◆2話 平穏、蜜月
中学校はお弁当方式で、しかもどこで食べてもいいということだったので、ほぼ毎回、お昼休みには千くんと一緒に、中庭のベンチに座ってお弁当を食べた。
小学校の時は教室で給食だったから、教室の外で、それも千くんと一緒にお弁当を食べられるのはとても嬉しかった。
断じて羨ましそうな顔で見つめていたわけではないけれど、千くんはよく、お弁当のおかずを味見させてくれた。冷めても美味しい、水崎家の唐揚げ。
千くんはなんとなく、校内で有名なようで(主将だからだろうか)、一緒にお弁当を食べていると、最初の頃は遠巻きに見られている感が、特に三年生の人たちに見られている感がすごかった。
「水崎が笑ってる……」「水崎くんが楽しそうにしてる……」「心を開いておる……」「ギャップが……」「一年生を餌付けしてる……」「食べ物で手懐けている……」
「水崎家の鰆の西京焼き超美味しいね……!」
その見られている感も、徐々に、わたしは「水崎くんの妹的な何か」と認識されていったようで、落ち着いていった。兄妹ではなく友達なのだが、木田くん方式の誤解は割とスタンダードなのだろうか。苗字は違うし顔も似ていないのに不思議なものである。
「ああ。俺がそういう風に、クラスの人に説明したんだよ」
「そうなの?」
「その方が説明がつくから。亜子は俺のこと、友達だと思ってるだろう?」
「うん」
「でもね、男子と女子が、それも年が離れている生徒同士が仲良くしてたら、友達だって思わない人が出てくる。そうなると色々と面倒が起こる。だけど、小さい頃から家庭の事情で面倒を見ている妹のような子です、ってことにしておけば、一緒にいる理由になるし、みんな亜子に優しくなる。亜子に寄りつく輩を排除する権利にもできる。便利だよ」
「へ、へえー」
よく分からなかったが、難しいことを考えているらしかった。
「そんなことより、亜子。手芸部の課題が楽しいって張り切ってたよね。いまは何を作ってるの?」
「えっとね、西陣織」
「うん、部活レベルじゃないよね」
そんなこんなで、千くんと学校に行って、お弁当を食べて、部活をして、平和な中学一年生ライフは瞬く間に、冬に突入した。
千くんは夏に部活を引退して以降、放課後に時間ができたので、わたしに勉強を教えてくれるようになっていた。
「あの、もう冬だけど、わたしの勉強なんて見てて大丈夫? もうすぐ受験だよ?」
千くんはもうすぐ高校受験が控えており、それも難しそうな高校だったが、あまり心配していないようだった。
「うん。受かるから」
その度胸を分けて欲しい。
わたしの学力が心配な余り、自分の勉学を蔑ろにしているわけじゃない事は、千くんの成績を見ていれば分かるから、いいけれど。
いいんだけど、教えてもらってる身だけど、受験前にその余裕は、とても憎い。
憎いので睨んでみたら、微笑みを返された。威嚇してみたら、頭を撫でられた。優しい人間を憎むものではないと悟った。
「はあ……。わたしなんて、中間テストでも心臓発作を起こしたのに……」
「起こしたの?」
小学校の成績は普通だったけれど、中学校に上がってからは、千くんが教えてくれるようになって、けっこう上位の成績になった。根気よく教えてくれる千くんがいなければ、わたしは数Iと英語の難しさに、ぐれていたかもしれない。
「千くんが高校に行ったら、また別々になっちゃうね」
二歳差だと一年間しか一緒にいられないのが中学校の悲しいシステムである。
「……亜子が、いいなら、卒業してからも一緒にいたい」
千くんが、ぽつりとそう言った。
高校生には高校生の生活があるから、中学生とはもう一緒に遊んでくれないかも、と、ほんのり危惧していたので、それは嬉しい言葉だった。
「いいの? お休みの日とか、千くんの家に遊びに来てもいい?」
