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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
漆・秘められた過去
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肆・風波 後



 秋良はぎり、と奥歯を噛んだ。


 秋良の人生を大きく変えたあの日。それから苦難を乗り越えて、ひとりで歩き続けてきた。

 自分ひとりで切り抜けられないことはなかった。

 荷物を狙う野盗や道中襲い来る妖魔にも、秋良に敵うものはいなかった。

 どんな苦境に立たされても、両の手に握った一対の小曲刀で切り抜けることができる。


 それは斎一民(さいいつのたみ)の中でだけの事と思い知らされた、想定外な敵の強さ。


 今まで培ってきた自信が、自らの力が、全く通用しないという事実。

 それを、他人の言葉によって突きつけられるという屈辱。


「足手まといだって、そういうことかよ……!」


 獣のような鋭い光を宿す瞳は(みどり)へ向けられたまま。うなるような声がこぼれる。


 翠が口を開きかけたその時、彼の視線は秋良をわずかにそれた。

 たどって振り向いた秋良は、路地にぽつんとたたずむ姿を見つける。

 はるかの、心細そうな表情がそのまま溶けた声が路地に反響する。


「ふたりとも、何でけんかしてるの?」

「なんでもない」


 秋良の口から発せられた声は、感情を抑え絞りだされたものだった。

 再び視線を翠に向け、秋良は抑揚なく言う。


「俺が行動を共にしているのは、運び屋の仕事として受けた旅だからだ。一度受けた依頼は、絶対に投げたりしない」


 秋良は、はるかの方へ歩み寄る。

 笑顔で口を開いたはるかの横を、するりと抜けていく。

 はるかは慌てて呼びかけた。


「秋良ちゃん、どこに行くの?」

「宿に戻る」


 短い答えを残し、秋良は空き地に来た時と同じように、足早に歩を進める。


 考えないではなかった。

 現に今朝だって、その思いはよぎっていた。

 このまま共にいては、戦いの中で命を落とすかもしれない、と。


 秋良の目的と、はるかたちの目的は別のところにある。あの男を見つけ出すことなく倒れるくらいなら、道を分つべきではないのか――。


 まるでその考えを見透かしたかのように、あの男は……。


「くそっ」


 いらだちが小さく口をついて出た。

 そもそも、自らの感情にこんなに振り回されることなどなかったはずだ。はるかと出会う前までは――。

『何が』と特定できないほど、もつれた己の心中がとにかく腹立たしい。


 翠の言葉に従うわけにはいかない。

 自分の弱さを、自分の力が及ばないと、認めることなどできないのだ。

 強く、常に強く在らなくてはならないのだから。






 暗い路地を抜けて通りへと消えていく秋良の後姿を見送り、はるかは溜息をついた。

 追うことができなかった。彼女の背中が、全てを拒絶しているような気がして。


 どのようなやりとりが秋良と翠の間にあったのか。

 気にならないわけはない。むしろ今すぐ知りたいと、その思いがはるかを占める。

 しかし秋良の後姿が、翠へ問うのをためらわせた。言いかけた言葉を、直前で別のものにすり替える。


「翠くん、来ちゃったんだ」

「……すまない」

「あ、やや、そうじゃなくてっ」


 はるかは慌てて両手を振った。

 翠ならばそう返してくると、少し考えればわかるはずだったのだ。


「ごめんね、私が宿から出るって言っていけばよかったんだよね」

「無事ならばそれでいい」

「うん……戻ろっか。秋良ちゃんも見つかったし」


 あえて元気にそう告げて、はるかは勢い良く路地を振り返った。


 今のことはひとまず忘れよう。

 知る必要のあることなら、後からでも翠が知らせてくれるはずなのだ。


 細く暗い路地を抜けると、空き地の静けさが嘘のような喧騒がまとわりつく。

