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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
漆・秘められた過去
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伍・雲影


 はるかは旅支度を整えた姿で番台前の広間へ出た。番台奥から初老の女将が顔を出す。


「出発かい? 今日は顔色もいいみたいだね」

「うん。女将さんにはお世話になりました」


 はるかはぺこりと頭を下げた。

 当初は一日の滞在予定だったが、はるかの発作により大事を取った。たった三日だが、親身にしてくれていた女将との別れは名残惜しく感じてしまう。

 女将も孫に向けるような眼差しではるかを見つめた。


「もっと休んでいって欲しいけれど、日方山(ひかたやま)へ向かうなら街を出られなくなる前に発たないとね」

「え?」

「この国の守護石がなくなってから、風裂(かぜさき)の街が冬に閉ざされるのも年々早くなってるのさ。身体に気をつけて、無理をするんじゃないよ」

「うん……?」


 はるかが女将に疑問をぶつける前に、秋良(あきら)(みどり)が広間に出てきていた。


「じゃあ、女将さんも元気で」


 ふたりに続いて宿の入口を出る前に、はるかは女将に笑顔で手を振って見せた。

 向かった風裂の西端は、日方山への登山道へと続く。

 このあたりは秋と言うにもまだまだ温暖な気候だ。陽昇国(ひいづるくに)に比べれば緑繁国(みどりもゆるくに)風翔国(かぜかけるくに)も暖かい。特に西側に近づくほどに、季節を遡っていると錯覚するほど暖かく感じる。


 それゆえ女将の言葉に浮かんだ疑問を、はるかは共に歩くふたりに投げかけた。


「ねね、女将さんに言われたんだけど。冬になると風裂の街を出られなくなるの? こんなに暖かいのに、冬がすぐってどういうこと?」


 すると先頭を行く翠がわずかに振り向いた。


「冬になれば、風裂は陸の孤島と化す」

「りくの……?」


 首を傾げるはるかに、背後から秋良の面倒そうな声が答える。


「風翔国の西は火燃国(ひかがるくに)に接しているから基本温暖だが、風裂のある谷は冬になると激しい突風に見舞われる。東側から風裂の谷に向かう山道は、俺たちが通ってきた細い岩の橋だけ。そこに突風が吹いてみろ」

「あ……」


 はるかは裏葉山(うらはやま)で通った道を思い出す。

 人がふたり何とかすれ違える幅の岩が、谷を渡る橋のように続く細道。左右は渓谷を遥か眼下に見下ろす断崖。激しい突風にあおられたら、足を踏み外しかねない。


「西側の洞穴も突風が呼ぶ雪と氷で埋まっちまう。それらが周囲の暖気をさえぎって、風裂の谷だけに厳しい冬が訪れるってわけだ。いまから入るのが、その雪締門(ゆきじめのもん)だ」


 岩山を人の手でくりぬいた五間程の洞穴は、先人が切り拓いたのであろう。これだけ掘るのに、どれだけの年月を費やしたのだろうか。

 はるかはその岩肌に触れてみた。少し湿った感じもする岩肌は長い年月に侵食され、なだらかな曲線を形作っている。

 その洞穴を渡り終えると、また少し暖かくなったような気がする。


「こんなに暖かいのに雪が降るなんて、ほんとう?」


 はるかが振り返ると、秋良は視線は足元へ向けたまま答える。


「日方山が活火山で、その地熱があるからな。俺も冬の風裂にいたことはあるが、到底住めたもんじゃねぇよ」

「でも、街の人たちはみんな風裂を離れないんだね」

「街にいた若い連中は旅人か行商人だ。村の若者のほとんどは、山を降りた街に出稼ぎに行ってるのさ。戻らない奴だっているだろうな」

「そうなの?」

「……だからこそ、残っている側は風裂から離れられないんだろうな。出てった奴等が帰る場所がなくなる」


 その秋良のつぶやきは、注意していなければ聞き取れないほど小さなものだった。

 はるかは聞き逃さず、小さく口元をほころばせた。

 本当に、ごくごく稀にではあるが秋良の口をついて出ることがあるのだ。本人さえも気付かぬうちに、ほんのわずか顔をのぞかせる。張り巡らせている冷たい氷の水面の奥底に、彼女が押し込めようとしている暖かさが。


