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永遠は前提、密度の話  作者: 棚本いこま
永遠は前提、密度の話
4/18

◆4話 招待


 まず向かった先は、千くんの住む部屋である。


 千くんの部屋に荷物を置かせてもらって、休憩もさせてもらうことになっていた。


 ホテルにチェックインできる時間まで数時間あるし、移動の直後で疲れているだろうから、と気遣ってくれた千くんの提案である。彼の積徳は留まるところを知らない。


 そう決まった時は、休憩を挟まなくていいからいち早く観光に飛び出したい、という気持ちもあったけど、いざ駅に着いてみると残体力はほぼ無くなっており、観光なんてどうでもいいから早く靴脱いで座ってお茶飲みたい、という具合だったから、千くんが部屋に招待してくれて本当によかった。


「ここ?」


「うん」


 彼は通う大学から程よく離れた場所(すぐ近くじゃないと言うのが大事なポイントだと千くんは言っていた)に建つマンションの一室を借りているとのことだった。


 案内されたマンションは、事前に思い描いていた「大学生が一人暮らしするところ」とは全く違っていて、綺麗なマンションだった。監視カメラとオートロック付きの入口で、防犯もばっちりである。


「ほんとにここ? 合ってる?」


「うん」


「大学生って、もっと、倒壊寸前の廃屋一歩前的なアパートの四畳半に住んでるんじゃないの?」


「亜子は何を参考にしたの……?」


 千くんはエレベーターを待ちながら、「まさか、そんなセキュリティ意識の低い下宿先を選ぼうとしてたの?」と、不安そうに尋ねてきた。


 うっかり正直に頷きかけて、慌てて「何をおっしゃる」と言ってみたが、低セキュリティ人間であることが露見したらしく、「……亜子が下宿先を決める前に捕まえられて、本当に良かった……」と呟かれた。


 そして、部屋に着くまでの間、亜子は危機管理意識がまるで足りていないので非常に心配である、世間には犯罪者が溢れているのだからもっと防犯の概念を持つべし、まるで警戒心が無いからこちらは気が気でない、ということを、とくとくと説かれた。


 千くんの心配症は健在である。







「お邪魔します」


 千くんの部屋はとても綺麗に片付いていた。


 というか、必要最低限ものしか置いてない、と言う感じだった。引っ越ししたばかりなのかと思った。


「荷物はここに置くね」


「うん。ありがとう。重たいのにずっと持ってもらってごめんね……」


「ううん。ソファに座っておいて。飲み物を用意するから。温かいのでいい?」


「うん!」


 居間に通されて、二人掛けのソファに腰を降ろす。新品同様くらいに使用感の無いソファだった。他の家具もそんな感じで、二年の歳月を感じさせない。


 ランドセルは卒業の日まで無傷ぴかぴか系小学生だった千くんの物持ちの良さは健在らしい。ちなみにわたしは、ランドセルが卒業の頃には六年間の冒険が滲む古参戦士の風合いに仕上がっていた系小学生である。


 千くんが台所にいるあいだ、ちょっと室内を観察する。


 後学のため、ちゃんとした一人暮らしを送れている人間の部屋を参考にしなければならない。


 居間。台所。来た時に手洗いうがいをしたときに使った洗面所。居間の他に部屋が三つ。


 二人暮らしには丁度いいだろうけど、一人暮らしには広すぎるんじゃないかなと思う。千くんは贅沢に空間を使いたいタイプなのだろうか。


 居間の隅に「手焼き煎餅」と印字された段ボール箱があったので、こっそりソファから立ち上がって、わくわくして開けてみたら、中身は煎餅ではなく、手錠、鎖、スタンガン、薬品の壜、そのた諸々だった。


