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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
漆・秘められた過去
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弐・うしなわれたもの



 良く晴れた空。心地良い風。小さな村のはずれの、森との境界。

 白月(しろのつき)の反射光を含んだ陽射しは強く、繁る樹木をくぐって木洩れ陽へ姿を変える。

 変わることのない、生まれ育った村の朝。


――音がない。こんなにも鮮明に見えているのに。


 眼の前には、やや明るい黒髪の少年。

 短刀に見立てた木の枝を手にし、互いに打ち合う。

 自分と同じ(とび)色の瞳。


――これは、夢だ。


 少年はこちらの一閃を受けたところで手を止め、後ろを振り返った。

 木陰に腰掛けていた若い男が立ち上がる。色素の薄い茶色――榛色(はしばみいろ)の髪を後ろで束ね、青藍の瞳でこちらを見つめている。

 何事か語りかけているが、相変わらず音はない。

 細められ笑みを形作る優しげな瞳は――。


――一瞬よぎる、白黒の記憶。血濡れの大地に立ち、こちらに向けられた冷たい眼は、同じものとは思えない。


 色のない残像はすぐに消えた。

 男の大きな手が伸び、頭をなでられる。

 同じく頭をなでられた少年は、力強く微笑んでこちらを見つめた。

 唇が動く。


――声は聞こえない。だが、その言葉は覚えている。確か――。






 秋良は息をつき、ぼんやりと眼に映りこんでくるものを頭の中で消化する。年季を感じさせる板張りの天井。宿の部屋のものだ。

 窓を覆う鎧戸の隙間から、昇ってきた朝の光が染み出してきた。

 ようやく、自分が眠りから醒めたのだと確信する。


 夢――いや、過去の記憶。

 緑繁国(みどりもゆるくに)で、星見巫女(ほしみのみこ)である風凛(ふうり)の力に触れた。そのたび、焼け火箸で胸をこじ開けられ強引に掻き出された八年前の光景。


――胸がむかむかする。


 体を起こすが、自分の身体とは思えないほど反応が鈍い。各所に鉛を仕込まれたと疑うほど重く感じる。身体を寝台から引き剥がし、強引に立ち上がった。

 隣の寝台はもぬけの殻だ。先に起きているとは、めずらしい。

 秋良は鎧戸を開けることもせず、重い身体を引きずって薄暗い部屋を後にした。


 木霊森(こだまのもり)から常樹(とこのき)街道に出て後、秋良たちはそのまま街道沿いに北西へ向かった。

 街道は東風山(こちやま)の中腹にある杉根の街を経由し、風翔国(かぜかけるくに)へ入った。するとまたすぐに山が立ちふさがる。東風山よりもさらに高い日方山(ひかたやま)だ。


