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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
漆・秘められた過去
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玖・率爾 後



 はるかは仰向けに倒れた薫路(こうろ)の両肩を地に押さえつけ、声を上げる。


「秋良ちゃんはどこ!?」

「な……放しなさいよ!」


 言い終わるが早いか否か、地面から黒いものがうねりあがる。薫路が影に呑みこまれ消えた。はるかの手は地面をつかむ。

 薫路は数間離れた岩影へと移っていた。


「な、なんなのいきなり……っ」


 動揺が冷めやらぬ薫路へ、(みどり)が迫っていた。横に一閃薙ぎ払う。

 薫路は音も立てずに身を宙に舞わせた。刃は薄絹の端をかすめて虚空を斬る。

 追って振り仰いだ翠だが、薫路の姿はない。


 翠の背後、離れた木影へ移ったその時。突如として腹部に受けた打撃。木の幹に激しく背中を打ちつけた。

 そこに現れることを正確に予期していなければ成しえない。身体の中心を捉えた打突。


 むせ返り、幹に背を預けたままへたり込む薫路にかかる重圧。鎖骨の下辺りに乗せられた足が、身体を木の幹に押さえつけていた。

 咳きこみ、くらむ眼でその元をたどる。


 左足で押さえつけながら、抜き身の刀身を薫路の左肩口に当てている。

 風に金茶色の髪を舞わせ、その奥から薫路を見下ろすのは激しい感情を漲らせたふたつの紫水晶。

 鬼気迫る形相に宿る双眸は、とても同じ人物のものとは思えなかった。


 その口唇が、短い言葉をつむぐ。


「秋良ちゃんは?」


 至近距離でその眼差しに射抜かれている薫路は、動けずにいる翠と冴空(さすけ)以上の驚愕に囚われていた。

 薫路の中で薄氷のように張り詰めていくものが、心を、身体を麻痺させていく。それが恐怖という感情であることを認めたくなかった。

 ゆえに、顔に固まった表情を無理に剥がして笑みを浮かべる。


「簡単に教えるとでも思って――」


 その声は呼吸と共に呑み込まれ。体内に取り込まれた呼気は、悲鳴となって山中の空気を振るわせた。

 はるかは刀の柄を握り締めた両手に、再び力を込めた。肉を裂き刃が埋まる感触が手に伝わる。

 鮮紅色の飛沫がはね、悲鳴をあげる薫路の白い頬に点々と染みをつくった。

 それでも、はるかは力を緩めない。薫路を見下ろす燃え盛る瞳とは裏腹に、静かな、しかし鋭い刃を含んだ声が問いを繰り返す。


「秋良ちゃんは、どこ?」

「な、南東へずっと行ったところよ。崖の下、ずっとまっすぐ行けば川がある。そっちの方へ――」


 悲鳴混じりの早口で薫路が言うと、じわじわと肌を割っていた刃は素早く抜き取られた。同時に傷口から血があふれ出す。

 肩を押さえ、よろめき立ち上がる薫路を見ることもなく。はるかは走り出していた。


「待て、はるか!」


 翠がはるかの後を追って駆ける。

 あわてて冴空もそれに続く。が、


「あ、あの娘っこは――」


 はっと振り返る。すでに薫路の姿は跡形もなく消え去っていた。



 薫路は、影を渡って遠く離れていた。

 左肩に受けた傷は深い。すでに回復を始めているものの、未だに出血は止まらない。完治までには数日かかることだろう。


「いっ、たぁい!! 痛いわ、痛すぎるのよ! こんなひどい傷を、よくもつけてくれたわね稀石姫(きせきのひめ)!」


 薫路の金切り声に驚いた小鳥が数羽枝を離れる。


 小さな身体の内には、溢れんばかりの激情の塊が渦巻いていた。

 油断していたとはいえ、薫路の力を凌駕する稀石姫の力。何よりそれに対する恐怖を抱かされた屈辱。

 薫路は肩を押さえながら周囲を見回した。頬に受けた血飛沫をぬぐいもせず。


無月(むげつ)ったら、どこにいるのよ。もう始末し終わったんじゃないの!?」


 抑えられない怒りを多分に含んだつぶやきをこぼし、薫路はそれらしき方向へ進む。

 見つけた気配に走り寄って見たものは、思いもよらぬ光景だった。


 人影は無月ではなかった。


 細身長身のその男は、双月界(そうげつかい)に見られる一般的なものとは異なる意匠の服を身に着けていた。あえて分類するならば、竜人族や妖魔六将に近い。

 その黒い衣服の上に純白の長い羽織を引っ掛けているという、一風変わった身なりの男だ。

 何より、ゆったりと束ねた限りなく白金に近い榛色(はしばみいろ)の髪と、白い肌に映える深紅の瞳が男の存在を際立たせていた。


「あんたは……」


 つぶやき、薫路は無月の姿を見つけた。

 無月は、その男の足元にうつぶせに倒れたまま動く様子がない。

 状況がつかめず用心深く男を注視する薫路に、男は言った。


「彼をつれて、すぐ月樹界(げつじゅかい)に戻りなさい」

「は?」

「面が割れたためだろう。これ以上双月界にいると命にかかわる」


 やや低めの柔らかな声色。男の紅い瞳が、足元の無月に向けられた。無月の顔は真新しい面で覆われていた。彼を連れてきたこの男が用意したのか?

 薫路はそんな男を鋭くにらみつけた。ただでさえ思うように事が運ばない中、なぜ他人に命令されなくてはならないのか。


「嫌よ、なんであたしが」


 吐き捨てるように言い、顔を背ける。


 すると一瞬の間を置いて、草を踏む音が近づいてきた。薫路の足元に、どさりと無月の身体が横たえられる。

 反射的にそちらに視線を落とし、見上げた薫路の碧い瞳に深紅の眼差しが降り注いだ。


 血の海を連想させる瞳。その紅の深さに、一瞬呼吸を忘れた。

 

 男の手が薫路の左肩に触れる。

 ひやりと冷たい感触。傷口に直接触れているにもかかわらず、微塵も痛みが増すことはない。

 それどころか次第にほのかな暖かさすら感じ、そのぬくもりに傷の痛みが解けるように消え去っていく。

 手が離れたときには、かすかに傷跡が見て取れる程度にまで回復していた。


 男は傷跡を確認し、再び薫路を正面から見つめた。


「今すぐに、彼と月樹界に戻るんだ」


 静かな物言いであるにもかかわらず、言下に流れる有無を言わさぬ響き。

 薫路はため息をついて、投げやりに言い放つ。


「わかったわよ、行けばいいんでしょ行けば!」


 右足が悔し紛れに地面を踏みつける。

 踏まれた木の影が驚いて飛び起きたように持ち上がり、薫路と無月を包み込んだ。


 黒いうねりが地に横たわる影に戻り、薫路と無月の姿はなくなっていた。


 それを見送ることなく。

 男は背を向けて歩き出していた。

 彼を待つ者の元へと――。



【月樹界】双月界では魔界と呼ばれている妖魔たちの世界。双月界の地下深くにあり、ふたつの世界を繋ぐ六つの穴は守護石で封じられていた。


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