「防犯意識が高過ぎるよ千くん……」


 泥棒に手錠をかけるのは警察の人に任せればいいのに、と思ったけれど、さきほど危機管理意識を解かれた身なので、これは低セキュリティな考えかもしれない。


 と、「お待たせ」という声がしたので、慌てて段ボール箱を閉じて、ソファに戻った。他人の部屋に上がってさっそく物色を始めるはしたない子と思われたら恥ずかしい。


 お盆に載せて持ってきてくれたのは、紅茶のポット、ティーカップ、可愛らしいケーキだった。

 千くんは洋菓子より和菓子が好きだったはずなので、わたしの好みに合わせて用意してくれたのだろう。おもてなしの心がすごい。


 千くんはお盆をローテーブルに置くと、隣に座り、「好きな方のケーキ選んで」と言った。

金粉がまぶされてきらきらしたチョコチョコしいのと、黒豆が飾られてはんなり感のある抹茶っぽいのと、非常に悩ましく甲乙つけがたかったけれど、前者にした。


 わたしがケーキに悩んでいる間に、ティーカップには綺麗な色の紅茶が注がれていて、ほかほかと湯気が立っている。


「いただきます」


「どうぞ」


「可愛い……」


「うん」


「美味しい……」


「うん」


 千くんはわたしがケーキを食べるのをしばらく見届けてから、自分の分に手を付けようとして、「こっちも一口食べる?」と訊いた。


 力強く頷いたら、「やっぱり」と笑って、一口大に切り分けた。そのままフォークをわたしの口元に運んでくる。


「はい」


 かつて千くんと過ごした幼少の頃には、お菓子を口に運んで食べさせてくれることは、確かにあった。


なんなら中学生の時だって、千くんのお弁当のおかずを何となく見つめていたら(決して、その唐揚げ美味しそうですねみたいな情熱は込めていない)、「一個食べる?」と笑って、こういう風に食べさせてくれたことが、しばしばあった。


 あったけど、この年齢で、そんな風にされるのは恥ずかしい。子供にあーんさせるのとはわけが違う。

 違うのだけど、おずおずと千くんの顔を見ると、「何が問題か」みたいな平静な表情をしている。


 きっと、わたしに接するのが数年ぶり過ぎて、「亜子は手の掛かる年下の子である」の年下レベルが尋常になく引き下がっているのだと思う。


 あと、慎み深く抑えていた、その抹茶のムースらしきものも美味しそうですね、という情熱が、多少漏れていたのかもしれない。


「い、いただきます」


 差し出されたフォークを口に含むと、千くんは満足した様子で「美味しい?」と訊いた。


 フォークを差し出されてから銜えるまでの僅か二秒間で、かなりたくさんのことを考えて脳が混線気味だったので、もはやケーキの味は分からず、甘い、くらいの処理しかできなかったけど、なんとか頷いた。


 かつては唐揚げのお礼に雛井家の卵焼き(ツナ入り)を、何の疑問もなく口に運び返していた。


 これは、チョコのケーキをお礼に返さねば不義理である。千くんだって絶対にチョコの方の味も気になっているに決まっている。


 とは言え、食べさせる流れになったら、絶対に自然にできない。


「あの、せ、千くん」


「うん」


「こっち、も、一口、いるます……?」


 すす、とチョコのケーキのお皿を千くんの方に寄せた。


 好きな所を取ってねという体で、食べさせるのを避ける作戦である。


「うん。ありがとう」


 千くんは作戦通りにフォークをお皿に伸ばし、慎ましく、ケーキの端っこの部分を申し訳程度にすくって食べた。


「こっちも美味しいね」


「あ、駄目だよ千くん、中の方まで届いてない。外側も美味しいけど、真ん中にね、正体不明の美味しいのがあるから、このケーキの真の美味しさはそこにあるから」


 千くんの慎ましさでは、ケーキの中央エリアに辿り着けないと思われたので、こちらでいい具合に切り取って、「あの、はい」と差し出した。


 結局あーんすることになってしまったけれど、このケーキを端っこだけ食べて終わるのは人生の損失だと思う。


 千くんはごく自然に、わたしが差し出した一口を食べた。葛藤していたのが自分だけで恥ずかしい。


「ね……ね、爽やか甘い何かしらがあるよね」


「あ、本当だ。柚子のクリームかな」


「それ! そっか、柚子かあ。言われたら確かに柚子の味だね」


 そろそろ冷めたかな、と紅茶を手に取って、念のためにふうふうと息を吹きかけていたら、慈母の如き眼差しを千くんから向けられていた。


「どうしたの?」


「亜子は相変わらず猫舌だなあと思って」


 火傷しないか見守られていたらしい。


「うん。猫舌」


「可愛い」


 千くんは世界への愛に溢れているので、「可愛い」とよく口にする。「猫舌」という漢字は確かに可愛い。同感である。


 中学生の頃、わたしがお弁当のかまぼこを愛でていたら、「かまぼこ可愛いっておかしいだろ。雛井はなんでも可愛い可愛い言う。可愛いの閾値が低すぎるだろ」と木田くんに難癖をつけられたことがある。でも、後で千くんにかまぼこを見せに行ったら、ちゃんと「可愛い」と同意してくれた。


