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壱・憶夢



――また、昔の夢を見ている。


 傍にいる――前を歩いている男を、子供の目線で見上げる秋良。

 この頃は、まだ十歳になったばかりだった。


――現在(いま)は……川からはい上がって、その後どうなった?


 魔竜の乱による守護石破壊の影響で、村周辺に現れる妖魔の数は年々増えていた。

 旅の途中に立ち寄った男は剣の腕が立ち、村長のたっての願いで村に滞在することとなった。


 彼は兄・春時(はるとき)の剣の師匠となり、すぐに秋良も師と仰ぐようになった。それから二年。

 兄妹とは二周り近く年が離れていたのではないだろうか。両親を早くに失ったふたりは、彼を兄のように父のように慕っていた。


――そうだ、この日は……妖魔が出たという橋周辺の見回りに出かけたんだ。


 しかし妖魔の痕跡は欠片もなく、猟師の見間違いだったという結論に至った。


 妖魔などいないほうがいい。

 理屈ではわかっていたが、正直残念な気持ちでいた。

 せっかく『筋がいい』と誉めてもらった剣の腕を、実戦で見てもらう機会を逃してしまったのだ。


 うつむいたまま後ろを歩いていた秋良は、顔を男の背にぶつけてしまう。前を歩いていた彼が、急に立ち止まったのだ。

 しかし開いた口からは、言ってやろうと思っていた文句の一言も発せられなかった。

 いつもは温和な印象を与える彼の青藍の瞳は、かつてない厳しさを持って前方――村の入口を見つめていたからだ。


 秋良の心は言い知れぬ不安にとらわれた。

 それを察したのか、彼は膝をついて目線を合わせた。


「秋良」


 彼が名を呼ぶ。声ににじむ優しさと思いやりに、不安にさざめく心は落ち着きを取り戻していく。


「妖魔相手には戦えなかったけど、ひとつ訓練をしよう」


 彼は笑顔でそう告げた。


「僕が戻ってくるまでの少しの間、秋良はひとりだけでここにいるんだ。できるかな?」

「簡単だよ、そんなの」


 彼は満足そうに頷いて立ち上がった。


「じゃあ、はじめよう。僕が戻ってくるまでだよ、いいね」


 もう一度念を押して、彼は村へと歩き出す。

 後ろで束ねた榛色(はしばみいろ)の髪が揺れる背中を、入口奥に消えるまで見つめていた。


――ああ、この時。ついて行ったなら……いや、この時の自分に何ができた?


