5.ツン対応
番外編「デレ対応」の続きです。
活動報告の小ネタでは名前が出るも、ついに本編では名前を呼ばれなかった不遇の人物、折場が登場します。千に牛乳を買わされていた人です。
クッキーを食べ終えた後、天気がいいので散歩へ行くことにした。
お腹がクッキーで満ちた幸せな気持ちで、ふたりで鴨川沿いをのんびり歩いていると、ザ・日曜日という感慨がこみ上げる。
「千くん。鴨」
「鴨だね」
「鶴」
「鷺だね」
鴨川には鳥が多いので楽しい。
川沿い腰掛けてバードウォッチングに励んでいたら、「水崎?」と、声が掛かった。
顔を上げると、何となく見覚えのあるような気がしないでもない、千くんと同い年くらいの青年が立っていた。
青年は千くんの隣にいるわたしを見て、「えっ、彼女……!?」と、目を丸くしている。
「水崎、やっぱりお前、彼女ができたのか!」
「……折場。何か用?」
と、千くんが応じた。
応じたからには知り合いなのだろうけれど、その声と表情は、温かく鳥の名前を口にしていた先程から一変、ひんやりと冷たい。
千くんのこの冷たい雰囲気に、中学生時代のことを思い出した。
心を鬼にして弓道部員に厳しく接する千くんの袴姿を思い出した。
「って、え、もしかして君は……」
「あっ。弓道部の、声の大きい、千くんと友達じゃない人だ!」
折場さんなる元・弓道部員の青年は、わたしの物言いに「覚え方!」と叫び、千くんは「亜子、そうだよ。よく覚えてたね」と、温かく微笑んだ。
「見覚えあると思ったら、やっぱり亜子ちゃんだったかー」
「気安く亜子の名前を口にするのやめてくれる……?」
再び冷たい表情で折場さんの方を向く千くん。
温度差がすごい。結露が生じてもおかしくないレベルである。
ふたりは仲が悪いのかなと思ってハラハラしたが、折場さんの方は絶対零度の視線に特に怯んだ様子もなく、「いやー、亜子ちゃん大きくなったなあー」と、久しぶりに会った親戚みたいな感想を述べた。
「改めましてこんにちは亜子ちゃん。友達じゃない人じゃないよ、水崎の友達の折場です。友達の折場です」
友達であること強調した挨拶をくれたので、友達であるらしい。
「こんにちは。雛井亜子です」とお辞儀を返したら、「亜子、こいつは無視していいんだよ」と、千くんが穏やかな口調で穏やかでないことを言う。
「でも千くんの友達……」
「……別に仲がいい訳じゃなくて、ただ腐れ縁ってだけだから」
「くされえん……!?」
人生で言ってみたい台詞ランキング上位の台詞に目を瞠った。
腐れ縁の友達。ロマンの塊である。
憧れの眼差しを折場さんに向けた。
「そうなんだよ。水崎とは中学、高校、果ては大学まで一緒でなあ。それも、別にわざわざ進路を合わせたわけじゃなくて偶然でさ。進路が被ったと知った時の、水崎のあの嫌そうな顔!」
「中学からずっと一緒なんだあ……! 運命を感じる……!」
折場さんは「な!」と笑顔で応じ、千くんは「悪縁の間違いだよ……」と、疲れたような顔で言った。
「しかし感慨深いな。モテるくせに一度も彼女を作らなかった水崎がついに誰かと付き合ったと思ったら、亜子ちゃんだったか。納得だよ。中学の時、亜子ちゃんのこと尋常じゃなく可愛がってたもんな。尋常じゃなく。それにしても水崎よ、彼女ができたことを隠すとは水臭い」
「お前に話す義理は無い。亜子に話しかけるな。亜子の名前を口にするな。速やかに帰れ」
「嫌だ! せっかく水崎が彼女といる場面に遭遇したんだぞ! 気になる!」
わたしだったら千くんから絶対零度の視線と声で「帰れ」と命じられたら泣くし絶対服従するが、折場さんはきっぱり拒否。中学時代のワンシーンのデジャブである。
「まあ、彼女ができただろうことには薄々気付いてはいたけどな! 数か月くらい前から、水崎の持って来る弁当箱が急に可愛い招き猫型になったりとか。それまでは何の面白みも無いただの四角いアルミの弁当箱だったのに。絶対なんかあったよなって場は騒然としたよ」