「でもね、猫舌って漢字の可愛さに騙されたら駄目なんだよ。奴は敵だから。こっちは焼きたてのパンも揚げたての唐揚げも好きなのに。呪われし身だよ」


「俺の家でクッキー焼いた時、熱いって嘆きながら美味しそうに食べてたよね。面白かった」


「変な思い出は早く忘れてね……」


 ほどよい温かさになった紅茶を口に運ぶ。美味しい。


「あ。この紅茶、いつも千くんの家で出してもらってたのと同じの?」


「うん、同じメーカーの。よく覚えてたね」


「うん! 美味しいから」


 昔から、千くんは家を訪ねると必ずお茶を出してくれて、それもティーバッグじゃなくて、専門店みたいに茶葉から丁寧に淹れてくれる本格的なもので、遊びに行く楽しみの一つだった。並の喫茶店では敵わない、水崎家の紅茶。


「懐かしいなあ」と、思わず口に出る。


 甘いものと紅茶をお供に千くんと話をしていると、かつて同じように過ごした、甘さに身を浸したような時間、柔らかい空気に包まれた安心感が、じんわりと蘇る。数年の隔たりが嘘みたいだ。


「千くんの住んでる部屋、広いね」


「一人暮らし用の部屋じゃ狭いからね」


 この感性の千くんが、わたしが四畳半に住むと聞いたのだから、それは驚くだろう。


 そういえば、当時、遊びに行った千くんの家は、それは大きかった。広い家で育ったから、通常より広すぎるくらいが通常なのかもしれない。


「あっ、そうだ」


 千くんに渡すものがあったことを思い出して、ボストンバッグの中身を取りに行く。


「どうしたの?」


「うん。千くんにお土産」


 ぷちぷちに包んだ塊を抱えて、ソファに戻る。


「お土産?」


「うん、ほら、中学生の時、海外旅行に行ったらお土産買うって約束したでしょ? だから、お土産。ものすごく遅くなっちゃってごめんね」


 テーブルに置かれた木彫りのクマの置物に、千くんは目を丸くした。


「北海道に住んで初めて、お土産ショップに行ってみたら、いいのがあり過ぎてすごく悩んだんだけど、お土産と言えばこれだって、お店の人が言ってたから。木刀と悩んだんだけど、やっぱりクマかなって」


 千くんは、不思議そうな顔で、しげしげと、シャケを捕らえるダイナミックなクマを手に取っている。

 私的にだいぶヒットした熱い品なのだが、千くん的にはあまり響いていなさそうでハラハラした。


「あっ、やっぱり、海外のお土産じゃないから、がっかりした……?」


 なんてことだ。

 空港でハワイっぽいマカダミアナッツ買えばよかった!


「ううん。すごく嬉しい」


 千くんは、じんわりと嬉しそうな顔になって、そう言った。


「お土産の約束なんて、亜子が言うまで忘れてたのに。ちゃんと選んできてくれたんだ」


 千くんはにこにこして、木彫りのクマを大事そうに抱えて立ち上がり、棚の上に飾って、位置を微調整して、戻ってきた。


「ありがとう、亜子」と、頭を撫でられた。


「家宝にするね」


「えっ、そん、うえへへへ」


 木彫りのクマがヒットした!


