7.(病院ごっこ)
小学一年生の亜子のお気に入りの遊びの一つに、「病院ごっこ」がある。
病院ごっこは主に公園で行われる。亜子が「神の腕を持つ敏腕・凄腕・スーパー腕利き外科医の院長先生」であり(腕が多い)、俺が「腹心の部下である看護師長」である。なお、ふたりとも病院側の人間なので、患者役がいない。
患者役がいない病院ごっこで何をするのかと言えば、「亜子院長が病院を歩く」ことが遊びの主題となる。
まず公園の入り口に立ち、俺が「亜子院長の総回診です」と言う。亜子院長は厳かな表情で頷き、看護師長(と想像上の複数の医師たち)を従えてゆっくりと公園を一周する。以上。
一周した亜子は、やり遂げた感溢れる表情でこちらを振り向き、「もういっかい!」と催促する。「亜子院長の総回診です」と言われて頷いて公園を一周することが非常に楽しいらしい。うん。可愛い。どんな経営難が来ようと医療ミスで糾弾されようと汚職事件で失脚しようと、この院長に一生ついて行くと誓う。
ちなみに看護師長の設定は、「いんちょうのざをさんだつしようとたくらみ、きょうきをてに、いんちょうのねこみをおそうも、かえりうちにあい、やさしくさとされ、かいしゅんし、いまはふくしんのぶか」らしい。凶器を手に寝こみを襲ってきた相手を返り討ちにできる亜子院長の屈強さも気になるところだが、口調は舌足らずながら、「簒奪」・「改悛」・「腹心」と小学一年生らしからぬ単語が並んでおり、いったいどこでそんな語彙力を高めているのか、亜子の生態は謎に包まれている。
なお、亜子に「亜子院長の病院はどんな病院なの?」と訊ねてみたら、どや顔で「ごひゃっかいだてのちょうこうそうビルのだいびょういん」という答えが返ってきた。500階層分の病室の回診を担わなければならない亜子院長。傍から見るとかなりブラックな労働環境だが、当の亜子院長はいつだってやる気に満ちており、その足取りは軽い。
しかし公園を二周するとさすがに疲れたようで、三周目はせず、亜子はベンチに座った。クマの形のポシェットの中から、色とりどりのリボンを取り出す。ちょっと高いチョコレートの箱やプレゼント包装に付いているリボンをせっせと集めた、亜子の大事なコレクションである。
「せんくんがせかいをまたにかけるカリスマびようしで、あこが、しがないおきゃくさん」
亜子の中で病院と美容院はシームレスに繋がっているため、突然カリスマ美容師に転職させられても驚いてはいけない。
リボンと一緒にポシェットから出てきた木の櫛を受け取り、あちこち跳ねている亜子の髪を丁寧に梳く。亜子は自身の癖毛を気に入っておらず、「せんくんみたいにさらさらがよかった」と言うけれど、亜子はこの跳ねている感じが可愛いのだと力説したい。もちろん亜子ならどんな髪型でも可愛いことが確定しているけれど。
「お客様。今日はどうなさいますか?」
「リボン、ぜんぶのせで!」
ラーメンの注文ような威勢のいい要望通りに、リボンを一つずつ綺麗に結び付ける。全てのリボンを結び終えたら、リボンの化身とも言うべき芸術性の高い頭になった。手鏡で自身の姿を確認した亜子はご満悦である。
「あたま、かわいい?」
「もはや世界一可愛い」
真摯な表情で心から頷いたら、亜子は「へへ」とはにかんで、可愛いの地位を不動のものとした。可愛い。
美容室のお客様に満足し、病院の院長の座という志を思い出した亜子は、リボンまみれの頭で再び回診へと繰り出す。俺もカリスマ美容師から看護師長に再転職し、亜子の歩みに付き添う。病院と美容院を行き来しているうちに、すっかり日が暮れる。
「そろそろ帰ろうか」
「うん!」
やがて亜子のブームが医療ものから裁判ものに変わったことで、病院ごっこ(および美容院ごっこ)は収束に向かった。
以降も亜子のブームは刻々と移り変わり、それに応じてこちらの役柄も「腹心の部下の看護師長」、「冷徹と思わせて本当は情に溢れていて最終的には手を貸してくれる検察官」、「魔王の部下となり世界の敵になるか食べるラー油専門店のフランチャイズ経営に乗り出すかしか人生の選択肢がない悪役令嬢に転生してしまった統計学のエキスパート」等々の展開を見せた。
色々なごっこ遊びを経験したけれど、中でも「結婚ごっこ」は最高だった。なぜか妙に凝った設定のごっこ遊びが多い亜子にしては珍しく、「お嫁さんとお婿さんが結婚式を挙げる」というシンプルなもの。レースのテーブルクロスを花嫁衣裳の代わりに被せたら、亜子はとても喜んでくれた。
「ベール、かわいい?」
「全宇宙規模で可愛い」
結婚ごっこが余りに嬉しかったので、亜子が帰ってひとりになってからも、亜子と式を挙げた余韻に浸り、つい「ふふ」と笑い声を漏らしたら、ちょうど帰宅した百に「うわ、千、怖……」と真顔で引かれた。その結婚ごっこで使った玩具の指輪は今も大事に持っている。
亜子はごっこ遊びが好きだったけれど、成長するにつれて、そうしたことはしなくなっていった。今となってはもう、自分が500階建ての超高層ビルの大病院の主だったことなんて、覚えてもいないのだろう。
これが、病院ごっこを始めとする、子供時代の楽しい遊びの記憶である。
そして現在。
お互い大学生になった今。
俺は大学の生協で売っていた白衣を着て、亜子の隣に座っている。
「千く……『スーパードクター水崎先生』、お願いします」
「うん……」
「決め台詞! 決め台詞!」
「……。『確実に失敗しないので』……」
まさか亜子院長の総回診から十年以上が経った今、再び病院ごっこをすることになろうとは。
番外編「(再・病院ごっこ)」に続く