「帰る場所、かぁ」


 はるかも小さくつぶやいてみる。

 暁城(あかつきのしろ)にいるみんなは元気にしているだろうか。

 厳しくも優しく民を束ねる三長老。兵たちの先頭に立ち暁城を護ってくれている白銀(しろがね)。どこか抜けているけど気立てのいい(すもも)。彼女は、今も相変わらず侍従長に怒られているのだろうか。

 陽昇国を離れてから、ひと月が経とうとしている。たったひと月の間に、ずいぶんたくさんのことが起きた。


 そして、たくさんの命が失われた――。


 緑繁国での戦いは、失うものが大きかった。

 栞菫(かすみ)の記憶にある魔竜の乱に比べれば小さなものかもしれない。それでも、はるかの心には大きな穴を残している。


 守護石が破壊され、神木跡地の中心に大きく口を開けた深淵は、目に見えぬ壁により封じられていた。風凛(ふうり)の施したものなのだろう。彼女の玻動(はどう)を感じるその結界により、魔界へと通じるという穴からこちら側へ妖魔が流れてくることはないはずだ。

 だとしたら、陽昇国の守護石は? たくさんの妖魔が通り抜けてきてしまったら、陽昇国は――。


「何ひとりでにやけたり青くなったりしてんだよ?」

「あうっ!?」


 秋良に後頭部を小突かれてはるかは思考の渦から抜け出した。心の半分をまだ渦に引きずったまま、力ない笑みを浮かべる。


「ちょっと、暁城のことを思い出してたの」

「心配は無用だ」


 顔を上げると、先頭の翠がこちらを振り向いていた。


「陽昇国の守護石跡は三長老の結界に護られている。城を含め陽昇国内は有事の際にも問題なく対処できるはずだ」

「うん……」


 それもわかってはいるのだが、やはり陽昇国と自分との距離が不安を募らせる。そんなはるかに翠はこう告げた。


「暁城には白銀がいる。奴がいる以上憂えることはない。……俺は、そう思っている」

「翠くん……」

「俺たちには俺たちのやらなくてはならないことがある。そのために、皆が送り出してくれたのだ」


 はるかは口元をきゅっと結んでうなずいた。

 翠だって陽昇国のことは心配なのだ。だからこそ、彼は前を見て進んでいる。栞菫の核を見つけ、記憶と力を完全に取り戻すことが、きっと……護ることにつながる。

 再び歩き出した翠の背を追うように、はるかも歩き出す。


「私、もっと強くなりたいなぁ。私の好きな人たちをみんな、護ることができるくらい」


 今の自分では、自分自身を護るのがやっと――いや、妖魔六将を相手にしたらそれすらも危うい。

 もっと、力をつけなくては。


「秋良ちゃんに何かあった時は、私が護ってあげるんだ」

「ああ」


 はるかは歩みを止めず秋良を振り向いた。


「秋良ちゃん、聞いてる?」

「ああ」


 思わず立ち止まったはるかにぶつかり、秋良も立ち止まる。


「何ぼやっとしてんだよ、早く歩け」

「あ、うん……」


 はるかは歩き出しながら首をかしげた。

 口に出してしまってから失言に気付いたが、『護ってあげる』などと言えば秋良の気に障るに決まっているのに。

 ぼやっとしているのは、秋良のほうだ。うわの空で、はるかの言葉を聞き流していたのだろう。


 このところ、秋良はいつもと様子が違う。

 先日翠と言い合っていたことも関係しているかもしれないが、きっとそれだけではない。

 なんとなくおかしいと思い始めたのは、木霊森を出た頃なのだ。ここ数日で、それは確信に変わっていた。


――なにか、私にできることはないのかな……?


 秋良に聞いたところで、何も語ってはくれないだろう。

 心の中に鈍くわだかまる重さを抱えながら、はるかは山道を歩き続けた。



【双月界の気候】大陸から離れた陽昇国は四季がはっきり分かれている。中心部の守護石周辺に限り、火の妖魔六将・緋焔を封じていた影響で砂漠化していた。大陸は緩やかではあるが四季がある。日方山火口を中心とする火燃国は年中常夏。湾を挟んで北部にある水流国は年中氷雪に包まれた冬の国。


【暁城の今】三長老が結界保持のため交代で彩玻動を送っている。白銀は城内と国内、特に守護石周辺の警護を管理。諜報隊は副隊長の双子、萌葱・浅葱を中心に陽昇国内及び各国の情報収集と翠との定期連絡を担当。李は今日も侍従長に怒られている。



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