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漆・希う 後


 (みどり)雀蓮(じゃくれん)から視線を外さずにらみ合う。瞳の奥から真意を探ろうとしているのだろう。

 はるかも、雀蓮をうかがう。

 雀蓮の毅然とした姿は、患者のために心血を注ぐ医者としての自身と誇りに満ちていた。後ろめたいところなど欠片も見つけることができない。

 翠は瞳を伏せる。同時に雀蓮の胸元を掴む拳から力が抜けた。


 雀蓮はそれまでの緊迫した状況などなかったかのように、人好きのする微笑を浮かべる。


「彼女は、良い仲間に恵まれているようだね」


 翠はゆっくりと椅子に戻った。

 入れ替わりに、はるかが勢いよく立ち上がる。卓に両手を付いて身体を雀蓮のほうへ乗り出した。


「秋良ちゃんが、そうしてほしいって言ったってこと、なの?」

「『言った』わけではないけれど。僕には聞こえたんだ」


 雀蓮の話によると、彼は話すことができない患者の訴えが聞こえるのだという。傷や病が重いほど、患者の想いや願いを強く感じることができるのだ、と。


「彼女は心身ともにかなりの傷を負っていた。あとほんの少し傷を受けようものなら、砕けてしまいかねないほどにね。だから、外界との繋がりを絶ったんだよ」

「こころの、傷」


 はるかの小さなつぶやきに、雀蓮はうなずく。


「身体の傷を治療するのには、さほど時間はかからない。でも、精神(こころ)に負った傷というのは厄介でね。時間がかかるんだ」

「それは、どのくらいかかるものなのだ?」


 そう尋ねた翠の横顔を、はるかは盗み見る。

 先刻まで見せていた雷神の気配はどこにもない。いつもの物静かな翠に戻っていた。

 はるかは、心の内でそれを安堵する。翠が戦い以外の場所で、あんなに感情を出すのは初めてだった。


 雀蓮はぬるくなった茶を一気に飲み干し、眉根を寄せて言う。


「あと三日か、それとも一年か……」

「いちねん!?」


 すっとんきょうな叫びで合唱したのは、はるかと冴空(さすけ)だった。

 雀蓮は極めて真面目にうなずき返す。


「こればかりは、本人次第だからね。傷が癒えても、彼女自身が目覚めを望まなくては術は解けない」


 雀蓮の言葉を聞きながら、はるかは空気の抜けた風船がしぼんでゆくように、ゆるゆると椅子に腰掛けた。

 一年、と雀蓮は言ったが、秋良が目覚めることを望まなかった場合はどうなるのだろう。

 このまま目覚めないという可能性もあるのではないか。

 何年も……いや、もしかしたら永久に?


 はるかだけでなく翠も冴空も、のしかかる重い空気に耐えるように、無言のままうつむいていた。

 そんな中、雀蓮はやわらかく三人に告げる。


「二階に個室がいくつかあるから、ここにいる間は自由に使ってくれてかまわないよ」


 そして雀蓮は席を立ち、里夢(りむ)がいるであろう厨房の方へ向かい奥の通路へと消えていく。


 はるかはそれを気配で察していた。卓上の木目に視線を落としたまま、顔を上げることができなかったからだ。


 秋良が、そうすることを望んだ――


 心身ともにかなりの傷を――


 雀蓮の言葉が、うつろになったはるかの中に響いて消えない。

 それほどに、秋良が傷ついていたなんて……。


――違う。


 秋良の様子がおかしかったことには、気づいていたはずだ。

 時々、深く考えに沈んで上の空でいることがあった。特に木霊森(こだまのもり)を出た後からは、頻繁に。


 それだけではない。

 そもそも秋良と沙里(さり)で暮らしていた時から、わかっていたことではなかったのか。


 秋良は誰にも頼らず、ひとりで。妖魔も野盗も出没するあの砂漠を渡れるほど強く。

 誰から何を言われても、動じることなく自分の信念に沿って行動する。

 誰よりも『生きる』ということに厳しく、そのためには手段を問わなかった。


――命を奪おうとする者は、自分も命を奪われる覚悟ができていなくてはならない。


 そう言って、運び屋の運搬中に砂漠で襲ってくる野盗も。賞金稼ぎとしての秋良を狙う賞金首も。容赦なく斬り伏せていた。


 だけど――

 

 人を斬った後の秋良の背中は、いつも泣いているように見えていた。


 いつも彼女は何かに耐えるように、何かを自分の奥底に押し込めるように。

 それを悟られまいとしてのことだったのか、それとも他に理由があったのか。

 秋良は常に独りで――。


 きっと独りで、苦しんでいたに違いないのに。

 その苦しみが何だったのかすら、ずっと近くにいたくせにわからないのだ。


 わからない?


 わからない、なんて当然のことだ。

 他人に踏み込まれるのを嫌う秋良に拒まれるのを恐れて、尋ねることも手を差し伸べることもしなかったのは自分ではないか。


 違う。

 こんなことではだめだ!


――秋良ちゃんだって言ってたじゃない。

 過去は変えられない。だから、どんな過去も受け入れて前に進むしかないって。


 いくら後悔しても、過去には戻れない。

 失った秋良の眼と腕も戻ってこない。秋良が負った心の傷も、癒されないのだ。


 大事なのは、これからだ。

 過去を選択しなおすことはできなくても、これから先のことならば自分でいくらでも道を選ぶことができる。


――弱い気持ちに負けちゃだめだ。『強く願えば、きっと叶う』んだから。

 気持ちを強く持たなくちゃ、いい道を選ぶことなんてできない。


「まったくもってその通りだす!」


 突然大声を上げて立ち上がった冴空に驚き、はるかは顔を上げた。

 冴空は迷い人が天啓を受けた如く、眼を輝かせてはるかに言う。


「姫さんの言うとおり、気を強く持たねばなんねっす。あっしらがしょげてちゃいけねっすな。何とかして兄貴ば目覚めさせねば!」

「えっ、なんで思ってることわかったの!?」


 動揺するはるかに、冴空はきょとんとした顔を向けた。


「なんでもなんも、めっさ普通に話しとったっち」


 その言葉に、はるかは衝撃を受けた。

 自分では音声として発している自覚が全くなかったのだ。

 もしかしたらこれまでも、心の中で思っていたことが口をついて出ていたことがあるのかもしれない。


 そこへ、雀蓮が戻ってきた。

 冴空の大声を聞きつけたのか、声の大きさによっては、はるかの言葉も聞いていたのか。

 彼は腕組みをして軽く数回うなずいてみせた。


「なにやら、やる気が出てきたみたいだね。うんうん、しおれているよりずっといい」


 そう言って向けられた笑みが、はるかの気持ちをさらに鼓舞させる。

 さらに続いた言葉が極め付けだった。


「もうすぐ夕飯ができあがるから。里夢の作るご飯は美味しいよ」


 反射的に、はるかの視線が雀蓮の奥――厨房へ続く通路へと吸い寄せられる。

 そう言われてみれば、煮炊きする香りがほのかに漂ってきていた。


 そのときのはるかは、匂いから夕食の食材を分別するのに一生懸命で。

 押し黙った翠の、沈んだ様子には気づいていなかった。


更新のたびに足を運んでくださるみなさま。

長い物語を、ここまで読み進めてくださったみなさま。

一気読みして更新分まで追いついてくださるみなさま。

本当にありがとうございます!

それを糧にこれからもがんばります!

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