肆・再会? 前
まばらに立ち並ぶ木々の間には道らしき道もない。足元には短い下草が同じ丈で敷き詰められている。
柔らかな草の感触を踏みしめながら進んでいく。
登ったり降ったりを繰り返す斜面。鶯色の美しい様相とは裏腹に、そこを行くはるかの体力を少しずつ、確実に削り取っていた。
川原で意識を失ったときを最後に、発作は起きていない。しかし体力は格段に落ちている。
傾斜を一息に登りきれず右手をついた。そこから地面の暖かな温度が伝わってくる。誘われるように、はるかは両手をついて腰を下ろす。
活火山である日方山一帯は、地熱により温暖な気候になっているという。地面に接している部分に、ほのかな暖かさが感じられた。
冴空と話したその日の夜に、七夕と七生に旅立つことを告げた。
少し残念そうではあったが、彼女らは引き止めはしなかった。七夕は、はるかの体調だけが気がかりだとこう告げた。
「もし良かったら、日方山のお医者様を訪ねてみたらどうかしら?」
「お医者様?」
はるかがそのまま繰り返すと、七生が七夕をたしなめる。
「七夕、そんな噂だけの医者なんか」
「そりゃあ私たちは会ったことはないけど、治してもらった人がいるっていうんだから」
「そんな不確実な話で、こいつらの旅を遅らせるようなことになったらどうする」
「だけど、もしかしたら治してもらえるかもしれないのに」
語調が強くなり始めたふたりに、はるかがあたふたと腰を浮かせた。と、翠が言葉を割り込ませた。
「この山に医者がいるのか」
隣の七夕に詰め寄っていた七生は、椅子に座りなおして正面の翠に向き直る。
「山でひどい怪我した奴が治してもらったと、街で言いまわったとか。街医者が匙を投げた患者が山に入って治してもらったとか、見えない目を治してもらったとか……噂がひとり歩きしてるんだろ」
七生の口ぶりは、医者がいることを全く信じていないようだ。
そんな弟にはかまわず、七夕は熱心に話し始める。
「それがね、健康な人がそのお医者様を訪ねようとしても、どうやってもたどりつけないそうなの。病や怪我で本当に助けを求めている人だけが、お医者様に会えるんだって。不思議よね」
「へぇ~すごいね」
はるかが眼を輝かせて相槌を打つと、七夕は嬉しそうにうなずいた。七生はそんなふたりの様子を呆れ半分に眺めている。
それを見て、七夕は頬をふくらませた。
「どうせくだらないとか思ってるんでしょう?」
「ふん。たとえその医者が本当にいるとしても、診る奴を選ぶようなお高くとまった医者に診てもらいたくはないな」
「もう! ……私たちも実際に会ったことはないわ。幸い誰も大きな病気も怪我もしたことないし。だけど、もし会うことができたら」
「私の体調もよくなるかも?」
はるかの身体の不調は、本来体内にあるべき核と身体が離れているから起きているものだ。核を取り戻さない限り、本当の意味で身体が万全になることはありえない。
だが、それほどの名医が本当に存在するのであれば。完全とまではいかなくとも、発作の発症を抑える手立てなどは見つかるかもしれない。
そして今朝、子供たちが目覚める前に家を後にした。顔を合わせてしまえば、別れるのが辛くなるとわかっていたから。
七夕と七生には、いつかまた家を訪ねることを約束し、子供たちに手紙も残してきた。
妖魔六将に備え、守護石を目指し急ぐべきなのだろう。だが、行方も安否も知れぬ秋良をひとり残して先を急ぐことなどできるはずがない。
それならばと、秋良を探す一方で噂の医者を探してみることにしたのだった。
はるかにとって意外だったのは、期限付きとはいえ翠が秋良を探すためにこの地に留まることを承諾したことだ。
環姫より引き継いだ珠織人の使命と、稀石姫の核を見つけ取り戻すこと。それこそが何より優先されるべきことであり、秋良の捜索は断念する、と。
そう言うかもしれないと思っていた。暁城にいた頃の翠ならば、きっとそう言ったに違いない。
はるかは小さく息をつき、頭上を仰いだ。
この時期は、太陽をかすめるように白月が天を横断する。もうすぐ冬が近づいているとはいえ、白月の照り返しが陽射しをより強めている。
見上げると、重なり合った木々の葉が天を遮っている。それは暁城の橄欖石でしつらえた透天井さながらの優美さで、降り注ぐ陽射しを心地よくやわらげていた。
このまま下草の上に寝転んだら、どれだけ気持ちがいいことだろう。
誘惑に抗えず、徐々に身体が後方に傾き始める。
と、視界の上限にこちらを見下ろす翠の姿がさかさまに映った。
休んだほうがいい、と翠に言われるより先に立ち上がろうとした。が、翠がそれを制した。
「話しておかなくてはならないことがある」
翠は、はるかの隣に腰を下ろした。
そのまま、はるかの顔を見ることなく話し始める。
「今朝発つ前に、七夕がこれを」
はるかの前に差し出されたのは、四つに折られた小さな紙片だった。
手に取ったそれを、開いてみる。
そこには人の名らしきものが五つ並んでいた。
一番最後のふたつの名に、視線が引き寄せられる。
そこにはこう記されていた。
春時
秋良
「これって……!?」
反射的に翠を振り仰ぐ。
翠はわずかにうなずくように、はるかの手にある紙の上に視線を落とした。
「家の裏手にあった墓標……事件があった当時、村にいたはずの住人で、墓標に記されていない名を記した紙だそうだ。
もし行く先で出会うことがあったら、伝えてほしいと言っていた。風和の村は生きている、と」
はるかは、ゆっくりと視線を紙上にもどした。
紫水晶の瞳に、木の落ち影が落とす明暗に混ざって複数の想いが浮沈する。
「七夕たちに、秋良ちゃんのことは……?」
「伝えていない。今の状態では、とても……」
再びふたりの間に沈黙が訪れた。
【妖魔六将】緑繁国の戦いで風凛の力で魔界へ戻された。双月界へ戻り守護石を破壊する機を待っている。
【環姫と暁城の使命】天界より使わされた女神・環姫は珠織人に使命を与えた。ひとつは、千年に一度生まれる環姫の現身・稀石姫の守護。もうひとつは、守護石の維持である。環姫が守護石に施した結界は、代々の聖が巡礼の儀により守り続けてきた。




