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永遠は前提、密度の話  作者: 棚本いこま
永遠は前提、密度の話
5/18

◆5話 亜子の間違い


「う、うん……? ここに住む?」


「うん」


「え、あの、雛井家はちゃんと北海道にあるよ? か、帰れるよ?」


「もう帰らなくていいよ」


「あの、入学したら、下宿先に住むから大丈夫だよ? まだ探してないけど、ちゃんと見つけるよ?」


「もうそんなの探さなくていいよ」


 今回、京都を訪れたのは一人暮らし前の下見であって、当然、一旦は北海道の家に帰るつもりだし、その後はもちろん、大学へは下宿先から通うつもりなのだけど、なんだか千くんと話が合っていない気がする。


 家出少女と思われている……?


「あの、千くん? 家を追い出されたとかじゃないから、安心して。ちゃんと四日後には帰るから、大丈夫だよ。よさそうな下宿先を探して、あとは、観光もたくさんしたいと思ってて……」


「ずっと一緒なんだから、亜子はもう帰る必要も下宿を探す必要もないんだ。ずっとここで俺と一緒に暮らすんだから。亜子が観光を楽しみにしているのは知ってるよ。明日から一緒に回ろうね」


「え、ど、どうして? 帰る必要は、あるし、観光はともかく、下宿先はしっかり探さないと、野宿学生になっちゃう」


 ここで暮らす、と言った言葉が飲み込めなかったから、ほぼ同じことを訊き返した形になったけど、千くんは優しく、何度でも言い聞かせるように、語りかけてくる。


「これから亜子はここで俺と暮らすんだよ。だから、帰らなくていい。他に住む場所を探す必要もない。ずっと一緒にいるって約束してくれたんだから。ずっとなんだから、永遠に、片時も離れずに、朝も晩も離れないで、ずっと傍にいてくれるんだよね?」


 優しい声で、柔らかな表情で、それらにそぐわない、圧殺されそうなくらいの感情が籠った視線を向けられていることに気付く。


「ず、ずっと一緒って、そういう……?」


 ずっと一緒にいるという約束は、本当に文字通りの意味で?


 ようやく、千くんの言いたいことが分かって、いや分からないけど、ともかく確認をする。


「お、起きてる間じゅう、ずっと一緒、ってこと?」


「違う」


 なんだ。びっくりした。勘違いだった。


「寝ている間も含むから」


 勘違いだった!


「え、ね、寝る時も一緒?」


「うん」


 当然、という感じで肯定されて、困惑した。


 おはようからおやすみまで、どころか、おはようからおはようまでって。

 一日中遊ぼうね、的な一日中じゃない、掛け値なしに一日中、24時間だ。


「ずっと一緒にいるって、その……ずっと、いつまでも仲良しだって、そういうことじゃ、ないの……?」


「いつまでも一緒なのは当然だよ。亜子との関係が永遠であることは前提だから。今してるのは、一緒に過ごす時間の密度の話」


 彼の声が熱を帯びてくる。うっとりと、夢を謳うように。


「これからは起きる時もご飯を食べる時も眠る時も何もしない時も一緒にいたい。平日はお互いに大学へ行かないといけないから離れるのは寂しいけど家に帰ればまた亜子と過ごせるんだから我慢する。その代わり休日は一日中ずっと離れないでね。ようやく休み時間とか門限とか卒業とか学校が違うとか家が別とかそういう制約に縛られずに誰にも邪魔されずにふたりきりでいられる。嬉しい。ずっと一緒にいよう、亜子」