ちなみに今も、水崎家にお邪魔して、千くんの部屋で勉強を教えてもらっている。勉強がちゃんと終わったら出してくれるお菓子が超美味しい。
「け、決してお菓子目当てで遊びに行くわけでは」
ぎゅう、と抱き締められた。
抱き締められたのは、小学校入学当日に千くんを大泣きさせた時以来だったから、心臓発作を起こしかけた。
「どう、どうしたの千くん。受験? やっぱり受験勉強のストレス? 大丈夫? ない、なか、泣かないで。さっきは威嚇してごめんね。泣かないで千くん。受かるから!」
しどろもどろになって、とりあえず腕を伸ばして千くんの頭を撫でて、励ましに努めていたら、「ううん。泣いてないから」と返事があった。
「亜子が肯定してくれたのが嬉しかっただけ」
千くんはゆるゆると身を離すと、「すごく慌てるんだね」と、おかしそうに笑った。余裕な振りをして本当は受験ノイローゼだったのか、と心配した心拍数を返してほしい。
悔しいので再び威嚇したら、やっぱり頭を撫でられた。
「変な顔」
「千くんが人心を弄ぶからです」
「ねえ亜子」
「うん?」
「ずっと一緒にいようね」
「うん」
わたしは中学二年生になり、千くんは高校一年生になった。
「高校が割と遠いから、家への連絡用に携帯電話を買ってもらったんだ」
「えっ、羨ましい!」
周囲には携帯電話を持っている子がほとんどだが、水崎家は家風が厳しいようで、千くんは持っていなかった。
そして雛井家は「まあ高校生からでいいだろう」というふわふわした指針があるので、わたしもまだ持っていない。
「番号を教えるから、ここに掛けて。俺から話したいときは亜子の家に掛けるから。これで連絡が取り合えるね」
「うん。遊びに行くときとか、電話するね」
「……。明日から亜子がひとりで中学校に行けるか心配だな……」
「さすがに通学路は覚えたから心配しないで千くん」
「うん……」
「信用されていない気配……」
「いや、さすがに迷子の心配はしていないんだけど、誘拐とか、そういうのが不安で……。世の中の半分は犯罪者なんだから……」
「半分は言い過ぎじゃないかな千くん」
「防犯ブザーと催涙スプレーとスタンガンを持って登下校してくれるなら、気休めだけどまだ安心できる。とりあえず一式渡しておくから、常備してくれるかな」
「そんな治安が末期な通学路じゃないから大丈夫だよ千くん」
というわけでお互いの連絡手段は確保、今度の日曜日には水崎家に行く約束もさっそくした。これまでの別離とは違って、通う学校が違っても交流が続く、素晴らしいシステムである。
中学二年生になり、初めてのソロ登校も、ちょっと道に迷いかけたけど無事に教室に辿り着けた。
ちなみに鞄には、千くんがどうしてもと言って取りつけた防犯ブザーがぶら下がっている。
千くんは年々、わたしに対する心配度が上がっている気がしてならない。
二年ではクラスが木田くんと一緒だったので、さっそく出会い頭に、部活で作ったフェルト製の手裏剣を投擲した。
木田くんは何と、忍者研究部に入っていたのだ。わたしの入部には反対しておいて。
「裏切り者め!」
「うお」
木田くんは一介の中二男子らしからぬ反応速度で、フェルト手裏剣を全て、指で挟んで受け止めた。
「く……っ。忍研所属の成果が出ておる……」
「雛井か。人にいきなり海産物の玩具を投げつけるんじゃねえよ」
「ヒトデじゃないから! 手裏剣だから!」
怒りの理由を説明すると、木田くんは「忍研に入ったのはわざとじゃなくて」と弁明した。
入学してまもなくのこと、手品部の下見に行こうと理科実験室に行った木田くんは、手品部と忍研の抗争に鉢合わせてしまい、仲裁をしているうちに忍研の部長に見込まれ、強制的に入部させられた、という話だった。
