参・志心 後
冴空の細く節くれだった草茎の指が、抱えた布をつかむ。
「前まで、あっしには何もできないと自分で決め付けて……自分からなんもせんかったす」
幼い頃から風凛と話すことができたのに、自分は彼女の言葉に支えられるばかりで。
結果、風凛は役目から開放されるため死という手段を選択した。
たとえそれが、彼女が待ち望んでいた結果だったとしても……もし、少しでも彼女を知ろうとしていたなら。彼女の苦しみを知ることができていたなら。
違う道を見つけることもできたのではないか。
「ただ闇雲に強くなりたいと、強くなれば勇気が出るもんじゃと思いこんどったあっしを、兄貴は導いてくりゃんさった」
秋良は何度も冴空に問うた。何のために強さを求めるのか、強さを手に入れてどうするのか、と。
その言葉に、冴空は初めて何のために強くあろうとするのかを考えた。
「あっし怖くてたまらんかったに、おっきな竜人族の前に立ちはだかれたのは、風凛様を護りたい一心だったっす」
今ならわかる。
勇気は出すものではなく。戦うために振り絞るものでもなく。
大切なものを守るために自らを突き動かす何か。それが、皆が勇気と呼ぶのものなのではないか。
自分が強くなろうとするのは、風凛を守るためだったのだと。
「まあ、そん時はあっさりやられちまったんすが……そんなあっしをかばって、兄貴は戦ってくれたっす」
その上秋良は、背後にいる冴空を至道の技から守るために技の直撃をその身に受けた。
受けた恩を返すために、秋良を追って森を出たのだ。再会を果たしてすぐ、このような事になろうとは思っていなかった。
「あっし、本当は恐ろしくてたまらんのじゃす。あん時、兄貴の言うとおりにしたんは、げに正しかったんか」
「でも、それは」
冴空は秋良に言われたとおりに行動しただけなのだ。倒れたはるかを翠の元に送り届けるよう頼まれ、それを実行した。
「兄貴も姫さんも救う方法が、何かあったんじゃなかか。あっしにもっと力があれば、兄貴を一人で行かせんで済んだばねかっち」
「冴空くん……」
はるかは言葉を失った。
もしあの時、自分が意識を失っていなかったら。秋良をひとりで行かせずに済んだのではないか。
それなら、冴空は悪くない。悪いのは――自分だ。
座り込んでいた脚に力を込め、はるかは立ち上がった。
冴空は秋良の腕を梱包した包みを胸に抱え、強く眼を閉じて祈るように頭を垂れている。
「大丈夫」
冴空は頭上から聞こえた声に視線を上げた。
降り注ぐ陽光に縁取られ風に揺れる金糸の髪は、光が透けるような白い肌を包んでいる。身の内に彼女の鈴鳴る声が蘇った。
――大丈夫。冴空になら、できるわ。
見えていたはずの風凛の姿は霧が晴れるように薄れていく。後にはは優しく見下ろす紫水晶の瞳が残った。
「冴空くんが探してくれてるんだもん。翠くんだっているんだし、秋良ちゃんは絶対見つかるよ。それに、秋良ちゃんならきっと生きててくれる。私は、ふたりと、秋良ちゃんを信じてる」
はるかは胸元の瑠璃石を服の上から強く握り締める。
それは冴空に向けた言葉でありながら、誰より自分に向けられていた。
そう言わなければ、心に巣食う黒い根が吐き出す不安が内に溜り続け。言葉にして外に出さなくては、破裂してしまいそうだったのだ。
「はーるーかーちゃーん!」
背後から聞こえた声に、はるかは振り向く。
八間程向こう、家の扉が開き子供がふたり手を振っている。桐と泉だ。
「七夕かあさんがお菓子焼いてくれたからー!」
「一緒に食べよー!」
ふたりの呼びかけに、はるかは手を振って答える。
「今戻るからー!」
桐と泉が家の中に入るのを見送ってから、はるかは冴空に向き直った。
冴空の姿は跡形もなく消えている。驚いてあたりを見回すと、樹上から声だけが降りてきた。
「そだば、あっしはまた兄貴ば探してみるっす」
そう聞こえてからわずかな間を置き、樹の葉のささやきに紛れて微かな冴空の声が届いた気がした。
それきり、いくら耳を澄ましても風が草木を揺らす音しか聞こえない。
おそらく巧みに気配を馴染ませ、樹の枝を伝って森へと戻っていったのだろう。
自分と冴空は、同じだ。
自分以外のものに頼ることでしか自分を保てない。
冴空は自分という存在が持つ全てに自信が持てずにいる。
死の間際まで冴空を支え続けた風凛の存在と言葉があるから――彼女が、冴空を信じると言ったその言葉を拠り所にして初めて自らを信じることができている。
それに加えて、今は秋良を無事に見つけ出すという目的を支えに、冴空という存在を確立しているのだ。
はるかには過去というものがない。
栞菫の身体が時折見せる白昼夢による過去の断片や、名を呼んでくれる暁城の者たちを支えに、初めて自らを栞菫と認識することができる。
そして、秋良と共に過ごしてきた『はるか』としての短い時間だけが、確かな自分としての存在を確立させてくれている。
栞菫の身体を持ち、はるかとしての記憶しか持たない。
自分は、一体何者なのだろう……。
少し気を抜くとすぐに首をもたげる暗い思考を振り払うため、はるかは冴空が残した言葉を思い起こした。
――あっしも兄貴を……おふたりを信じるっす。
それは温かく心の中に響いている。
同時に、焦燥感がちりちりと燻りだす。
今すぐにでも冴空を追って駆け出したい。
はやる気持ちを必死で押さえ込む。
はるかの体調を案じて、七夕たちに引き止められるまま翠は出発を見送っている。
この不調は彩玻動の減少によって引き起こされているものだ。双月界のどこかにある栞菫の核と、身体を結んでいる彩玻動流が途切れかけているために起きるのだと。
ならば、休んでいても根本的な解決にはならないはずだ。
残る守護石が妖魔六将に狙われている今、時間は限られている。この身体だって、いつまでまともに動くかわからないのだ。
はるかは踵を返し、家に向かって歩き出す。
その胸の内には、明日にでもここを発つ決意を固めていた。
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