 賑わう人混みのざわめきや店からかかる呼び声の中を、はるかはすいすいと進んでいった。

 後から追う翠は、ある店の前で足を止めた。はるかがそこに座り込んでいたからだ。


 その店は天幕もなく、地面にやや厚手の敷物を敷いただけの簡素なものだった。

 敷物の中央に座る小柄な老婆が、両の手にすっぽり納まる水晶球を手に座っている。

 深く刻まれた皺に隠され、眼が開いているのかどうかすら定かではない。衣服にはこの地方に良く見られる紋様が刺繍されている。


 はるかは老婆の正面に膝をつくようにして座り、身を乗り出して話しかけた。


「おばあちゃんの占いって、すごいね! 見つかったよ、秋良ちゃん」

「そうかい。そりゃあ、よかった」

「お礼しなくちゃ」


 はるかが腰に下げた小袋を探ろうとすると、老婆は震える皺だらけの手をはるかの腕に置く。


「ええんじゃ。あんた、亡くなった孫に似ておる」


 言って、老婆は小さな鈴を取り出す。輪になった紐の先を持って鈴を目線に掲げ。はるかの腰帯の留め紐に、それをくくる。


 渋めの紫と赤の糸で編まれた紐の先に、燻した銀色の鈴が付いている。良く見ると、鈴にも細かな紋様が掘り込まれていた。

 はるかは不思議に思い鈴を揺すってみる。老婆が持っていた時と同じく、音は鳴らない。中で玉が転がる手ごたえがあるだけだった。


「もらっていの?」

「危険が迫ると音が鳴る。お守りじゃ、持ってお行き」

「ありがとう。じゃあ、これ……」


 はるかは懐から小さな油紙の包みを取り出した。

 秋良を捜し歩いている間に、我慢しきれずに買った揚げ饅頭の残りひとつが入っている。一瞬眼を閉じ、未練を振り切って老婆の膝に乗せた。


「美味しいから食べて。じゃあね」


 立ち上がり手を振ると、はるかは宿へ向けて歩き出した。

 翠も老婆に一礼し、後に続く。

 ふたりの姿はすぐ人に紛れて見えなくなる。


 老婆はのそりと立ち上がった。手には水晶と揚げ饅頭の包みを持ったまま。引きずった両足による歩みは遅い。

 祭の賑わいと雰囲気に呑まれた人々は、小柄な老婆がすぐ近くにある細路地へと消えるのを気に止めることもない。


 細路地は、両脇に建つ壁によって影に包まれている。

 暗い中を変わらぬ歩調で進む老婆は足を止めた。

 ぞぷり、と。影が――闇が持ち上がる。

 老婆の周囲全てを取り囲み、頭の上で輪を閉じる。そのまま闇は老婆に降りかかった。


 闇は何食わぬ顔で影へと還っていく。

 緩やかに波打つ銀の髪が宙に舞う。老婆がいたはずの場所に立っているのは、十歳そこそこの少女だった。

 華奢な身体を、闇を仕立てた黒い衣服が包む。上から羽織った薄布から、白い肌が多く露出しているのが透けて見える。


 足元から立ち上がった闇は、老婆そのもの。闇が老婆を形作っていたものを、少女が脱ぎ捨てたのだ。

 手にしていた水晶も闇に還した。小さな片手に握られているのは、はるかから受け取った揚げ饅頭の入った包み紙だけだ。


 それを見つめて細めた碧眼は、笑みの形に見えた。

 彼女は手から力を抜く。自然、包み紙は手からこぼれて落下する。

 地面へ衝突した瞬間、少女の足がそれを踏みにじった。

 包み紙から無残につぶされた揚げ饅頭がはみ出し、肉を主体とした具がさらされる。

 その様子を見下ろすこともない。少女の無邪気な笑顔はほかへ向けられていた。


「良い旅を。稀石姫(きせきのひめ)……」


 幼い声に宿る妖艶な響き。

 薫路(こうろ)のささやきは通りからの喧騒にかき消された。




【斎一民】風翔国を治めていた種族。ファンタジー世界での人間に相当する。戦闘能力値は六種族中最弱だが、のびしろは六種族一。


【揚げ饅頭】小さな肉まんを油で揚げたもの。風翔国で人気の高いおやつだった。斎一民が各国に散ってからは国ごとに具の組み合わせに特色が見られる。


【薫路】竜人族の砦から良夜を脱出させた少女。はるかへの贈り物に込められた意図は……?



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