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碌・光芒差す 前



 意識を失った秋良を抱えたまま、医者はまっすぐに森の奥へと進んでいく。獣道のような深い茂みに紛れる細道だ。

 はるかは白い背中を見失わないよう、茂みをかきわけながら後を追いかけた。


 どのくらい歩いただろうか。

 やがて森の中に静かにたたずむ家の前に出た。


 その家は丸太で組み上げられていた。右側の壁に石造りの煙突。地面近くからから二階の屋根上まで続いている。

 決して小さな家ではない。それでいて森に違和感なく存在しているのは、家全体を包み込む蔓や蔦の類があるからだ。


 医者は秋良を抱えたままで正面の扉を器用に開き、三人を招き入れる。


「悪いけど、少し待っててくれるかな。適当に座って、好きにくつろいでくれていいから」


 そう言い残して、彼は入口の扉と対面になっている奥の扉へ姿を消した。


 (みどり)が中央に置かれた角卓に腰掛けるのを見て、冴空(さすけ)もならって端に座る。

 はるかは、しばらく秋良が消えた扉を見つめていた。が、少ししても医者は戻らず、翠の隣に腰掛けた。


 秋良が生きていた。

 そのこと自体は喜ばしいことのはずなのに、気持ちは晴れない。

 姿の見えない何かに追い立てられているような焦燥感が内に燻っている。


 理由もわかっていた。

 あれが本当に秋良なのか、未だ信じることができずにいるからだ。

 早くあの人から詳しい事情を聞きたい。

 秋良が秋良であることを確かめたい。

 その思いがとめどなく膨れ上がり、いてもたってもいられなくさせている。


 誰もが無言のまま、時間ばかりが過ぎていく。

 とても長く感じる沈黙。その実、まだ四半時、いやその半分ほどしか過ぎていないのだろう。

 はるかは気を紛らわせるために室内を見回した。


 部屋は広く、丸太で組まれた壁が七夕(なゆ)たちの家を思い起こさせる。

 左手の壁には大きな窓があり、橙色の陽光が斜めに差し込んでいる。もう日が暮れる時間だったのだ。

 窓側の席に腰掛けた冴空は、夕日を背に受けながらわずかも動かない。節くれだった長い指を卓の上で組んで、猫に似た瞳でじっとそれを見つめている。

 いつものはるかであれば声をかけていただろう。しかし、今はその余裕もなかった。


 二階まで吹き抜けの天井にも、小さな天窓がふたつ。そこからも外光が降り注ぐ。

 正面にある扉は未だ固く閉ざされている。

 その壁伝いに視線を右に送ると、右端は奥へと続く通路になっていた。

 秋良がいるであろう部屋の右隣、もしくは奥にある部屋に続いているのだろうか。


 その通路から、ふわりと香りが漂ってくる。はるかはすぐに、それが煎茶のものであるとわかった。

 茶の葉を煎るときに生じる香りだ。


 秋良と共に沙里(さり)にいた頃には、ほうじ茶しか飲んだことがなかった。

 ほうじ茶の香ばしくすっきりとしたのみ口も好きだったが、煎茶にはまた違ったみずみずしい香りと味わいがある。

 暁城(あかつきのしろ)で初めてそれを口にした。気に入ってからというもの、おやつの時間には必ず煎茶が出されるようになった。

 後から知ったことだったが、煎茶は高級品で市井ではなかなか手に入らないものなのだという。

 自家製で茶を煎っているということは、近くに茶畑があるのだろうか。


 ほどなく、医者が右の通路から姿を見せた。案の定、茶を入れた器を盆に載せている。


「お待たせして悪かったね。口に合うと良いのだけれど」


 器をはるかと翠の前へ置く。

 湯気の立ち上るそれを見た冴空が腰を浮かせた。草人という種族は水以外のものを口にしない。

 しかし、目の前に出された器の中身は水だった。安堵と疑問が入り交じった表情で再び腰を下ろした。


 はるかは卓上に置かれた器を、まじまじと見つめてしまった。

 器は円筒形で、透明な硝子(がらす)でできている。側面には白い目盛と数字が記されており、縁には注ぎ口があった。もしかして、ここから飲むものなのだろうか。


 そっと手を伸ばすと、医者が注意を促した。


「ああ、器が少し熱くなっているから気をつけて」


 はるかは器の縁を持つようにして口へ運んだ。

 一口飲むと、甘みのある豊かな香りが口の中に広がった。


「おいしい!」

「それは良かった」


 眼を輝かせるはるかに、医者は笑顔を見せた。

 薄榛色(うすはしばみいろ)の髪と真紅の瞳という稀有な外見から、なんとなく近づきがたい印象を抱いていた。しかし笑うと思いのほか柔和な表情を見せる人だ。

 その笑みに、彼の内面がそのままにじみ出ているように思えた。


「お茶を飲み終わったらでいいから、君はこちらへ。具合を診せてもらうから」


 そう言って、彼が再び扉の向こうへ消えるのを見、はるかはもったいない気持ちをこらえて急いでお茶を飲み干した。

 舌に若干ひりつく痛みを感じながら、はるかは席を立ち秋良が運び込まれた扉へと向かう。その後に翠が続いた。


「あれ、翠くんも来るの?」

「医者とはいえ、面識のない人物だ。場合によっては席を外すが、ふたりだけにすることは極力避けたい」


 真面目に説明する翠を前に、『心配しすぎだと思うけど』という言葉を飲み込んで、はるかは扉を叩いた。


「もう飲み終わったの? どうぞ」


 扉越しの返事が聞こえる。はるかは扉を押し開け、そっと頭を入れた。






【沙里】陽昇国ひいづるくにの中央に位置する砂漠の町。今では懐かしいはるかが秋良の家に居候していた始まりの場所。


【暁城】陽昇国を治める珠織人の居城。はるかが栞菫として暮らしているあいだは、百年越しに帰ったことも相まって過保護もいいところだった。


【茶の器】お察しの通りビーカーです。医者の羽織も、双月界に馴染みがなく羽織と表現されてますが白衣です。これらや医者の出自については本編でおいおい……。


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