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捌・果断の先に 後



 誰もが沈黙のまま、良夜(りょうや)の言葉を受けていた。

 ある者は怒りをあらわにし。ある者は安堵の表情を浮かべ。ある者は良夜に失望の視線を浴びせ。または力無くその場に膝をつく者もいた。

 皆、戸惑いを隠せずにいる。良夜の言っていることは、竜人族の掟――『死者の遺言は絶対遵守』に反するものだからだ。


「掟を破った罪は、俺がこの身に引き受ける。だから皆は、これからどうするのか、どうしたいのか。自分と向き合って、よく考えてほしい。俺は、ひとりの竜人族として皆の力になると約束しよう」


 良夜は皆に向けて勇壮な笑顔を見せた。それが魔竜士団長としての最後の言葉だった。


 それから、砦の中は大きく三つの選択に分かれた。

 ひとつは、肉親や親しき人の待つ竜谷へ戻るという選択。これを選んだ者は割合としても多く、すでに荷をまとめ始めていた。

 良夜はそこに含まれる四人の元を訪れた。


「竜谷までそう遠くないとはいえ、問題が起こらないとは限らない。四人が皆を先導して、全員無事で戻れるよう努めてくれ」

「お、おれたちが?」


 四人は顔を見合わせた。それぞれ黒竜・赤竜・褐竜・氷竜からひとりずつ。いずれも魔竜士団では小隊長ですらなかった。


「これからの竜谷では、部族の隔たりもない暮らしができれば、と思ってる。四人は幼い頃から友人だったのだろう?」

「まあ、それは……」

「そうだけど、なぁ?」


 戸惑う四人に反して良夜に迷いはない。


「四人だけに責を負わせようというんじゃあない。何かあった時は、帰路についている全員で相談して解決すればいい。そうなるように、心にとめておいてくれるだけでいいんだ」


 士団長としている間だけでなく、竜谷にいる時から四人の仲の良さを知っていた。だからこそ、良夜は彼らに託すのだ。


「そういうことなら……な?」

「ああ、任された」


 四人はお互いを確認しながら、良夜にうなずき返す。


「ありがとう。竜谷に着いたら、おばばにこれを渡してくれ」


 用意しておいた文を彼らに渡す。

 皆から『おばば』と慕われる女性は黒龍族で、長老に次ぐ長寿だ。竜谷に残った老人、女子供を取りまとめてくれている。

 竜谷に戻る者たちの事は、彼女に任せれば心配ない。


 良夜は次の場所へ向かった。

 竜谷に戻るでもなく、各々で動く者たちのところへ。

 行く先を決められず、しばらく砦に留まるという者。ひとり、または複数名で思い思いの場所、または行く先を決めずに旅立つ者。

 良夜は彼らの間を回り、または旅立ちを見送り。送られる賛辞だけでなく批難も、不安も、全て受け止めていた。


 最後に、夜天(やてん)の遺志を継ごうとする者たち。支度を進める彼らの元をも、良夜は訪れた。


「魔界へ向かうのか、由闇(ゆあん)