「つまり入りたくて入ったわけではないから、雛井を謀った訳じゃねえ」
「なんだそうだったの」
「そうだ」
「ごめんね、先制攻撃なんて仕掛けて」
「しかしよく出来てるなあこのヒトデ」
というわけで木田くんと仲直りした。
木田くんはいじめっこではないか、と千くんが警戒していた件から、ただでさえ心配性な千くんの心労を減らすべく、一年生の時はなるべく木田くんと関わらないように過ごして来た。
が、千くんが高校に行った今は、のびのびと木田くんと交流して問題ない。来週はフェルト製の鎖鎌で攻撃しよう。
「亜子氏。お弁当どこで食う?」
「外!」
一年生の時はずっと千くんとお昼を食べていたけれど、二年生になってからは、手芸部の友達と一緒に食べるようになった。
「すごい。ぬーちゃんのお弁当、えびの天ぷらが入ってる。美味しそう……」
「ふっふ、亜子氏。騙されてくれてありがとう。これは食玩なのだよ。もちろん手製」
「なんだって……!」
さすが、「手芸部の魔王再臨」と呼ばれるだけある、ハイスペック手芸女子のぬーちゃんである。
「そういや亜子氏。三年の……いや今は高一か。あの目立つ先輩と異様に仲良かったけども、生き別れの兄妹説は本当なのかね?」
「初耳の説なんだけど……。千くんはね、幼稚園の頃からの友達。あれ。走れメロスのあれ。そう、竹馬の友です。竹馬に一緒に乗ったことは無いけど」
「タケウマじゃなくてチクバね。へえ、あの目立つ先輩とは幼馴染だったのか」
「千くんって目立つ?」
「三年生が入学したての一年生と手を繋いで登校して来て弁当も一緒に食べてたら、それは目立つ。あの人、綺麗な顔してるから余計にね。亜子氏が妹枠と知ってほっとした者は多かったね」
千くんと一緒にいるのは普通のことなので普通に過ごしていたけれど、わたしのせいで悪目立ちしていたらしく、申し訳なくなった。
「妹として見ているから一緒にいて当然だし手を出すなという状況を周囲に浸透させておくあたり、相当によろしい性格な人だよな……うーん亜子氏の身が心配……」
「ぬーちゃん? どうしたの?」
「ううん。亜子氏よ、生き別れの兄、もとい幼馴染氏とは今も仲良しかね」
「うん! 毎週日曜日は千くんの日だよ」
「幼馴染がいた経験ないから分からんのだが、会って何してるの?」
「家に行って、勉強を教えてもらってる。ふふ、休日にも勉強をしている自分の勤勉さに愕然としてるよ……!」
「おー。えらいな」
まあ、中学校では割と塾に通っている子が多いから、休日に勉強は普通なのかもしれないけれど。
「勉強がちゃんとできたら、お菓子を出してくれるの」
「終わったらお菓子出す、という点に亜子氏の扱いの上手さを感じるな」
「それで、このあいだは天気がよかったから、大きい公園に行ってフリスビーで遊んだの」
「ふむ。仲良しだな」
「うん」
「躾けされてご褒美におやつもらって公園へ散歩にしてもらってフリスビー投げてもらう、ということか」
「なんかその言い方だと、愛犬家と愛犬の休日に聞こえる……」
世話を焼かれている感がすごいけれど実際に世話を焼かれているので何とも言えない。
「ていうか、勉強して公園で遊ぶて。なんて健全で明るくて模範的な休日送ってんだ。驚愕したわ」
「そ、そう? 普通じゃないかな。ぬーちゃんはお休みの日は何してるの?」
「世界を救う戦いに身を投じてる」
ぬーちゃんはオンラインゲーム界でも魔王再臨と呼ばれる腕前らしかった。
こんな風に友達とお弁当を食べたり、たまにお昼休みに家庭科室を使って本格手打ちうどんを作り出す料理部にお邪魔したり(超美味しい)、ビーカーとアルコールランプで冷凍うどんが茹でられるか実験している科学部にお邪魔したり(肝心の出汁がなくてプレーンで食べた)、なぜか美術部に追い回されている木田くんを眺めて助けなかったり(木田を見かけなかったかと訊かれたので木田くんが逃げた方角を正直に答えた)、平和な日々を過ごした。
