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拾・それぞれの旅立ち



 高く繁る羊歯(しだ)や下草、それをさらに上回って伸びる巨木。その表面を覆うしっとりとした苔。

 それら全てを内包する森自体が、通常の何倍も巨大化したかのような木霊森(こだまのもり)の世界。天から射す光さえも、頭上を覆いつくす木々の葉に透けて緑みを帯びて輝く。

 陽透葉色の光を見上げていたはるかは、足元を阻む土の盛り上がりに気付かずに前につんのめった。転ぶ寸前に、はるかの身体は均衡を取り戻す。


「ありがとう」


 はるかを支えてくれた(みどり)に礼を言い、はるかは再び頭上を見上げて言う。


「大丈夫かなぁ、冴空(さすけ)くんたち」


 竜人族との戦いで、草人(くさびと)たちは多くの戦士を失っていた。

 いま草人の一族に残された男手は、女たちを守るために部落を守っていた一隊と長老の松野坐(まつのざ)、そして守護石警護隊の中でただ一人生き残った冴空だけである。

 松野坐は守護石と風凛(ふうり)を、そして多くの一族を失った心労からか床に伏せりがちになってしまっていた。


「お墓、つくらないって、びっくりしたね」


 はるかはどちらに、というでもなくつぶやく。


 激戦の果てに、神木跡地と外周は森が根こそぎえぐり取られてしまった。

 戦死した草人たちの遺体が散らばっていたが、草人たちに墓を作るという習慣はないのだという。


 はるかの言葉を拾ったのは翠だった。


「魂を失った肉体は、そのまま森へ還る……森の土を潤し、新たな命へ繋がる。それが生命のあるべき流れだ、と。栞菫も、そう言っていた」

「そう……きっと、そうなんだよね」


 はるかの中に、その言葉の記憶はない。が、おぼろげながら理解はできた。


「冴空くん、ずっと風凛様のお墓の前にいたけど……」


 はるかから墓について聞いた冴空は、戦跡の窪地の中央に木の若苗を植えた。

 風凛の墓標代わりなのだろう。一日のうちのほとんどの時間を、その若苗の前に座り込むことで消費していた。

 たまに部落へ戻っては来るものの、誰が話しかけても常に上の空で。魂が抜け落ちてしまったかのようだった。


 風凛の術により皆の傷はほとんど癒えていたため、はるかたちが部落に滞在したのは二日ほどでしかなかった。

 その間、はるかは冴空を元気付けようと手を尽くした。が、効果はまったくと言っていいほどなかったように思える。


「心配だよね、冴空くん」

「おまえなぁ!」


 秋良から振り向きざまの怒声を浴びて、はるかの身体が驚きに跳ねた。


「何回同じこと言えば気が済むんだ? そもそもお前が心配したところで、あいつがどうこうなるわけじゃない!」

「だって……」

「ああいうのは自分で立ち直るしかないんだよ。他人が干渉するのは無意味だ」

「そうかもしれない、けど……」


 立ち止まり考え込むはるかを置いて、秋良は再び前を向いて歩き出す。

 秋良の歩く数歩前の草や木が、身体を脇に寄せて道を譲る。木霊森を去ろうとする三人のために、松野坐が森に道を開くよう頼んでくれたのだ。

 開ける道をどんどん進む秋良に、はるかは小走りに追いついた。


「だけど冴空くん、すっごく元気ないんだもん。心配だよ」

「あいつは周りばっかり気にして、自分をちゃんと理解してないんだ。見ただろ? あいつの射った矢。自分の今いる位置をしっかり見極めて、初めて次に成すべきことがわかる。前に進めるんだ」

「ん~……翠くんはどう思う?」


 それまでしんがりに控えていた翠は、突然話を振られて面食らったようだった。

 表情は平常と変わらぬまま、少し考えて答える。


「どちらの言うことも理解できる」

「おおっ、翠くんも冴空くんのこと心配?」

「あーもう、うるさい! その話題はもうやめろ。本人がいないところで四の五の言ってもしょうがねぇだろうが!」


 秋良の一喝により一行は、と言うよりも、はるかがぴたりと静かになる。

 そこから森を出るまでの間、あからさまに不機嫌終な秋良、しゅんと静まり返ったはるか、いつもと変わらぬ翠の隊列で、始沈黙のまま歩き続けた。


 直線移動できたおかげで、それほど時間をかけずに森と外界の境へたどり着く。

 はるかは森を出る前に、もう一度木霊森の深部を振り返る。

 秋良の言うとおり、草人たちが受けた傷は草人たちが乗り越えていかなくてはならないのだろう。


「はるか、置いてくぞ!」


 遠くからの秋良の声に振り返ると、森の端を守る木々の奥、街道へと向かう方角で立ち止まった秋良がはるかを見ている。その少し手前で翠もはるかを待っていた。

 冴空たちのことは心配だが、これからやらなければならないことがあるのだ。

 振り切るように、木霊森から足を踏み出す。


 木霊森を出た先には広大な草原が広がる。

 森の中では木々に隠れて見ることができなかった空は、西に傾きつつある太陽によって黄金色に染められていた。

 草人の部落を発った三日半ほど前の朝によく似たその色に、はるかはその時の光景を思い出す。


 むき出しの地面が広がる窪地。

 中央にそっとたたずむ小さな若苗の前には、冴空が両膝をついてうつむいている。

 窪地の外周を取り囲む木霊森の木々の上に昇る朝陽が、木霊森を、風凛の墓標と冴空を、全ての輪郭を金の輝きで彩っていく。

 それは、祈るような冴空の姿と相まって神聖な儀式にさえ思えた。

 声をかけるのもためらわれ、はるかはそっとその場を離れたのだった。


 三人が木霊森を出たちょうどその頃、窪地の中央には夕陽に照らされる冴空の姿があった。

 まさしくはるかが最後に冴空を見たその光景を、朝陽と夕陽に差し替えた状態のまま。

 冴空は両の膝を地面につき、うつむき瞳を閉じている。

 冴空の前には、まだ一尺にも満たない若苗がある。そこは神木がそびえていた位置――風凛が長い年月を過ごしてきた場所だ。


 風凛の遺体は残らなかった。存在は朝陽に溶け、わずか残された白緑色の光さえも、冴空の手の中で淡く消えていった。

 冷たく濡れた衣服越しに感じた肌の柔らかさと、紛れもなくそこにあると感じさせる重さが。冴空の両腕には今も鮮明に残っているというのに。


 あの女性(ひと)はもうどこにもいない。


 柔らかな風に、若苗は幼い葉を揺らす。

 冴空の、艶やかな葉を思わせる新緑色の髪葉が同様に揺れる。

 冴空は風凛を、彼女の光を、掴み止めることができなかった両拳を力一杯握りしめる。緑味を帯びた白い肌が、限りなく白に近くなるほどに。

 風に若苗が応じているのか、若苗が呼んだのか。もう一度そよいだ風が、冴空の前髪を震わせる。


 冴空は瞳を開くと同時に顔を上げた。

 差し込む夕陽に、より光に近い色をたたえる陽透葉色の瞳には、確かな決意が秘められていた。


碌・妖撃散花 終幕。

次話から新章開始です!

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