「あ、それわたしが選んだお弁当箱です! 千くんが白招き猫で、わたしが黒招き猫です」
「やっぱり亜子ちゃんのチョイスだったか。良いセンスだよ。他にもな、いつも地味な色の服を着ていた水崎が、ある日パステルカラーのパーカーで大学に来たことがあってな。招き猫弁当箱事件以上にざわついたよ……。それも亜子ちゃんが選んだの?」
「うん。色違いでお揃いのパーカーを買いました。千くんが桜餅ピンクで、わたしが鶯餅ライトグリーンです。和菓子色で京都感を出してみました」
「そうかそうか。亜子ちゃんはお揃いが好きなんだなあ。愛されてるな水崎。他にもな、水崎がえらくご機嫌な様子で携帯眺めてると思って覗き込んだら痛あっ。刺さってる、ノートの角刺さってる!」
「ノートじゃなくて文庫本サイズの野草図鑑だよ……」
「厚みと硬度が増してる!」
鞄から取り出した書物の角っこで折場さんの頭を刺すというバイオレンスを働く千くん。無駄のない流れるような動きだった。手慣れている。
「さっきから亜子ちゃん亜子ちゃんとなれなれしい……。いいか亜子の名を口にしたら刺す。っていうか教えてないのになぜ亜子の名前を覚えている……」
「いやだって中学の時、水崎が亜子、亜子って口にしてたんだからそりゃ覚えるだろう痛ぁ!」
「また亜子の名を口にしたな」
「不可抗力! では何と呼べば……」
「……。……。水崎さん、とか」
「もう結婚した気でいるっ!?」
わたしからすると、こんな風に荒ぶる千くんの姿は珍しいのだけれど、折場さんは慣れている様子だった。いつものことなのかもしれない。
千くんは仲がいい訳じゃないと言っていたけれど、傍から見ている分には険悪なものは感じない。
ほんわかと仲良し! ではないけれど、なんだろう。
眠いのに突進かまされて不機嫌に無視するハスキー犬と、なお突進をかまして遊びに誘う柴犬のような……。
「いいから帰れ。さもなくば次は六法全書を使う」
「威力が怖いよ。もう撲殺の域だよ。分かったよ。デートの邪魔してごめんって」
これが腐れ縁の友情ってやつなんだ……。
これが夕焼けに染まる河原でクロスカウンターする系の友情なんだ……!
と、深く感動している間に、折場さんとのやり取りは終わったらしい。
「よし、亜子崎ちゃん。最後にとっておきの話をしてやろう」
知らぬ間に亜子崎なるちょっとカッコいいあだ名が付いていた。なお、千くんは特に荒ぶるでもなく、粛々と文庫本を鞄に収納していたので、亜子崎呼びは彼的にはOKらしい。
「高校時代の水崎の伝説だ。聞きたい?」
「えっ、伝説……!? 聞きたい!」
「ふっふ。気になるだろう。高校の弓道部でな、水崎には『扇じゃなくて挑発かました人間の頭を射にかかる系の那須与一』という二つ名が」
「撲殺以外にリクエストある?」
「うん、この話は次に会った時に話そう」
とても気になる話題だったのに、折場さんは話を切り上げてしまった。
「じゃ、亜子崎ちゃん、また今度ね!」
「次も今度も無い。行こう、亜子」
「え、でも伝説……」
「そんなものないから。折場の妄言だから」
千くんに手を引かれ、名残惜しくも折場さんとお別れをする。
折場さんが「ばいばーい」と、のんびり手を振ったので振り返した。
千くんは振り返すどころか振り返りもしない。一貫して氷の姿勢である。
「面白い人だったね!」
「あんなのに興味を持たなくていいんだよ、亜子」
折場さんと接する千くんの様子は新鮮だった。
普段、優しい姿しか見ないから(たまに極寒の視線で怒られるけど)、ギャップがすごい。
「千くんは折場さんには厳しいんだね」
「厳しい?」
「うん。千くんはいつも温かなのに、折場さんの前ではこう、ツンツンした感じだったから」
「そうかな……?」
千くんはあの温度差に自覚が無いのか、ちょっと思案してから言った。
「折場と他人とで、そこまで態度を変えてるつもりはないんだけど……。だいたいあんな感じだよ」
「そ、そうなの?」
折場さんに限らず、人と接するときはだいたいあんな感じ……?