 今度は、頷けなかった。


 千くんが言った「ずっと一緒にいようね」という言葉は、「いつまでも仲良しでいようね」という意味だと思っていた。


 ずっと、永遠に、友達でいる約束だと。


 だから、「24時間体制で一緒にいようね」という意味まで含めた「ずっと」だったとは、思わなかったのである。


 彼にとって、永遠は約束の前提で。

 今しているのは、その永遠の中でどれだけ一緒に過ごすかという、密度の話。


「そのためにはまず、亜子には一緒に住んでもらわないと。いきなりで驚いたかもしれないけど、亜子も俺と同じ気持ちなんだから構わないよね」


 認識の相違に頭が追いつかない。話がどんどん進んで行ってしまう。


「え、あの、住むって、きょ、今日……から?」


「うん。ちゃんとふたりで暮らせるように準備はしてあるから安心して」


「えと……しばらくのあいだ、お泊りさせてもらう、とかじゃなくて……?」


「うん。しばらくじゃない。今後もずっと。さっきも言ったけど、亜子と永遠に一緒なのは前提だから」


 確定事項のように告げられる。

 ちょっとお邪魔しに来た家に、なぜ一緒に住む話になっているのか。

 意図が全く分からない。


「ずっと、ここで暮らすの……?」


「もしかしてこの部屋、気に入らない? 別のとこがいい?」


「そ、そうじゃなくて……」


「そう? よかった。ああ、もちろん、亜子が別の土地に住みたくなったなら引っ越すよ。亜子さえいれば、俺はどこでも構わないから」


「ちが、ちがくて」


 話が合わない。噛み合わない。何かが間違っている。


「話がおかしいよ、どうしたの千くん……?」


 目の前にいるのは確かに千くんなのに、別の人と話をしている気さえする。

 わたしの困惑ぶりを見て、「どうしたの?」と気遣う表情をする、その優しさは、間違いなく彼のものなのに。


「急に一緒に住むだなんて、変だよ」


「急なんかじゃない。俺はずっと亜子と一緒にいたいって、それだけを思って生きてきたのに。ようやく叶ったんだ。遅すぎるくらい」


 相変わらず優しい声で、優しい笑みで、それなのに、わたしの話を聞いていないようで。

 何か、強い感情を一方的に注がれ続けているようだった。


「亜子が何も言わずに消えた時は嫌われたんだと思った。もう戻って来てくれないんじゃないかって。だから亜子から連絡をくれた時は本当に嬉しかった。見捨てられてないって分かって嬉しかった。でも、今せっかく戻って来てくれたのに、家に帰したら今度はもう戻って来ないかも知れない。今まで何度も何度も何度も亜子と離れ離れになってきたんだ。ずっと一緒にいられたことなんか一度もなかった。初めて会った時からずっと一緒にいようって言い続けてきたのに一度だって叶わなかった。今度こそ、そんなの絶対に許せないから、もう二度と離れなくていいように準備してきたんだ。亜子から会いたいって言ってくれるまでは、こっちから捕まえて頑張って時間を掛けて説得しないと駄目なんだって思ってた。亜子の気持ちを無視することになっても無理にでも心変わりさせないといけないって。でも亜子は俺のこと嫌ってなかった。ずっと一緒にいるって約束してくれて、同じ気持ちだって分かって嬉しかった」


 千くんが一度にこんなにたくさん話すのは初めてだった。

 今までは、わたしの方がたくさん喋って、千くんは静かに相槌を打つ、その方が多かったから、圧倒されて、話が半分も頭に入って来ない。


 向けられる眼差しに込められた感情がどういうものなのか、まだ分からない。

 けれど、それは電話で問い詰められた時の声の印象に似ていた。

 憎悪ではないけれど、それに近い感情を向けられているようで、怖くなった。


 千くんはどうしてしまったのだろう。

 わたしは、千くんに何をしてしまったのだろう。


 千くんに怒られることが怖いと思ったことは多々あったけれど、千くんが何を考えているのか分からなくて怖いと思ったのは、初めてだった。


 きっと、ひどく怯えた顔をしていたと思う。


「亜子……?」


 繋がれていた手に、急に強い力が込められて、反射的に肩がびくっと震えた。


 千くんは傷ついた表情になった。


「……どうして」


 その表情で、思い出す。


 一度だけ、千くんを大泣きさせた時のこと。

 小学校の入学式の日、会いに来てくれた千くんをすぐに思い出せず、大泣きさせた時のこと。


 千くんはまさか、片時も離れない生活をしない限り、わたしに忘れられると、そんなことを思っているのだろうか。

 小学生の時の、ど忘れ事件によほど深く傷ついて、トラウマなのだろうか。


 思えば、ど忘れ事件と言い、引っ越し事件と言い、わたしは千くんを傷つけてばかりだ。


 彼の優しさにべったり甘えて、心配ばかりさせて、助けてもらってばかりで、わたしからは何も返せてなくて、そして、今も、彼を傷つけている。


 ああ、そうか。


 こんなに傷つけてくる人間と、ずっと一緒にいたがる人間は、まずいない。


 でも、千くんは優しいから、幼稚園の頃からずっと面倒を見てきたわたしを見捨てることができなくて、それで、一緒に住んでまで、一日中、傍について見守らなければいけないと思っているんだ。


 きっと、初めて出会ったあの日、あんなに泣いて縋りついて助けを求めてしまった時から、わたしを見捨てることができない、そういう呪いでもかけてしまった。


 間違いだった。


 こんなに優しい人に、縋りついてはいけなかった。


 いつまでも見捨ててくれないから。


 どうあっても助けようとしてくれるから。


 このままでは彼の人生を台無しにしてしまう。


「千くん、わたしは」


 ひとりでも大丈夫だと、言おうとした時だった。


「待って」


 繋いでいた手を離された、と思ったら、強い力で両肩を掴まれた。


「嫌だ、待って、なんで、離れないで。俺は亜子がいないと駄目なのに、どうして」


 千くんは泣きそうな顔になって、それは、手に込められた強い力とは真逆に、あと少しの傷で死んじゃうんじゃないかと思うくらいに、弱り果てて見えた。


「ずっと一緒にいて、逃げないで、亜子がいないと、だって」


 掴まれる力が強すぎて痛いけれど、その痛みに呻く程度の拒絶でさえ、瓦解しそうなくらいの脆さに見えたから、痛みは我慢して、言葉の続きを待った。


 やがて、千くんは俯き、掴む力が弱くなり、手がわたしの身体から滑り落ちた。


 千くんには、泣かないで欲しい。

 かつて彼を大泣きさせた実績があるから、もう二度と、わたしのせいで泣いて欲しくなかった。


 滑り落ちたその手に、自分の手を重ねた。

 千くんはゆっくりと顔を上げた。

 繋いだ手を、弱々しく握り返された。


「愛してる」


 と、千くんは言った。





千くんの視点に交代して、続きます!

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[良い点] せんくん、さ、サイコ(^o^;)
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