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伍・眼を覚ませ 後



 草人(くさびと)は彩玻動(さいはどう)の流れや波長を敏感に察知し、自らの体内に宿る彩玻動を同調させる。そうすることで、動植物と言葉を交わしたり、他の種族ではわかりえないことを知ることができるのだ。

 冴空(さすけ)は草人たちの中でも特にその能力に優れている。その彼が言うのならば……。


「じゃあ、あの人はやっぱり秋良ちゃんなんだね」


 はるかに念を押され冴空はうつむいたが、最後にははっきりと首を縦に振って見せた。


「ほんとにちびっとじゃすが、さっきの結界と同じ感じば、兄貴の中からした気がするけん。なんか術さかけられちょるんかも……あや?」


 冴空が顔を上げたとき、そこには誰もいなくなっていた。


「翠(みどり)くん、待って!」


 声を追った冴空がはるかの姿を見つけたのは、彼女が翠と秋良の間に割って入ったその瞬間だった。


 翠は今まさに振り下ろさんとしていた刀を、すんでのところで押しとどめた。

 彼の眼の前で、はるかは走ってきたその勢いのまま身体ごと秋良にぶつかった。

 地面へ倒れこんだふたりは数回横転する。秋良が上になったのを見て駆け出そうとする翠を、はるかが制止した。


「だめ! これ以上ふたりが戦っちゃだめだよ」

「――っ、しかし」

「大丈夫、だからっ」


 そう言う間も、はるかが掴んだ秋良の両腕は束縛を解こうと、あるいは力を押し切って小曲刀を振るおうと抵抗する。

 はるかも負けじと力を込めた。


「秋良ちゃん、私や翠くんがわからないの? 冴空くんだって、ずっと秋良ちゃんのこと探してくれてたんだよ!」


 秋良の身体は変わらずはるかを振りほどこうとしている。が、はるかの声は人形のごとき秋良の表情を崩していた。

 わずかだが、苦しげにゆがんだ秋良の顔。はるかにはどこか悲しく、助けを求めているように見えた。


 もし、誰かが秋良をこのようにしたのなら――本人が望まずこのような状態にされているのだとしたなら。

 なんとしても助けなくては。


「このぉっ」


 はるかは全身に力を込めて、立ち上がった。

 身体を後方に引いて逃れようとした秋良の身体ごと、掴んだ彼女の両手首を力いっぱい引き寄せる。


「眼を覚ませぇ!」


 ごん!!


 鈍い音が周囲に響いた。

 次いで訪れる静寂の中、ひとりが静かに地面へと倒れこむ。

 立っているのは、はるかだった。


 突然の展開に立ち尽くす翠と冴空の前で、はるかは両手で額を押さえてうずくまった。


「い……ったぁ」


 痛いというより熱い。

 そして少し触っただけでわかるほどに、額が盛り上がっている。

 傍らで仰向けに倒れている秋良の額にも、同じようなこぶができあがっていた。


「ちょっと手荒な手段だったけれど」


 聞こえてきたのは、やわらかな男の声。


「暴走してしまった彼女を止めるためには、気絶させるという処置は適切だった」


 男は青い衣服の上に白く長い羽織をまとっている。どちらも見慣れない意匠の服だ。

 背はさほど高くないが、その印象的な髪と眼は一度見たら忘れないだろう。

 後ろでゆるく束ねた髪は色の抜けた榛(はしばみ)色をしており、穏やかな双眸は秋良の右眼と同じ深い血の色を湛えていた。


 それまで、そこには誰もいなかったはずだ。

 いつ現れたのか、いつからそこにいたのか。その場にいた三人のうち、誰ひとりとして男が近づくを察知することはできなかった。

 まるではじめからそこにいたように、ひときわ大きな樹木の傍らにたたずんでいる。


 彼は、動けずにいる三人を順に見回して誰にともなく訪ねた。


「すまないね。もう少し早く着くつもりだったんだけど……君たちは、彼女の既知なのかな?」

「きち?」


 質問の意味を理解できないふたりに代わり、翠は刀を抜き身で提げたまま問い返す。


「お前は何者だ」

「医者だよ」


 言って彼は前へと踏み出した。

 ゆっくりと、一番近いところにいたはるかの元へ歩み寄り、その手を伸ばす。

 はるかの額に触れる直前、彼の手は素早く横へ伸びた。自らに刀を振り下ろそうとしていた翠の手首を捉えたのだ。


「心配しなくていい」


 ちらと翠に視線を送り、男は口の端に笑みを浮かべて手を離す。


 翠は驚愕し、刀を下ろした。

 もちろん、振り下ろした刀は牽制で、男の皮膚に触れる寸前で止めるつもりでいた。

 とはいえ、わずかも身を揺るがすことなく翠の剣に反応してみせるとは。


 なにより翠を驚かせたのは、触れた男の手そのものだった。

 男の手が触れた瞬間、暖かな力を感じると同時に水撃で受けた疼痛が嘘のように消え去ったのだ。


 男は身をかがめ、その手ではるかの額に触れた。

 額にできた大きなこぶは消え、もちろん痛みもなくなっている。しかし、彼はその表情をわずかに曇らた。


「君は――」

「え?」


 かすかなつぶやきは気のせいだったのか。

 はるかが聞き返したときには、男は立ち上がり秋良のそばへと歩み寄っていた。


「それで、君たちは彼女とは知り合いなのかな?」


 再び投げかけられた問いに、刀を納めた翠が答える。


「そうだ。あなたが、この山に住むという医者なのだな」


 男は倒れた秋良の様子を見、脈を取りながらうなずいた。紅い瞳がはるかへ向けられる。


「その子に治療が必要なのだろう? ついてきなさい。秋良が今どういう状況なのかも説明しなくてはならないしね」


 言って、彼は秋良を抱え上げて歩き出した。


「今なら、結界も拒みはしない」


 最初に彼が立っていた大樹の横を通り抜けた瞬間、秋良を抱えた男の姿は消えて見えなくなった。

 そこが、結界との境界線なのだろうか。


 はるかは、状況についていけずに呆然とする冴空の元へ駆け寄り、手を引いて走り出した。


「ほら、早く行こう。置いてかれちゃうよ!」

「あ、やや、あっしは人に見られたら、そのぅ」

「大丈夫だって、もう見られてたでしょ」


 冴空を半ば引きずるように、はるかは男の後を追う。その後に続く翠の姿も。大樹の横を抜けた瞬間にその空間から姿を消した。



【榛色】榛(はん)の木をつかった染色。ヘイゼル色。男の髪色は「色抜けした」明るい色なのでプラチナブロンドっぽい色。


【はるかの頭】秋良にげんこつをくらい続けても平気な石頭。攻撃力もかなり高そう。


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