最後を語らせられず、思い切って口を開く。
「私、その時のこと、前に見た」
「見た?」
「うん、その。思い出すって、いうのとは違って……ときどき目の前が真っ白になって、見えるの」
はるかは琥珀で見た光景を鮮明に思い出そうと瞼を閉じる。
「白い甲冑の胸に槍が刺さって、倒れるところを受け止めた」
胸に刺さる槍は雷渦の余韻をくすぶらせていた。
父の身体と、命が消えゆこうとしているという事実を受け止めきれず、栞菫の身体は呉羽を抱えたまま地面へ座り込む。
白銀が声をあげ、暁城兵と草人の戦士が栞菫たち親子を護るように展開する。
持ち主である『雷神』が放つ咆哮に呼応した槍が震動する。意志を持っているかのように呉羽の身体から抜け、主の手元へと飛翔した。
「白銀が『雷神』と戦ってくれている間、栞菫は何度も呼びかけてた。槍が抜けて、血が止まらないの」
両腕から下を呉羽の血に染めた栞菫が懸命に呼びかける。それが届いたのか、彼の瑠璃色の瞳がわずかに開く。瞳に宿されていたはずの星空の輝きは、もはや失われていた。
「最後に、聞こえなかったけど、呼んでた。栞菫って」
栞菫の中で悲しみの感情が膨れ上がる。それは涙という形で外へ押し出された。
ちがう。
それだけではない。
もうひとつ、奥から悲しみを押し上げて湧き上がってくる、これは――。
――ごめんなさい、お父様。すべては私の過ちのせいなのです。
「……菫、栞菫!」
両腕を掴まれた感触に、はるかは身を震わせた。
眼の前にあるのは呉羽の姿ではなく、真剣な面差しでこちらを見つめる青銀の瞳だった。
「しろがね?」
はるかの紫水晶の瞳に光が戻ったのを見て、白銀は腕を掴む力を緩める。
「驚かせるなよ。呼びかけても返事はないし……やはり部屋に」
「待って!」
立ち上がらせようとする白銀の腕を掴み返し、はるかが言う。
「私は大丈夫だから、続きを聞かせて?」
その様子に、白銀は息を呑んだ。
話し始める前の不安に駆られる彼女ではなくなっていたからだ。菫色の瞳に宿る意志の輝きは、白銀の中にも期待という名の光を宿す。
万全とはいえない栞菫の身を案ずる想いとの間で葛藤しつつ、白銀は彼女の腕から手を放した。
「わかった。ただし! 無理はしないこと。いいな?」
白銀に念を押され、はるかは大きくうなずいた。
それを確認し、白銀はとっさに登ってしまっていた壇上から降りる。床に置かれた愛刀の横に再び座ると、白銀の視線は玉座の後方、呉羽の肖像へ向けられた。
「呉羽様のお命を奪った『雷神』は、俺が捕らえた。呉羽様が深手を負わせていたからな。万全な状態で戦っていたら勝てていたかどうか」
後にも先にも、白銀はその時以上に死を身近に感じたことはなかった。
まさに雷の力を宿した竜の化身。その力に呉羽のみならず多くの兵が犠牲となったのだ。
【竜人族】双月界にある種族のひとつ。竜の力を秘めており戦闘能力が極めて高い。詳細については先の物語にて。
【天翼族】双月界にある種族のひとつ。空を翔る翼と炎の力を持つ。火燃国を治めている。
【草人】緑繁国を治めている森の民。木の力を宿している。
【守護石】彩玻動が循環する経路に沿って双月界に配された楔石。各国にひとつ、計六つの守護石が存在する。