「士団長ではないお前に止める権利はない」


 嘲るように口にする由闇は、良夜の方を見ようとすらしない。魔竜士団となる前から、黒竜族として夜天を慕っていたひとりだった。

 その頃から、良夜を軟弱だとして良く思っていなかったことも、良夜自身承知している。それでも良夜はほほえみ言う。


「その通りだ。止めはしないよ。だけど」

「すでに開いた守護石穴や魔界溝から向かう。文句はないだろう」


 由闇と共に行く者たちは、魔竜士団の中でも上位の戦士たちだ。それでも、二十名に満たない戦力では守護石破壊は断念せざるを得ない。

 だが、夜天のやり残したことのうちひとつだけでも引き継ぎ、達成したい。その想いからの魔界行だった。


「自由にしろと言ったのはお前だ」


 邪魔はするな、と言おうとした由闇の前に大きめの籠が差し出された。中には両手に収まるほどの小さな翼竜が複数匹入っている。


「残ってる伝信竜(でんしんりゅう)を全部連れて行ってくれ。分配した糧食も保管してある」

「ふん、罪滅ぼしのつもりか」

「どう取ってもらっても構わない。ただ、由闇たちが行く先が一番過酷だろう。どちらも必ず必要になるはずだ」

「……」

「それから、もし魔界が住むに足る場所だったなら。竜谷に報せてほしい」

「なんだと?」

「妖魔六将がこのまま守護石を破壊していけば、竜谷……いや、双月界だって安全とは言えない。俺は妖魔六将を止められないか動いてみるから、頼まれてくれないか」


 由闇は言葉を失った。氷冬(ひとう)氷刃竜(ひょうじんりゅう)の魂を解放してなお、討てなかった妖魔六将。それを止めると言うのか。

 良夜は由闇の様子に苦笑する。


「もちろん真っ向から戦いを挑むわけではないけど、方法を探すよ。竜人族が生きる道を」


 魔竜士団に限らず、竜人族は守護石を破壊した種族として苦境に立たされるだろう。どうあっても他種族と共存が難しいなら、魔界へ逃れるのも方法のひとつだ。

 竜人族のためでもある。が、『彼女』のためにも。妖魔六将の動きを制する方法を模索しなくては。良夜はそう考えていた。


 由闇は踵を返し良夜に背を向けた。背中越しに小さく聞こえてくる。


「伝信竜と荷はもらっていく」

「ありがとう」


 良夜は提案を受け入れてくれたことに対し、心からの言葉を告げた。


 陽が天頂をまたぎ、それを追う白月(しろのつき)が天頂に差し掛かろうとしているとき。

 良夜は砦の裏門から外へ出た。用意したのは必要最低限の旅支度のみ。まさしく身一つと言って過言ではない。

 山の中腹に埋もれるこの砦は、周囲を崖と樹木によって覆われている。裏門からは崖を回りこむように西の山道へ抜けることができるのだ。


 夜天が命を落とした緑繁国(みどりもゆるくに)での激戦で、夜天の側近を含め多くの信奉者たちが命を落とした。現存の士団員の中に彼らが多く残っていたなら、魔竜士団は解散することはなかっただろう。

 今は砦を出て行った者たちも、当時は夜天がいたからこそ魔竜士団に留まり戦い続けてこられたのだ。

 夜天の存在は、それだけ皆の心を大きくつかんでいた。


 夜天は非のうちどころのない男だった。

 弟である良夜から見ても完璧な兄だ。文武に秀で、自信に裏づけされた行動力に満ち、常に信念を持って行動していた。彼の言葉は皆の心を動かし、彼の行動に誰もが追随した。

 誰に対しても公平で、良夜や紗夜にも常に思いやりを持って接してくれた。良夜にとって尊敬できる自慢の兄だ。

 もし、夜天を嫌いになれていたら、もっと楽でいられただろうか。


 幼い頃から、常に良夜は兄と比較されてきた。

 憎むことができたのは、己の力不足のみ。戦闘能力では引けをとらないにしろ、他の部分ではまったく敵わない。

 それは夜天の死後、士団長を継いでから、よりいっそう強まった。

 皆、年若い良夜に対しても士団長として接してくれる。しかしそれは夜天の遺言があるからこそなのだろう、と。


 士団長としてあるときの良夜は、良夜ではない。

 完璧であるよう己を律し。己の意思や感情は殺し。夜天の残した遺志を全うするためだけに存在する。夜天を演じることを存在意義としながら、それを演じきることもできない欠陥品の人形だ。

 磨耗し薄く引き伸ばされていく心。決して表に出ることを許されず、内に押し込められた自身が上げ続ける悲鳴に耳を塞ぎ続ける。

 士団長であることを貫き通したがゆえに、守りたい大切なものは全て腕からこぼれ落ちていってしまった。


――もしあの時。『良夜』としての選択をする勇気と意思があれば。今も隣にいられたかもしれないのに。


 栞菫のために作った、瑠璃石をはめた腕輪。もし、あれを渡して、銀枠に刻んだ願いを告げることができていたら。


 何度もそう考え。その度に否定する。

 たとえ実行できたとして、栞菫が全てを捨てて共に行くことができただろうか?

 あの時の自分にできることは、彼女の決意と覚悟をこの身と剣で受ける以外になかったのだ。


【伝信竜】竜人族の間で伝書鳩のように使われる小型の翼竜。

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