 昨日から秋良たちが滞在しているのは、日方山の麓にある風裂(かぜさき)の街である。

 宿は緑繁国側の入口にあり、宿の裏手は森との境界になっていた。


 裏庭にある井戸の前まで来た秋良は、脇に置かれた釣瓶(つるべ)を緩慢な動作で井戸に投げ入れた。

 水音。そしてあからさま億劫そうに縄を引いて、重量を増した木桶を引き上げる。

 汲み上げた水で顔を洗う。地下水の冷たさに、両手と顔、次いで頭がすっと冷えていく。


――僕は僕の大切な人達が傷つかないように強くなる。秋良に何かあった時は、僕が守れるように――


 ふと、秋良の中に夢で聞いた――いや、音のない夢によって思い出した兄の言葉が繰り返された。

 あの言葉――最近も耳にしたことがあった。


 あれは陽昇国(ひいづるくに)暁城(あかつきのしろ)でのことだ。

 大きな格子窓のある部屋は薄暗く、夕明かりだけが室内を染めていた。

 ひとり部屋にいた秋良を訪ねてきて、はるかが伝えた言葉。


――私は、これ以上私の好きな人たちが傷つかないように、もっと強くなる。秋良ちゃんが大変なときには、私が助けてあげられるように――


「秋良ちゃん」


 知らず手を止めていた秋良は、はねるように上体を起こす。頭上からの声という予期せぬ事態が、秋良の驚きに拍車をかけた。髪と顔から滴る水がしぶきと舞う。

 樹の上から秋良を見おろすはるかは、秋良に負けぬくらい驚いた表情をしている。

 秋良が見上げていた首を戻すことで視線をはずす。


「何してんだよ、そんなところで」


 紡がれる声は、いつもと変わらぬ気だるげな空気をまとっていた。

 はるかもいつもと変わらず。天真爛漫な笑顔で、手にした小籠を掲げてみせる。中には黒くて丸くて小さな実が摘まれていた。


「あのねぇ、宿のおかみさんを手伝ってるの。この実を川魚と包み焼きにするとおいしいんだって!」

「へぇ……」


 気のない返事を返し、秋良は宿の方へ踵を返した。

 はるかは籠を小脇に抱え、枝元から身軽に地面へと着地する。


「ね、ね。前に暁城で話したときのこと、憶えてる?」


 宿へ向かう秋良の背中に小走りで追いついたはるかの声が、あの言葉を秋良の内から引き上げた。無意識のうちに歩みが止まる。

 返事もなく立ち尽くす秋良に、はるかは構わず先を続けた。


「『理由はわからないけど、わからないからわかるまでは秋良ちゃんとお別れしたくない』って言ったやつ」


 秋良の中を占めていた、はるかと兄の重なる言葉が沈んでいく。かわりに、はるかの指す言葉が思い出される。


――秋良ちゃんとここでお別れするのは嫌なんだ。どうしてかは、わからないけど、だからなおさら。わからないままお別れしたらね、ずっとわからないままだと思うから。


「私、風凛様と冴空(さすけ)くんを見て、暁城に初めて来た時のこと思い出したんだ。秋良ちゃんの姿がどこにもなくて、どこにいるかもわからなくてすごく不安だった」


 それまで当たり前にあったものが失われる。それにより乱れる精神(こころ)

 秋良の右手が、己の左腕を掴み力を込める。

 両手で抱えた小籠の中に視線を落とすはるかは、それに気付かず言葉を紡ぐ。


「わからないのは、まだはっきりわからないけど――ただ」


 数瞬の沈黙。


「秋良ちゃんもおなかがすいたかなぁ、と思って」

「……はぁ?」


 せめぎ合う表層と深層の狭間に呑まれかけていた秋良の意識は、はるかの言葉を認識するのに時間を要した。

 秋良の怪訝そうな表情に、頬を紅潮させたはるかは片手を振りつつ説明する。


「だって、私がこの実を持っていったら朝ごはんにしてくれるって、おかみさんが言ってたから。早く持って行かないとごはん食べれないし」

「何だよそれ。脈絡繋がらねぇよ」


 秋良は呆れた溜息をついて再び歩き出す。

 ここ数日、精神状態が安定しない。

 囚われるな。惑わされるな。強く、堅く。心の強度を崩さないように――。

 話が飛んだおかげで、不安定な揺らぎは治まった。今だけは、はるかの天然に感謝した。


「私、もうちょっと摘んだら戻るから」


 はるかが投げかけた声を背中で受けつつ、秋良の姿は宿の奥へ向かう。

 姿が完全に見えなくなったのを確認し、はるかは登っていた木を振り返った。


「うぁ~」


 突然、奇声ともうめきともつかぬ声を上げながら青空を仰ぎ、両手で金茶色の髪をかきむしった。

 脈絡など繋がるはずがないのだ。先に続くべき言葉を、丸々すげ替えたのだから。


 初めて会ったときは、はっきりとはわからなかった。が、二年近くを共にする間に、漠然とわかるようになってきた。

 秋良は常に、何かを抑えるように。何かに耐えるように。たとえそれに痛みを伴うとしても、痛みなどまるでないかのように。

 巡礼の旅を始めてからも、それは変わることがなかった。


 心身ともに無理をする秋良を、放って置くことができない。なんとか手を差し伸べたい。秋良が手を取ろうとしなくても、すぐ隣で支えてあげることができるように。


 暁城で一度告げたきり、口にしなかった。いや、することができなかった。

 自分の言葉を、気持ちを、秋良に拒絶されるのが。自分の存在が重荷と思われるのが。

 それによって秋良が自分から離れていってしまうことが――。


「全然、弱いまんまだ。私」


――怖くて言えなかった。


 深く息を吐く。肺の息を全て出してしまう間に、全身から同様に力が抜けていく。

 自ずと下がった視線と両腕。

 はるかは愕然とする。

 足元の地面には、小籠と積んだばかりの木の実が散らばっていた。



【白月】双月界の名をあらわす月のひとつ。蒼月は夜に、白月は昼に多く見られる。日中白月が出ると太陽光が増幅される。


【青藍の瞳を持つ男】秋良の夢に登場した。木霊森でも過去の記憶として、また冒頭で秋良が探している男として登場している。


【風翔国】魔竜の乱で最初に守護石を破壊された、斎一民の国。斎一民は国を逃れ、他国に間借りし街や村を興して散り散りに暮らしている。緑繁国では木霊森外の地域は全て斎一民の町村。



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