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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
漆・秘められた過去
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参・逡巡


 秋良は宿の部屋に戻り、寝台に腰掛けた。

 鎧戸は閉じられたまま。隙間から差し込む陽光が壁に白い横線を等間隔に描いている。


 左の腰に帯びた小曲刀を抜き放ち、差し込む光に掲げる。

 緩やかな曲線を描く刀身。(しのぎ)に沿うように彫られた流線型の紋様。華やかさはないが機能美を感じさせる。

 ただひとりの肉親である春時()が残したものだ。


――俺は何をしている?


『はるかとそのお供を、巡礼の儀を行う守護石の元へ運ぶ』

 経緯はともあれ、仕事として請負いはした。だが自分が陽昇国(ひいづるくに)を出たのは、そのためではなかったはずだ。


 本来の目的は、あの男を見つけて春時を取り戻すことだ。

 あいつが、あの村を、兄を、あの穏やかな暮らしの先にあったであろう未来を。

 全て、奪っていった。


 小曲刀の柄を握る秋良の指先が白くなる。込められた力は、未だ行方の掴めぬ敵へと向けられた怒りと憎しみ――。


 陽昇国へ落ち着く前も方々を探し渡ったが、男の行方は知れず。今も何の当てがあるわけでもない。

 だからこそ、各国を回る巡礼の儀は秋良にとっても都合が良かった。


 それに、はるかも先程言っていた、暁城(あかつきのしろ)で聞いた言葉。


――秋良ちゃんとここでお別れするのは嫌なんだ。どうしてかは、わからないけど、だからなおさら。

わからないままお別れしたらね、ずっとわからないままだと思うから。わからないままなのは嫌だから。


 それを聞いて、秋良も理由を知りたいと思った。


 あの日、はるかを砂漠で拾ってから、なぜ近くに置いてきたのか。

 ずっとひとりだった。ひとりだからこそ、生きて来られた。

 なのに、なぜ?


 まだ答えは見つかっていない。だが、行動を共にしていていいのか?

 このままでは――。


 秋良の思考は、室外からのざわめきに遮られた。重い腰を起こし、扉を開ける。

 秋良が先刻歩いてきた廊下の途中に数人が集まっていた。その足元に、床に散らばる小さな黒い木の実と、それが入れられていた小籠が転がっている。

 見覚えのあるそれに、秋良は反射的に駆け寄った。


 はるかは床にうずくまるように横たわっていた。横顔は苦しげに歪められ、両の手は胸元をきつく握りしめている。

 金茶色の髪を床に舞わせて、浅く不規則な呼吸を繰り返す。顔色はすっかり血の気が引いていた。


「おい、はるか?」


 膝を折り声を掛ける。

 はるかは何かを呟いた。口元に耳を寄せた秋良は、その言葉を聞いて怒鳴りつけた。


「そんなんで大丈夫なわけあるか、馬鹿!」


 騒ぎを聞きつけた初老の女将が奥から駆け寄り、倒れたはるかの姿に血相を変える。


「い、今お医者様を呼びに行かせるから」

「その必要はない」


 女将の言葉を遮った声の主は、倒れたはるかを軽々と抱え上げた。女将ははるかの連れであるその男に反論する。


「だけど、本当に大丈夫かい?」

「少し休めば回復する。お気遣い感謝する」


 心配そうにはるかを見やる女将に、(みどり)は軽く頭を下げると足早に宿の奥へと向かう。秋良が開け放したままの部屋だ。

 秋良が後を追って部屋に入り扉を閉める。はるかはちょうど寝台に寝かされたところだった。

 はるかの様子に変化は見られず、未だ苦しみ続けている。


「おい、どうなってんだ?」


 秋良が詰め寄るが、翠は首を横に振った。


緑繁国(みどりもゆるくに)の守護石が破壊された今、双月界を巡る彩玻動流(さいはどうりゅう)は乱れ、拡散してしまっているはずだ。加えてこの風翔国(かぜはしるくに)は、かなり前に守護石を失っている。彩玻動の弱さが原因なのか……」


