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捌・はるかと里夢 後


 扉が開く音に振り向くと、台所に通じる裏口から里夢(りむ)が姿を見せた。


「おはよう! ずいぶん早いのね」


 満面の笑みと元気な声につられて、はるかも自然と笑顔が浮かぶ。


「おはよう、里夢ちゃん」

「うん、かなり顔色が良くなったみたい。彩玻水(さいはすい)の結晶が効いてるのね」


 里夢は小さな身体に大きな木桶を抱えて井戸までやってきた。木桶の中には一回り小さな桶と、その中にはいくつかの芋と一振りの包丁が入っている。

 それを井戸の脇に置くと、外側の桶から芋の入った桶を取り出して隣に並べた。


「先生から聞いたとは思うけど、結晶はいつまでも持つわけじゃないから気をつけて。彩玻動が溶けだすにつれて小さくなって、最後にはなくなってしまうの」

「うん。それまでに、本物の核を見つけ出さなきゃ」


 はるかは神妙な顔でうなずいて桶の前にしゃがみこんだ。

 桶を挟んで反対側に座り込んだ里夢は、水を入れた桶で洗った芋の皮を剥いている。


「私、手伝うよ」

「そう? じゃあ……」


 はるかの申し出に、里夢ははるかの顔と手を交互に見つめた。


「お芋を洗ってもらおうかな」

「うん、わかった」


 皮剥きの手伝いをさせなかったのは、はるかの不器用さを見抜いてのことなのだろうか。

 ともかく、はるかは桶の中から芋を取って水桶の中で土を落とし始めた。そうしながら、ちらと里夢を盗み見る。

 里夢は小さく鼻歌を歌いながら、見事な手際で芋を次々と裸にしていく。

 視線に気づいたのか、ふと里夢が顔を上げた。真紅の瞳と眼が合い、はるかの中にわずかな緊張が走った。

 彼女は微笑んで少し首をかしげた。


「なに?」

「え、うん、なんか昨日とずいぶん印象が違うと思って」


 はるかが正直に告げると、里夢は納得した表情で笑う。


「あれは先生の助手用のだから。いつもの里夢はこんな感じ」

「そうなんだ」


 はるかは感嘆の声を漏らす。

 雀蓮(じゃくれん)の助手としててきぱきと仕事をこなす彼女と、はつらつとした外見相応の少女の姿と、どちらの里夢にも全く無理が感じられないからだ。


 ふと気になった疑問を、はるかは里夢にたずねてみることにした。


「里夢ちゃんは、ずっと先生の助手をしてるの?」

「ん? ん~、助手を始めたのは五年くらい前からかなぁ。先生のことはもっと前から知ってたんだけどね」

「そうなんだ」

「先生とこの山で初めて会ったときは、先生すっごい大怪我してて死にかけてたんだから。それをね、里夢が助けてあげたの。そのときの里夢は、まだ力を持ってたから。命を助けてあげる代わりに、先生と約束したんだ」

「約束?」

「うん。先生はちゃんと約束を守ってくれて。だから里夢はここにいるの」


 すごく楽しげに話す里夢だが、はるかには全く内容がつかめない。


「約束って、どんな約束だったの?」

「里夢を、人の姿にしてくれたの」

「え?」

「里夢はねぇ。前は、日方山(このあたり)にすごく昔から住んでる仙猫(せんびょう)だったの」


 昨日あった出来事を語るような気安さに、はるかは一瞬耳を疑った。

 しかし里夢は、芋を剥く手を休めることなく先を続ける。


「死にかけてる先生を助けたのが、最後の仙力だったから。後は数年で寿命を終えるだけだったの。里夢がね、次に生まれるときは絶対に人間になりたいんだって先生に話して。そしたら、『作り物の身体でよければ人にしてあげられる』って先生が」

「つくりものの、からだ?」

「そう。先生が義手とかを作るみたいに、もう全身丸ごと作っちゃったみたいなやつ。仙猫だった頃の記憶はほとんどなくなっちゃって、どうして人になりたかったかはもう覚えてないけど……」


 記憶がない。

 はるかと同じ状況にもかかわらず、里夢の声にも表情にも暗さはない。


「でも、人になりたかった気持ちだけはこんなにはっきり覚えてる。だから、こうして先生のところでお手伝いができて、すごく幸せなんだ」


 はるかは芋を洗っていた手を止めて、まじまじと正面の里夢を見つめた。

 芋を剥く細い指としなやかな手足。かわいらしい顔立ちを包む銀色に光る白く細い髪は、確かに珍しい色ではある。

 珍しい色といえば、伏目がちに手元を見つめるその瞳。血のように鮮やかなその紅い色は、秋良が失った右眼の瞳と同じ――。


 そこまで考えて、はるかは気がついた。

 秋良の右眼は、失った右眼の代わりに雀蓮が与えた義眼だ。作り物のそれだからこその類稀なるその色彩。


「もしかして、雀蓮さんの眼も……」

「そうなの。昔、里夢が助けた時、先生は両眼とも深手を負ってて。あの眼は義眼なの」


 言葉が見つけられず、はるかは黙り込んでしまう。きっと表情も沈んでいたのだろう。里夢は慌てて手を振った。


「やだ、そんな暗くなることないない。先生だって、今はぜんぜん見えてるから大丈夫なの! それよりもはるかちゃんのこと」

「わたし?」


 話題の矛先が自分に向くとは全く予想しておらず、はるかは数段高い声で聞き返す。


「里夢もね、この身体になったばっかりの頃そうだったからわかるんだ。いろいろ大変でしょう? 心と身体がちぐはぐなのって」

「え……? どういう、こと?」


 はるかが聞き返すと、かえって里夢のほうが驚いた顔をした。直後に、はっと左手で口元を覆う。


「もしかして、先生まだ言ってない? あちゃ」

「心と身体が?」

「あーごめんごめん、今の聞かなかったことにして! きっと先生から話があると思うから」


 笑顔でごまかすようにして、里夢は桶を手早く片付けて抱え上げた。そのままいそいそと裏口から家の中へと入ってしまう。

 止める間もなく見送るしかできなかったはるかは、手の中に残った芋を見つめた。


「聞かなかったことにして、って言われても」


 心と身体がちぐはぐ、とは、どういうことなのだろう。

 自分には栞菫(かすみ)としての記憶がない。そのことを言っているのか。それとも何か別の意味が?


 はるかは心の中に不安の影が湧き出してくるのを感じていた。




【仙猫】風翔国かぜかけるくに火燃国ひもゆるくにの境にある日方山ひかたやまには、仙力をもつ大きな山猫の言い伝えがある。千年以上を生き、気まぐれで人に悪戯をしたり時には助けたりする物語が山周辺で語り継がれている。



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