弐・揺籃 中
はるかは翠と共に部屋を出た。
廊下の左右に扉が三つずつ並んでいる。ひとつだけ開け放たれたままの扉から中をうかがうことができたが、そこも子供部屋のようだった。
廊下の先は広い部屋に続いている。
部屋の中央に置かれた長卓の両脇に備えられた椅子に、三歳から十歳くらいまでの女の子が五人。乾燥させた蔓を編んで籠を作っているようだった。
ひとりが、はるかに気づいて声を上げた。
「あ、眠り姫!」
子供たちの視線が一斉にはるかに集まる。次の瞬間、彼女たちはこちらへ詰め寄ってきた。
「眼が覚めたの、良かったね!」
「やっぱり眠り姫みたいに術をかけられてたの?」
はるかは口々に掛けられる言葉に眼を白黒させ聞き返す。
「ね、ねむりひめ?」
「うん、眠り姫」
「あのね、悪い人に術を掛けられて眠らされちゃうの」
「でね、皇子様の口づけで目覚めるのよ」
子供たちは楽しそうに盛り上がっている。が、はるかは話についていけない。
「おうじさま?」
「この人」
子供たちが綺麗に口をそろえて、はるかの背後を指す。
翠は無言のまま、はるかに視線を送る。それは子供たちにどう対応してよいかわからず助けを求めるものに他ならない。
しかし、はるかはあまりにも素直に翠に問いかけた。
「そうなの?」
翠が絶句し固まったところで、七夕の声が割って入る。
「ふたりを困らせちゃだめでしょう。ほら、仕事に戻って」
子供たちはきゃあきゃあと悲鳴を上げて自分の席に戻っていく。
七夕は外から戻ってきたところなのだろう。騒ぎで気づかなかったが、外へ通じる扉が開けられていた。
翠はそちらへ歩き出す。
「薪割りの続きをしてくる」
すれ違った七夕は、苦笑交じりにはるかに言う。
「あんたも否定してあげなよ。あの人、かわいそうに」
「えっ、違ったんだ」
「違うに決まってるでしょう。子供達が言ってるのは物語の中の話なんだから」
ひとしきり笑って、七夕は手にした籠を持ち直した。中には野菜がたくさん入っている。
「これから夕飯作るから、それまで外の空気でも吸っておいで」
「あ、私手伝う」
「うーん。今日はいいわ。しばらく様子を見て、大丈夫なようだったら手伝ってもらうから」
はるかは七夕の言葉に甘えることにした。
表へ続く扉から外へ出る。
丸太を組み上げて建てられた家の周りは、広く野原が続いていた。それを遠巻きに囲むように森が広がっている。
森から吹く風に乗せて、薪を割る音が聞こえてきた。
音に誘われるように、はるかは家の壁に沿って裏手に向かって歩き出す。
家の裏側も、やや離れた森までの間を草が埋めている。
ふと、森との境付近に立ち並ぶ無数の杭が眼に止まった。
程よい長さに切った木を地面に挿しただけの杭だが、こちらに向いた面の一部が削り取られている。遠くてよくは見えないが、文字が刻まれているようにも見えた。
確かめに近づくこともためらわれ、じっと見つめる。
それに気づいた翠が、薪割の手を止めて歩み寄った。
「翠くん、あれ……」
はるかの沈んだ表情に、翠は小さくうなずく。
「墓標だった。何があったのかは聞いていないが……おそらくは、ここに子供たちだけで暮らしていることに繋がるのかもしれない」
「子供だけ……そういえば、女の子ばかりだったけど」
「男たちは森へ出かけていると聞いた。七夕と七生のふたりが子供たちを世話しているようだ」
翠の言葉を見計らったように、森の中から男の子が数人こちらへ駆けてくる。
先程開放されたばかりだというのに、はるかは再び子供たちに囲まれた。
「ねーちゃん、もう大丈夫なのか?」
「変わった眼の色してるんだね」
「お腹すいてない?」
はるかが答えるより先に腹が音を発して空腹を知らせた。
子供たちは一斉に笑い出す。はるかは顔が熱を持つのを感じながら両手で腹を押さえる。
さしものはるかも、眠ったまま飲み食いすることはできない。すっかり失念していたが、二日も寝たきりだったのなら空腹も当然である。
後から追いついた長身の少年が、子供たちをはるかからひとりずつ引き離す。
「病み上がりなんだから、あんまりからかうもんじゃないぜ。早く七夕に木の実を届けてきな」
七生が言うが早いか、子供たちは我先にと競うように走っていく。
それを見送って、七生はこちらへ向き直った。
「ここに人が来るのは珍しくて。あいつらも悪気があるわけじゃないんだ」
「大丈夫、お腹がすいてるのは本当だし」
はるかが照れ笑いを見せると、七生は安心したように表情を崩した。
翠と同じくらい背が高いが、笑うとずいぶん幼く見えた。栗色の瞳と銅色の髪、それに笑った眼の感じが七夕に良く似ている。
「そうか、七夕の作る飯はうまいぜ。っと、あんた持病もちなんだろ? 風が冷たくなる前に中に入ったほうがいい」
七生にうながされ、はるかと翠は屋内に戻った。
夕食の席で七夕が子供たちをはるかに紹介する。
男の子が十四歳の結斗、十一歳の智、三歳の真尋と和伊の四人。
女の子が、十一歳の桐、十歳の日和、七歳、五歳の泉と美風、三歳の花名の五人。
一番年上なのが十九歳の七夕。その次に彼女の弟で十六歳の七生。
夕食を終え子供たちが寝静まった後、はるかは長卓についていた。
子供たちとのにぎやかな時間は楽しく、あっという間に過ぎた。子供たちと物語を読んだり、さまざまな質問に答えたり。
そのときは気づかなかったが、終わってみると身体が重く感じる。
はるかの心を見透かしたように、七夕はお茶を差し出しながら笑いかける。
「子供たちの相手、疲れたでしょう?」
「えっ、まぁ……でも楽しかった」
それも偽るところない正直な気持ちだった。あんなふうに遊ぶことなど、しばらくなかった。沙里にいた頃は、野菜売りの息子である柊と暇を見つけては遊んでいたのだが……。
何も知らずに運び屋の手伝いをして暮していたあの頃から、まだ幾月も経っていない。
なのに、ものすごく遠い記憶に感じてしまう。
あまりにも、多くのことがありすぎて――。
【沙里】物語のはじまりの街。あの頃のはるかは、こんな遠くまで旅に出るとは夢にも思っていなかった。
【柊】はるかに懇意にしてくれていた野菜屋・絹代の一人息子。はるかを子分と呼んで懐いていた。