 そう言う翠は、いつもと同じく平静な表情をしている。しかし語調はいつもよりも速く、内心の焦慮を感じさせた。


 原因はわからない。翠が言っていることも推測でしかないのだ。

 かといって珠織人(たまおりびと)の身体を斎一民(さいいつのたみ)の医者に診せたところで、どうにもできないだろう。


「……に、……ぶ、から」


 寝台に横たわるはるかが、荒い呼吸の合間に何事か呟いている。

 秋良が近寄ると、はるかは薄く紫水晶の瞳を開いた。


「大丈、夫……少し、休めば……」


 はるかは無理に大きく息を吸い、吐く。それを数回繰りかえすうち、僅かではあるが頬に赤みが差してきた。胸元を掴む手も緩んでいく。

 数分後、はるかは長い吐息とともに、力の抜けた全身を寝台に仰向けた。

 寝台を見おろすふたりに、気だるさが残るものの確かな微笑を見せる。


「もう、治まったよ」


 その時、部屋の扉が叩かれた。扉越しに、心配そうな女将の声が掛けられる。


「大丈夫かい? お水持って来たけど、いらなかったかねぇ」

「お水、飲みたいかも」


 はるかの小さな声は女将には聞こえない。代わりに秋良が部屋の扉を開けた。

 女将は水差しと器を載せた盆を持ち、寝台に近づく。

 重そうに上体を起こしたはるかの背中に枕を入れてやりながら、女将ははるかの顔色を窺った。


「少し良くなったみたいだね。ごめんなさいねぇ、あたしが木の実採りなんてお願いしたから」

「ううん、気にしないで。木の実採りのせいじゃないんだ。今までにも何回かあったから……」


 途中まで言いかけてから、はるかははっと口をつぐんだ。

 女将ははるかに水を注いだ器を手渡した。


「朝食は部屋に運ばせるようにするよ。食堂まで来るのは辛いだろう? お連れさんの分も、ここに持って来させるからね」


 はるかの額に浮いた汗を拭いてやりながら、そう告げて女将が部屋を去る。

 その直後に翠も扉へと向かう。


「諜報隊員に連絡を取ってくる」


 それだけ言い残して部屋を後にした。はるかのことを報告するのだろう。


 秋良は窓際に歩み寄り、閉じられたままだった窓と鎧戸を開け放つ。

 部屋の中に朝の光とともに山の清い空気がふわりと入り込んだ。


「朝ごはん、楽しみだね~。私お腹すいちゃった」


 いつもの台詞が飛び出すということは、本当に回復したのだろう。

 秋良は窓枠に浅く腰掛けるように寄りかかると、腕組みをしてはるかを見た。


「で? 今までにも何度かあったって?」

「えっと、まぁ、あったような、なかったような……うん、何回か!」


 歯切れの悪かったはるかだが、秋良の握り拳を見たとたんにあっさりと白状した。


 秋良は溜息をつく。

 何故言わなかったかは、聞かずとも分かる。今更それをとやかく言っても仕方のないことだ。


「あれ、秋良ちゃん。そんなのつけてたっけ?」


 はるかの言葉に、秋良は紫水晶の瞳が見つめる先をたどる。行き着く先は秋良の右腕だった。上腕部にはめられた、細い金の腕輪。


「前からつけてるだろ」


 くだらない、と顔に大きく貼り付けて秋良が言う。


 陽昇国を出てから、特に火燃国(ひかがるくに)に近づくにつれて気候は温暖になっていく。特に今いる風翔国は、山一つ隔てているとはいえ火燃国と隣国同士。

 沙里にいた頃は砂漠という気候柄袖の長い衣服を着ていたが、この気温ではとても耐えられたものではない。

 袖の短い衣服に替えたために、もともとつけていた腕輪が目に付くようになっただけである。


「そんなこと言って話をそらす気か?」

「えっ? えへへ……秋良ちゃん、心配してくれてるの?」


 はるかの何気ない問いかけに、秋良の顔から表情が消えた。


 心配している、なんてこと……。


 怒らせてしまったのかとうろたえ、半ば意味不明の言語を発するはるかの声も、秋良には届いていなかった。

 自らの深いところで、自分と同じ声の誰かが囁く。


―――他人の心配なんて、そんなものは無意味だ。

 誰かに関われば、それが足かせになってしまう。

 最後に自分を守ることができるのは、自分だけだ。

 だから――


 秋良は窓枠から身体を離し、そのまま真っすぐに扉を目指す。


「秋良ちゃん、どこ行くの?」

「外」

「えっ、朝ごはんは?」

「いらない。お前食え」


 秋良を追って立ち上がろうとするはるかだが、まだ足元がおぼつかず寝台に尻餅をつく。

 その様子も知らず、秋良は扉を後ろ手に閉めた。


「だから、途中で投げ出せって?」


 自分にしか聞こえないつぶやきを振り切るように。秋良は廊下を抜け、宿の入口から外へ出て行った。



【小曲刀】刀身が短めで湾曲した刀。刀身一尺(30cm)弱ほど。秋良は両手逆手持ち。ひとつは兄のもの。ひとつは自身で依頼して用意したもの。


【火燃国】天翼族が治めている国。深羅によりつい最近守護石を破壊され、封じられていた妖魔六将・煌樹が解放された。


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