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玖・冴空と翠 前



 梢から差し込む琥珀色の光で冴空(さすけ)は眼を覚ます。朝夕この色を眼にするたび、忘れられない痛みが起こる。


 記憶の中から湧き上がる淡い白緑色と、たおやかに舞う金色の輝き。そして心の奥に涼やかに響き渡る鈴鳴りの声。


 それは苦しくもあり、同時に大切なものでもあった。その痛みがあるからこそ、臆病な自分を前に進ませることができるのだから。


 幹に預けていた背を起こし、寝床にしていた枝の上に立ち上がる。


 生まれ育った木霊森(こだまのもり)では絶えず聞こえていた鳥たちのさえずりは、ここでは一切聞こえてこなかった。

 耳に届くのは、風が木々の枝を揺すりながら駆け抜ける音ばかり。

 降り注ぐ光も、風も、小川を流れる水も、一見しただけでは木霊森と変わらなく見える。

 しかし冴空の陽透葉色の瞳は、そのどれもが実体のない作り物のように感じていた。

 その原因は、彩玻動(さいはどう)の減少に他ならない。


 ここ風翔国(かぜかけるくに)は百二十年ほど前に守護石を破壊されたと聞いた。

 守護石は双月界が創られたと同時に、天地守護(あめつちのまもり)環姫(たまきひめ)が各地へ置いたものだ。

 妖魔六将を封じた守護石は、彩玻動を導く要。それを失えば彩玻動は他の地へと流れていく。


 彩玻動の変化に敏い動物たちは土地を移ってしまったのだろう。山の中に残っている動物は少ない。先日の壺葛(つぼかずら)のように妖魔と化しているものまでいる。

 どこか虚ろな音を響かせる風も、いずれは絶えてしまうことだろう。

 水質も木霊森のそれとは比べ物にならない程ひどい。水を糧としている草人(くさびと)だからこそ顕著に感じていた。


 風翔国の様子を見ていると、同じく守護石を失った木霊森が気がかりでならない。

 いずれは、草人の里もこのように変わっていってしまうのだろうか。


 冴空は大きく息を吸い込んで、気持ちを切りかえた。

 まだ見えない先のことをどうにかできるほど、自分には力もないし考える知恵もない。

 今はそれよりも、すぐそこに立ちはだかっている問題を何とかすることに集中しなくては。


 冴空は一瞬身を縮め、朝の澄んだ空気の中に身を躍らせた。枝から枝を身軽に跳び移りながら、雀蓮(じゃくれん)の家を目指す。


 今一番大切なのは、秋良の意識を取り戻すことだ。


 切り落とされた秋良の腕は雀蓮に預けた。

 雀蓮は秋良の腕を大きな瓶に詰めていた。瑞輝草(みずきそう)で包んでおいた甲斐あって、彩玻水を満たしたその瓶の中で保存しておけば再び秋良に戻すことも可能だという。


 秋良は、自身の中に作り出された世界の中に生きている。

 そう雀蓮は言っていた。

 傷ついた心を癒すために生み出された、『秋良自身が望む世界』。

 それがどのようなものなのか、雀蓮にもわからないのだという。


 望む世界に暮らす、ということは、幸せなことなのかもしれない。

 だが、そこはつくられた世界だ。秋良がいるべき場所はそこではないはず。心だけ別の場所にあり続けることは摂理に逆らうことだ。

 あるべきままに生きることが生命にとって大切なことである、と幼い頃から聞かされてきた。

 草人だけではなく、きっとほかの種族にとっても。それが一番良いことのはずなのだ。


 ふと、冴空は跳び移った枝の上に立ち止まった。


 冴空の中に、里で見た秋良の姿が思い起こされたのだ。

 弟子にしてくれと頼む冴空を置きざりにし、立ち去る秋良の後姿を見たそのとき。秋良の周囲を取り巻く彩玻動へにじみ出すものを、冴空は感じ取った。


 それは、内面に秘めた葛藤により生じる苦しみだった。

 まるで沸き起こる感情を力ずくでねじ伏せているような。

 押さえ込まれた感情が上げる悲鳴を、そのとき冴空は聞いたような気がしていた。


 初めて秋良に会ったのは、木霊森の警護中のことだった。冴空が秋良の言葉に動揺した隙をつかれて捕らえられた。

 今思えば、そのときも微かな玻動の乱れを感じていたように思う。


 今まで見えていた秋良の姿は、本当に秋良のあるべき姿なのだろうか。


 冴空の思考は木々のざわめきに遮られた。

 風が枝を揺する音とは違う、木々たち自身がざわめく声だ。冴空が耳を傾けると、少し離れた場所から人の気配が伝わってくる。


 雀蓮の小屋への方向を逸れ、冴空は気配の元をたどる。

 気配はひとつ。いや、ふたつだ。


 栗鼠(りす)が梢を渡るよりも速く、冴空は木々を渡る風となる。

 蹴った枝が揺れる音は、まさしく風そのもの。下を行く者がいたとしても草人の存在に気づくことはできないだろう。

 木々の間を移動しながら、気配の主に意識を集中させた。冴空の意思を受けて、木々のささやきが目的地近辺の音を伝えてくる。


 言葉までは聞き取れないが、届いたのはふたりの男の声だった。

 冴空はすでに速度をゆるめていた。一方の彩玻動がよく知るものだったからだ。

 距離が近くなり、冴空の耳にも直接音が届くようになった。


「妖魔六将の動向はつかめたか?」


 問うたのは、(みどり)の声だった。

 それに答えた声は、まだ若い少年の声にも聞こえる。


「いえ。各国で捜索は続けていますが、未だに姿は発見できず……」

「そうか。星見巫女(ほしみのみこ)が魔界へ退けたまま、双月界には戻っていないのかもしれんな」


 風凛(ふうり)の名が、立ち聞きすまいと立ち去りかけた冴空の足を止めた。

 冴空は少し離れた樹上から、翠の声にそっと耳を傾ける。


「残る水流国(みずはしるくに)の守護石周辺は、特に注意を払っておいてくれ。奴らの狙いが守護石である以上、必ず姿を見せるはずだ」

「はい」

「例のものの捜索も引き続き頼む。人手が足りないのは重々承知しているが……」

「大丈夫です。(ひじり)のために使命を果たすことができるのは久々だと、皆張り切っていますから」


 部下の充足感に満ちた声に、翠の返す声色も幾分和らいだ。


「そうか……では頼む。我々も極力先を急ぐ」

「承知しました。では」


 それきり会話は途絶え、ひとりの気配が遠ざかっていく。

 後には翠だけが残された。


 翠は踵を返す。雀蓮の家がある方角へ向かい歩く姿を、冴空は数間上から見下ろしていた。

 翠の行く手は、ちょうど冴空の足元を通り抜ける。

 立ち聞きする形になってしまった手前、冴空は反射的に息を殺して翠が通り過ぎるのを待った。

 翠は冴空には気づかず、そのまま通り過ぎていく。


 胸の中で、なんとも形容しがたいわだかまりが消えない。

 冴空は耐え切れずに翠の後を追いかけた。


【草人の隠密性】姿からして植物寄りの草人は、彩玻動への高い親和性を持つ。自らの気配を周囲の彩玻動に無意識のまま馴染ませ気配を消している。


【瑞輝草】芭蕉に似た大きな葉を持つ草。彩玻動を多く含み、包んだものの鮮度を保つ。



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