肆・再会? 後
宙づりのまま、重力に逆らって首を持ち上げる。見ると足首には、はるかの手首ほども太い植物の蔓が巻きついている。
蔓は足首から一度上に伸び、大きく曲線を描いて地上へ向かう。はるかの下には、葉の茂ったうごめくものがいた。はるかを吊るしているものを含め、十本近い蔓を触手のようにくねらせている。
「な、なんだっちゃら!?」
冴空が驚きの声を上げた。
茂みがが生えた周囲の地面がが崩れだした。
地上に出ていた茂みと蔓は一部分でしかなかった。地面が崩れ、茂みの下に続くものが地上へと這い出してくる。
翠と冴空は崩れる地面に呑まれぬよう、各々後方へと跳んで逃れる。
「妖魔……なのか?」
「こ、こりゃあでっかい壺葛みてぇな……!」
巨大な緑の球体は、茎が変形して膨らんだもののようだ。幾本かの太い根を地面から引き抜くたびに、弾力のある表面が波打っているのが見えた。
吊るされたままのはるかの下で、葉の部分が中央から外側へ向けてゆっくりと開く。
葉の奥に見えるのは球状の身体の内部――壷のように滑らかな空洞の底には、透明な液体が揺らいでいる。
「姫さん、こんでかいのが壺葛なら中に落ちたら危ねっす!」
冴空の声が聞こえたと同時に、はるかの横をすり抜けた木の葉が落ちていく。葉は液体に触れた瞬間音を立てて溶けた。
血の気が引くのを感じている合間にも、はるかを逆さ吊りにした触手はゆっくりと捕らえた獲物を壷の入り口へと近づけ始めた。
「えっ、ちょ、ちょっとだめだよ!」
慌てて腰の刀に手を伸ばす。しかし、はるかが動くと触手がその身体を揺さぶり、思うように動けない。
たまらず下に助けを求めた。
「翠くん、冴空くん! 私、中に落とされたら溶けちゃうよ!」
言われるまでもなく、抜刀した翠が壷の表面に斬りつける。やわらかく弾力のある表皮は翠の斬撃を傷すら残さずに跳ね返した。
翠はひるむことなく、返す刀で地に這う根の元に刃を振り下ろす。
根は堅く、断ち切ることができなかった。が、受けた傷が堪えるのか、はるかを捕まえたままですべての触手を闇雲に振り回し始めた。
頭上から、はるかの悲鳴が右に左にと揺れているのが聞こえてくる。
翠は自らを捕らえようと襲い来る触手を身をひるがえしてかわす。冴空を狙って伸びる触手を横に一閃斬り落とし、冴空に呼びかける。
「冴空、頼む!」
冴空はそれまで弓に矢をつがえて、ずっと機会をうかがっていた。はるかを捕らえている触手を穿つために。
壷の真上にいるときに当てたのでは、はるかは中へと落下してしまう。
振り回されている彼女が壷の上から外れた位置にあり、はるかの身体に矢が当たらぬその瞬間を見極める必要がある。
弦を引き絞っている間中、自身の鼓動は痛いほど耳に響き、震える吐息に合わせて狙いを定めようとしている手元がぶれる。
もし、矢を当ててしまったら――。
しかし、ためらっている時間もない。ほんの一瞬だけ、眼を閉じた。
心の奥に遺された涼やかな響きが、傷みと共に蘇る。
――冴空になら……――
――自分になら、できる!
止められた呼吸。手の震えが、鼓動が収まる。
開かれた陽透葉色の瞳が、狙うべき一点を見出したと同時に矢は放たれた。
連続で放たれた二本の矢が、はるかの足首を捕らえている触手の中程を寸分違わず射抜く。
ちぎれた触手の先を足首に巻きつけたまま、はるかの身体は空中へ放り出された。
冴空の狙い通り落下する身体は壷の口をはずれ、壷の外壁に当たった反動で跳ね飛ばされる。
それを走りこんだ翠が上手く抱きとめた。
「大丈夫か!?」
地面へ降ろし翠が問いかけると、はるかはうなずいて見せた。
「め、めがまわってるけど、だいじょうぶ……」
「少し休んでいるといい」
言い置いて翠は、すばしっこく逃げ回る冴空を捕らえようと触手を暴れさせる巨大植物へ駆け寄っていく。
はるかは頭を振り、ようやく定まってきた視界に翠の後姿を捉えたその時。巨大植物を挟んで向こう側の樹上に、輝くものが見えたような気がした。
直後、ふたつのきらめく鳥影が飛来する。それは巨大植物の上部に宿る葉の茂みを直撃した。
突然の出来事に、翠も冴空も動きを止めた。
茂みを貫いて切り返し旋回した小鳥は、その翼で蔓を次々と寸断していく。透き通り、波打つ光を反射するその鳥。はるかがつぶやく。
「水……水の鳥?」
巨大植物は縦横無尽に伸ばしていた蔓状の触手を全て茂みの中に収めながら、太い根をうごめかせて地面の下へと潜り込んだ。それを追った二羽は水滴に砕けぶつかった土を濡らす。
それはものの数秒の間の出来事だった。掘り起こされた土がめくれ上がった地面以外は、何事もなかったように静かな森に戻っている。
「今のは――」
光が放たれた樹上を見上げた翠は、その先に続く言葉を失った。
巻き込まれかけていた地面から這い出た冴空と、翠に駆け寄ったはるかも、樹上にある影を見た瞬間に己が眼を疑った。
樹上から細身の影が身軽に跳び降りてくる。
鋭い光を宿す鳶色の瞳。浅褐色に焼けた肌。木漏れ日を受けて明るく色づく黒褐色の髪は肩ほどまでに短くなっていたが、間違いない。
捜し求めていたその姿に、はるかは思わず駆け寄った。
「秋良ちゃん!」
はるかの顔に満ちていた喜びの色は、すぐにかげりを見せる。
「秋良、ちゃん?」
もう一度、呼びかける。
眼前に立つ秋良は、はるかを前にしても、その呼びかけを受けてなお表情ひとつ変えることなくたたずんでいる。
それはまるで、良くできた人形を思わせた。
「待て、はるか」
翠は、はるかの腕をつかんで後ろに下がらせた。
「これが秋良のはずがない」
「でも!」
「よく見てみるんだ、秋良は利き腕を失っているはずだろう」
言われて、初めて気づく。
秋良の右腕は今、冴空の背中に背負われているはず。しかし眼の前にいる秋良の右肩からはしなやかな腕が伸び、鮮やかな朱色で流線模様が描かれている。
何より彼女の右眼が――。
なぜ、最初に見たときに気づかなかったのだろう。
秋良の瞳は、右側のそれだけが血のように紅い色を宿していた。
【壺葛】もともと普通の植物だったが、彩玻動の減少と魔界からの瘴気にあてられて妖魔化したもの。風翔国は魔竜の乱時に守護石を破壊され、長い時の中で妖魔化した動植物が多く棲んでいる。