 それからほんの数分過ぎた頃。

 良く晴れていた空は、突然湧き出した重く黒い雲に覆われ始めた。雨が降ろうとしているのか、風向きもわずかに変わる。

 そのとき、村の方から漂ってきた微かな臭い。

 猟師達が獲物を捌いているときの……血の臭いだ。


 気づくが早いか、村へ向けて走り出していた。


 きっと先生はそれに気づいたから、自分を残して村へ向かったのだ。

 あれだけ離れていてもわかるほど、濃い――つまりは大量の血の臭い。


 村に立ち入った瞬間、抱えていた不安は想像を絶する現実として突きつけられた。

 視界を埋め尽くす一面の赤。

 その中には黒い塊が点々と散らばっている。


 悲鳴を上げることすらできなかった。

 声を出すことができない。

 呼吸することすらままならず。

 震えて言うことをきかない足を無理やりに動かして、村の奥へと進む。


 黒い塊は、村のいたるところに転がっていた。

 ある者は手足がなく。

 ある者は横に、ある者は縦に寸断され。

 ある者は原型も留めないほど――。


 勇気を振り絞って、開け放たれた家々を見て回る。

 鼻をつく血の臭いにむせ返り、吐き気を催しながら、すべての家を回った。


 誰も――誰ひとり、生きている者はいなかった。

 家族同然に暮らしていた人たちの、あまりに無残な姿が眼に焼きついて離れない。

 大人でも正視しがたい亡骸を、手足を赤く染めながら。それでもひとりひとり確認していった。


 村の一番奥にある村長の家が最後だった。

 これで、村ににいるはずのすべての人を探し当てたことになる。村に入った先生と、村に残っているはずの春時を除いては。


 ふたりはまだ生きている。


 安堵に緩んだ心に、するりと忍び込む影。初めて、自分がその場所にいるということの意味に気がついた。

 もし、みんなをこのような姿に変えた『もの』が、まだ村の中にいるとしたら。


 かつて感じたことのない恐怖が全身を貫いた。

 今、すぐそこに散らばっている村長夫婦のように。

 自分など、それ以上に簡単に、ばらばらにされてしまうだろう。


 あたりをしきりに見回す。

 村長の家の中には、それらしき気配はない。

 立ち上がり、音を立てぬように扉へ向かった。


 いきなり外に出るようなことはしない。

 息を殺して、外の音を探る。

 風の音。風に木々がざわめく音。開け放たれた扉が揺れて軋む音。


 それに紛れて聞こえた気がした、先生の声。


 限界だった。

 声がしたと思われる方へ、なりふり構わず走り出す。

 地を蹴る足が赤い液体をはねて立てる音を構う余裕もない。


 声がしたのは村長宅の裏手からだった。今は声の代わりに剣戟の音が響き始めている。

 全速力で走っているつもりなのに、まるで前に進まない。空気が身体に重くまとわりつく。それを両手でかき分けながら。

 草や石に足をとられ、幾度となく倒れ、それでも走る。


 目指す場所は近い。刃と刃がぶつかり合う音が近づいてきている。

 足を止めた。

 剣戟の音が止んだからだったか。それとも、その光景を見たのが先だったか。


 小さな環状の山が築かれていた。

 それは生き物のような赤黒いもので形作られている。

 赤黒い輪の中央にたたずむ、自分以外の命ある存在。

 振り向いた、その姿――。


 信じられない。


――信じたくなかった。


 返り血なのか、全身を真紅に染め。右手には同じく朱に染まった刀が下げられている。

 ぐったりともたれかかる春時を空いた片腕に抱え、こちらを振り向いた。

 色素の薄い髪の下からこちらを射抜く、白刃のように冴え冴えと冷たく鋭いその瞳。

 この世のものとは思えないほど峻烈で、眼が合っただけで魂を奪われてしまいそうな――。


 先生、どうして……。


 声にならない問いかけが、口元から零れ落ちる。


 刹那、自分の胸元で光が閃いた。

 一瞬遅れて吹き上がった鮮血が視界を塞ぐ。


 忘れようとしても忘れられない、忌まわしい過去の記憶。

 忘れられないのは、こうして幾度も夢に見るからなのか。

 忘れられないから、夢に見るのか――。


 幕が下りるようにすべてが闇に塗られて。

 当時の自分の意識が、途切れる。


――夢はいつもここで終わり。今の自分が目覚める。


「――良、秋良!」


 遠のきかけた意識が、名を呼ぶ声に引き戻される。

 目の前には自分と同じ鳶色(とびいろ)の瞳が、近距離からこちらの瞳を覗き込んでいた。


「あ……っ!」


 思わず飛び退った。


 息もできないほど立ち込めていたはずの血の臭いは消えている。すぐそこにあった赤黒い山もなく、今にも降りだしそうな曇天は抜けるような青空を取り戻していた。

 自らが受けたはずの致命傷も、跡形もなく消え去っている。

 動揺を隠せない秋良の様子を驚いて見つめる春時にも怪我ひとつない。


「どうしたんだ、秋良」

「な……どうなって――」


 秋良は思わず走り出した。子供の足は思うより遅い。

 春時に背を向け、村長の家を回りこみ村へ出た。

 あの悪夢のような出来事などまるでなかったかのように、のどかな村の光景が広がっている。


「秋良?」


 立ち尽くす秋良の背中に、追いついた春時が声をかける。

 秋良は渦巻く感情が胸の中で飽和し、とるべき表情もわからないまま振り返った。


「先生は……」

「何言ってるんだ、先生は昨日この村を発ったじゃないか」


 春時は秋良の言葉に戸惑い、困ったような笑みを浮かべた。

 秋良は無言のまま、力なく首を横に振る。


 そんなはずはない。あの事件が、すべての始まりだったのだ。


「それに、これは――」


――夢……自分は夢を見ていて……。


「いいから、早く行こう。(りく)おじさんが呼んでるから探しにきたんだ」

「え……」


 春時は秋良の手を引いて村の入り口へ向けて駆け出した。 手に伝わる春時の確かなぬくもりが、秋良の中に渦巻くものを溶かしはじめる。

 溶け出したそれは、すぐに疑問とも感情ともわからないほど小さくなっていく。


 目覚めたとき、それまで見ていた夢を忘れてしまうように。

 秋良の中にあった違和感の欠片は完全に溶けて消えた。



新章開幕です。

2024年最後の更新、ここまで読み進めていただきありがとうございます!

更新ののおやすみ、遅延も少しありましたが、ここまで続けてこれたのは読んでくださるみなさんのおかげです。

本章も楽しんでいただけるようがんばりますので、よろしくお願いいたします!

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