 お土産ショップで二時間唸った身としては感無量である。


「お土産もの通りって、すごいんだよ。試食がすごい。なんとお茶浸けの試食まで……」


 なんて、お土産話に花を咲かせているうちに、ケーキのお皿も、紅茶のポットも空になった。


「ごちそうさまでした!」


「どういたしまして。ああ、片づけなくていいから、座ってて」


 千くんが食器を台所に持って行く僅かな間に、空いたソファにごろんと横になっていたら、戻ってきた千くんに「眠たいの?」と笑われた。


「ソファ堪能してるの。ふかふかだから。いいなあソファ」


「そんなに気に入ってもらえたなら、買った甲斐があったかな。寝てもいいよ」


「それはさすがに人の家で休憩し過ぎだから我慢する……」


「中学生の亜子はうちで勉強しておやつ食べた後、よく昼寝してたけど」


「それはあれ、勉強で疲弊した脳細胞がね、あれだから、やむなく」


 このままソファで眠りたい誘惑も若干あったけど、おやつを食べて元気になったし、観光したい気持ちがむくむくと湧きつつあったので、気合を入れて起き上がる。


「いやいや観光て。だめだめ」


 危うく観光メインになりかけていたが、わたしは下宿探しに来たのだ。主旨を履き違えてはならない。

 気を引き締めて。


「よし、千くん。ちょっと観光スポットへ……」


「座って」


 立ち上がったら、優しく肩を押さえて座らされた。


 本懐を忘れて遊ぶ気満々なのがばれて窘められるのかと思ったけれど、何か真剣な表情だった。


 隣に座わった千くんの手が、わたしの手に重ねられる。


「どうしたの?」


「四年待った」


 感情の読み取れない声だった。


「亜子とこうして過ごせるのを、ずっと待ってたんだ。まだ、ここにいて」


「……? うん。じゃあ、もうちょっと」


 切実なものを感じたから、そう答えると、千くんはわたしに寄りかかるようにした。肩と頭が触れ合う。一緒に電車に乗って寝ちゃった、みたいな感じだ。


 重ねていた手が、歩く時と同じように繋ぎ直された。歩く時以外に手を繋がれることはまず無かったので、不思議な感じだった。


 ただ静かに座っているだけなのだけど、千くんと一緒にいるのが嬉しいので、満ち足りた気持ちになる。大人しくしていると、やがて、千くんが口を開いた。


「ねえ、亜子。昔、ずっと一緒にいようねって言ったの、覚えてる?」


「うん」


「ちゃんと覚えててくれたんだね。でも、言ったけど、そうなって欲しかったけど、結局、亜子と離れることになって、寂しかった。亜子のせいじゃないのは分かってる。でも、もう二度と、あんな思いしたくないんだ」


 静かな話し方に、電話を掛けた時の、千くんの様子を思い出す。


 許してくれたけれど、あの時は、やっぱり怒っていたのだと思う。


 千くんは優しいから、いつもわたしのことを気に掛けてくれていたから、お別れも告げずに音信不通で帰って来なかったなんて、どれだけ心配をさせただろうか。


「……ごめんね。やっぱり、急にいなくなったから、びっくりしたよね」


「謝らなくていいんだよ。ちゃんと戻って来てくれたから。亜子から連絡くれて、嬉しかった。ようやく亜子が帰って来てくれた。また、こうやって傍にいてくれる」


 千くんは、すっと身を離すと、わたしと向き合うように座り直した。手は繋いだままだ。


「今度こそ亜子と離れたくない。絶対に。だから、約束して欲しいんだ」


「約束?」


「うん。ずっと一緒にいるって、約束して欲しい」


 千くんはそう、祈るように言った。


 駄目な訳がないのに、断られることを恐れるように。


「約束する」


 頷くと、千くんはまだ、堅い表情をしたまま、確認するように言った。


「本当にいいの?」


「うん」


 お別れも言わずに去るようなこと、二度としない。

 ずっと仲良しでいたいと思っているのは、わたしも同じだ。


「……約束破ったら、許さないから」


「うん。守る」


 きっと千くんは、わたしがまた引っ越し事件みたいなことを引き起こすことが不安なのだろう。

 滅多に怒らない千くんが初めて怒ったくらいだ。


「約束する。もう絶対、いなくなったりしないよ」


 優しくて、心配性で、友達思いの千くん。


「千くんとずっと一緒にいる」


 重ねて誓うと、やがて、千くんの表情がゆるゆると解けていった。


「嬉しい。亜子が約束してくれて……。亜子も同じ気持ちだったんだ?」


 繋いでいない方の手をわたしの頬に添えて、とても幸せそうに言う。

 こっちまで嬉しくなって、にやけてしまう。


「うん! 京都に越してきたら、千くんとはもはやご近所さんだから、いっぱい遊べるよ。それはもう、ことあるごとに、千くんの家に遊びに来るよ」


 千くんがあまりに嬉しそうだから、張り切ってそう宣言した。


 すると。


「遊びに来る必要はないから」


 と、張り切った宣言をさらりと否定された。


 驚く間もなく、千くんは続ける。


「亜子は今日からここに住むんだよ。ここが亜子の家になるんだから、遊びに来る必要はないんだよ。ずっと一緒だから。もう、どこにも行かないでね、亜子」


 幸せそうに微笑んだまま、千くんはそう言った。



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