日曜日。
「千くん。来ました」
「うん。いらっしゃい」
学校が別になってからも、千くんは相変わらず優しく迎えてくれた。
千くんも高校の勉強があるだろうに、嫌な顔ひとつせず、勉強を見てくれる。
「復習になって助かるから」と、こちらに気を遣わせまいとする。善意が眩しい。徳が高い。
いつも水崎家にお邪魔しているので、たまには雛井家にも遊びに来てもらおうかと思うのだが、千くんはわたしの家、というか、わたしの両親が苦手らしかった。
「あの、うん、亜子のお父さんとお母さん、すごく良い人たちなんだけど、もてなされ過ぎて困惑する……」
と、千くんは語る。
というのも、一度、千くんを我が家に招待したことがあるのだが、わたしが塾に行かなくても成績がいいのは千くんの指導の賜物だと知っている我が両親は、それはもう大変な歓待ぶりで、熱烈に大歓迎で、人見知り気質の千くんは帰る頃には疲労困憊だった。
以来、千くんは雛井家に来ることを遠慮している。
「うちなら亜子とふたりだけだから、落ち着く」
一方、水崎家は、休日は基本的に千くんしかいない。
千くんのお姉さんを一度だけ見たことがあるけれど、お母さんとお父さんは見たことがない。
親は仕事だからいつもいない、と言っていた。
休日に家に家族がいるのが普通だったわたしは、それを聞いた時、「それは寂しい……」というのが顔に出ていたらしく、千くんは笑って、「今は亜子が来てくれるから寂しくないよ」と言った。
千くんが寂しくないのは嬉しい。
というわけで、晴れでも雨でも暴風波浪警報が出ている時でも、張り切って水崎家にお邪魔しに行っている。
「千くん、高校ってどんな感じ?」
今は、今日の分の勉強を終えて、お菓子を食べてごろごろする至福の時間である。
「中学校とあまり変わらないかな。電車で通学するのはちょっと新鮮だけど。亜子はもう、行きたい高校は決めてるの?」
「ううん、まだ。けど、大学はね、行きたい場所があるよ」
「どこ?」
「京都にある大学!」
「決めたのは大学自体じゃなくて、ほんとに場所なんだね。その心は?」
「京都に住んでみたいから!」
「なんてシンプルな理由……」
「だって、景色が綺麗で、毎日湯豆腐が食べられて、素敵な喫茶店がたくさんあるんだよ。憧れの地」
「京都在住だからと言って毎日湯豆腐を食べるわけではないと思うよ」
京都に行ったことは無いので、全ては雑誌とテレビから得た情報である。
「着物を着て、人力車で大学に通って、講義の後は抹茶パフェ食べて、夜には式神を使役して悪い妖怪と戦うの。素敵……」
「急にバトル展開になるんだね」
「千くんは弓で後方支援担当だから」
「参戦が確定されてる……」
「勝利の後はあんみつパフェで祝杯あげるの」
「日に二度もパフェを食べるのか……」
勉強後におやつを食べて休憩した後は、夕方になるまでめいっぱい遊ぶ。
先週は雨だったからテレビで映画を見て過ごしたけれど、今日は晴天なので散歩にした。
手を繋いでのんびり歩く。
歩く時に手を繋ぐのは、一緒に登校をしていた頃と同じだけれど、千くんが高校生になってからは繋ぎ方が変わって、指を絡めるような仕方になった。千くんはこっちの方が繋ぎやすいのだろう。
そうして公園でピクニック気分を満喫したら、あっという間に夕方になる。
繋いだ手を離すと、千くんはいつも寂しそうな顔になる。千くんは寂しがり屋である。
夏休みが始まったら、もっとたくさん遊べるねと言ったら、寂しそうな表情が消えて、笑ってくれた。
けれどこの夏休みに、わたしが千くんと会うことはなかった。