試しに、千くんが他人と接する場面を思い返してみる。
一緒にお買い物をしたり喫茶店に行ったりするとき、千くんは店員さんに、いつも丁寧な態度で接している。ツンツンしていない。
千くんの謎バイト遍歴による人脈も思い返してみる。
鰻屋の店主に「せんちゃん、こないだはおおきになあ」と笑顔で手を振られて「お久しぶりです」とお辞儀を返したり、骨董屋の店番少年に「水崎先輩、綱吉公が愛用していた犬型湯たんぽが手に入ったんですが買います?」と商売を持ちかけられて「うちのマンションはペット禁止だから」と素敵な回答で躱したり、ドーベルマンの飼い主のお姉さんに「調教師さん、なぜポン吉ちゃんは調教師さんにはお手をして私にはしないんでしょうか」と相談されて「たぶん貴女が犬の中の順位において格下に位置付けられているからだと思います。あと調教師じゃないです」と真摯なアドバイスをしたり、全くツンツンしていない。
どの場面の千くんも、淡々と静かな口調で、怜悧な表情ではあるけれど、さきほど折場さんの前で見せたような、研ぎ澄ました氷柱のように尖った対応ではない。
千くんは確かに人見知り傾向(特に、我が両親に代表されるようなぐいぐい来る人間が苦手である)があるけれど、それでもいつも礼儀正しくて、冷静で、大人の対応である。
「……まあ、折場は付き合いが長いから、他人よりは気楽に接してるかな」
気楽……。
なるほど。
あのひんやりツンツン対応は、気を許した折場さん相手だからこそ、腐れ縁のずっ友だからこその、素の態度だったということか。
あれ。
素?
素の千くんは優しい人間のはずでは……。
そういえば以前、千くんは「亜子以外の存在に対して、特に優しい気持ちを感じたことはない」と言っていた。
出会った時からずっと、千くんは万物に優しいと思っていたから、その言葉は衝撃的だったし、あんまり腑に落ちなかったけれど、こういうことだったのだろうか。
わたしが優しさを受けている当事者だから実感が湧かないだけで、本来の千くんは優しくなくて、優しいのは珍しいことだろうか。
うーん。
千くんが本当は優しくない人間だという説は、やっぱり信じられない。
千くんは優しい。世界で一番優しい。
これは間違いない。
素の千くんは優しい。
けれど、親しい相手の前では、ツンツンした態度を取ってしまう……。
「はっ」
ピンと来た。
女の勘が冴え渡った。
千くんは、まごうことなきツンデレなのでは……!?
あれは不機嫌な対応ではなくて、照れ隠しだったのか……!
「どうしたの亜子?」
まさか、千くんがツンデレ体質だったとは。
千くんの可能性は無限大である。
「千くんは隠れツンデレだったみたい」
興奮して言うと、千くんは「そんな隠れ貧血みたいな種類もあるんだ……」と感心した様子だった。
「折場さんにはツンドラ地帯の寒冷対応だけど、わたしには干したて羽毛布団の温もり対応だから。前者がツン、後者がデレで、完全なるツンデレだよ」
ツンツンとまではいかないけれど、他人と接するときの怜悧な姿勢も広義のツンに含めるならば、千くんは外界に対してはだいたいツンとも言えるかもしれない。
一方、わたしにはいつも、どこまでも甘くて優しい。毎日がデレである。
「外ではツン、おうちではデレ……。うん、隠れツンデレというよりは、ハウスツンデレが正しいかもしれない」
「そんなハウス栽培みたいな種類もあるんだ……」
「隠れ、そしてハウス……うん、ずばり、隠れ家ツンデレだよ!」
「そんな隠れ家カフェみたいな種類まで……。奥が深いな、つんでれ……」
知らずツンデレをマスターしていた千くんのことである、実はヤンデレの才能だってあるのかもしれない。
と思ったけれど、うん、それはさすがにないか。
闇深い千くんを想像できない。彼は完全なる光属性の人間である。千くんだし。
手を繋いで歩きながら、千くんの顔をじっと見上げる。
視線に気が付いた彼がこちらを見下ろして、微笑んだ。
「高校の伝説のこと詳しく聞いてもいい?」
「その話は忘れて」
実はツンデレだった千くん。
本当は優しいのに照れ隠しでツンしてしまう彼が唯一、素のままのデレを向けられる相手がわたしであることが、とても嬉しい。