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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
壱・はるかと秋良
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漆・はるかと秋良 後




 はぁ…… はぁ…… はぁ……


 雲を通した薄い月明かりの中、自分の息遣いがやけに大きく感じられる。

 秋良は丘から続く深い茂みに潜みながら、何とか街のすぐそばまで来た。


 着ている物から血が滴り落ちていることに気付き、外套を脱ぎ捨て衣服は袖や裾を破り捨てた。

 敵が後を付けてこないとも限らない。衣類を捨てる前に街へ向かう方向をいったん外れ林へ向かい、血痕を逆の方向へ残してきてある。


 今ははるかの外套を纏っている。あちこちに焦げ跡があるが、四肢を晒して歩くよりはましだ。

 肩に担いでいたはるかを一度草の上に降ろし、背中に背負いなおした。

 このほうが誰かとすれ違ったとしても違和感を与えない。

 もちろん、目撃されるなんてへまをするつもりは毛頭ないが、念には念を入れて、だ。


 ひとつ息を吸って、吐き、はるかを背負った秋良は琥珀の街中へ歩き出した。


 沙里によく似た石造りの街並み。

 石畳と石壁を照らす白い月光。

 壁の高い位置にある明かり取りの窓から漏れる、屋内の柔らかな蝋燭の光。

 その中を足早に、闇に紛れながら抜けていく。


 気温は徐々に下がってきている。が、まだ道行く人影がないわけではない。

 建物の陰に身をひそめ、人目を避けながら裏道を選び、琥珀の中央通、東門の近くにある宿『琥珀亭』へたどり着いた。

 琥珀亭の角から通りをうかがい、人通りが切れた瞬間を狙って木製の振戸を片手で押し滑り込む。


 中に入ってすぐ、番台から顔なじみの主人が寄ってきた。

 小太りな体系に丸眼鏡に口髭。豊かな頭髪とつやの良い肌を除けば沙里の情報屋・吉満(よしみち)に瓜二つだ。

 それもそのはず、琥珀亭を営む広満(ひろみち)は吉満の息子である。


「これは秋良さん、お久しぶりです。おや、お連れの方はもうお休みで?」

「部屋、空いてるな?」

「ええ、もちろん」


 秋良ははるかを背負ったまま器用に懐から取り出した宿代を広満に放った。

 落とすまいと慌てて受け止めた広満は、手の中にあるのが一金と知りぎょっとして秋良を振り仰ぐ。


「あ、秋良さん、おつり……」

「いい。その代わり、俺たちがここにいることは誰にも言うな。もちろん誰も通すな」


 階段を上がりかけていた秋良は、足を止め広満を鋭く一瞥した。


「いいな?」

「は、はいっ」


 広満は身をすくませ、上ずった声を返す。

 二階へ上がった秋良の姿が見えなくなると、ほっと息を吐いた。


 秋良がこの宿に現れるようになってから二年半ほど経つが、琥珀の商人組合でも有名になってきている。

 商材を運ぶ、護衛を頼む。どうしても急ぎで砂漠を渡らなくてはならない、または危険が伴う移動があると聞いては、広満は宿の客や組合仲間に秋良を勧めていた。


 もちろん秋良にそう言うように脅さ……いや、頼まれていたのもあるのだが。

 沙里で情報屋を営む父親が秋良を気に入っており、そちらからも懇意にするようにと念を押されている。


 秋良は若いが、修羅場を何度もくぐり抜けて来た者特有の迫力がある。

 情けない話ではあるが十は年下であろう秋良に、気の小さい広満は頭が上がらないのだ。







 二階一番奥にある二人部屋に入り、秋良ははるかを奥の寝台に横たえた。

 それから部屋の扉を閉めて鍵をかける。


 石造りの室内。

 扉の正面にある東側の壁に、胸あたりの高さから天井近くまで細長く開けられた明かり取りの窓が五つ並ぶ。

 そこから差し込む月光は、完全に雲を抜けたのか明るく室内を照らし出している。

 窓の下に椅子と小さな卓が一組。南の壁側を枕に寝台が二つ。寝台の間に置かれた小さな棚の上に置かれた燭台に火は灯されていない。


 この部屋は秋良がいつも使用している。今は広満が取り計らい、常時使えるように空けてあるようだ。

 実はこの部屋に、秋良が施した仕掛けがある。


 北側石壁の隅にある石は、外側に抜け落ちるように細工した。

 重さがあるため落とそうとしない限り勝手に落ちることはないが、穴を開ければ外への抜け道となる。

 一度も使ったことはないが、今日明日は使うことになるかもしれない。


 秋良は明かり取りの窓からしばらく外の様子をうかがっていたが、追ってくる者の気配はない。

 窓のそばを離れ、横たわるはるかをのぞき込んだ。


 相変わらず死んだように眠っている。

 呼吸はしているが、街まで連れ出す前に揺さぶろうがひっぱたこうが眼は覚めなかった。

 明日の朝になっても目覚めなかったら医者でも呼ぶべきだろうか。


 溜息をついて外套を脱ぎ捨て椅子に放ると、秋良は自分の寝台に腰かけた。破り捨てた裾や袖から四肢があらわになっている。

 朝になったら、宿のおやじに服を買ってこさせるか……。


 それにしてもあの光――。


 秋良は小屋での出来事を思い出す。


 炎狗(えんく)の吐いた炎に包まれたあの時、蒼くも白いまばゆい光が辺り一面を包んだ。

 光は眼を開けていることができないほど鮮烈で、にもかかわらずこの肌には夜の闇を溶かす暁光のように暖かく感じた。


 はっきりと視認できたわけではないが、光の発生源はおそらくはるかだ。


 はるかの悲鳴と同時にはじけたあの光に、焼け落ちかけてた小屋も炎狗も消し飛んだ。

 そして、秋良の身体に無数に刻まれていたあの傷痕も、炎狗と同じくひとかけらも残さずに消え去っていた。


 秋良は、はるかの素性を一切知らない。

 それははるかも同じ。はるかも、はるか自身の事を何ひとつ知らない。


 はるかは並以上の剣技を持つ。時には秋良よりも鋭い勘の良さを見せる時もあった。そして、何より先刻見せたあの力。

 傷を負った時の尋常ならぬ回復力からして、斎一民(さいいつのたみ)ではないとは思っていたが……。


「一体、何者なんだ……お前」


 あの老人は『秘めた力を見せろ』『試させてもらう』などと言っていた。

 老人は何者で、はるかとどういう関係なのか。少なくとも良好な関係ではないだろう。

『我ら』と口にしていたが、仲間がいる、ということか……。


 思考がうまく回らなくなってきた秋良は、勢いよく寝台に倒れ込んだ。

 とたん、疲労という重圧に全身が沈みそうなほど重く感じる。


 とにかく今日はいろいろなことがありすぎた。

 考えたところで答えが見つかるとも思えないし、確かなのは心身ともに疲れているということ。


 横たわったまま、のろのろと腰の革帯を外す。

 それに備わっている一対の小曲刀を納めた鞘ごと枕の下に忍ばせると、秋良の意識は眠りへと落ちていった。



振戸(ふりど)】西部劇なんかでよく見るスイングドア。


琥珀亭(こはくてい)】琥珀にある宿の中では一番の老舗。主人の広満は沙里の酒屋兼情報屋の吉満とは瓜二つな親子。広満は最近いつ毛が抜けていくか気が気じゃない。



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[良い点] レビュー全文 【物語は】  ある一場面から始まっていく。  この時点では、この二人がどうやってここに辿り着き、どうしてこんな状況になったのか分からない。  この場面は終焉に向けてなのか?…
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