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2.(就寝準備)


 眠ってしまった亜子を抱き上げて、ベッドへ運ぶ。


 亜子は昔、うちに遊びに来てはよくお昼寝をしていたけれど、その頃もこうして運んでいたことを思い出して懐かしい。


 当時と比べてもちろん成長しているとはいえ、亜子は相変わらず、小柄で軽い。

 食いしん坊なのに、食べた分はどこへ行っているのだろう。

 亜子はちょろちょろとよく動くから、食べた分をすぐに消費してしまうのだろうか。

 か細くて心配だから、せめてもう少し太って欲しい。美味しいものをたくさん食べさせたい。

 食事を用意するという意味でも、食事を口元に運ぶという意味でも、食べさせたい。


 中学生の頃、お弁当のおかずを摘まんだ箸を差し出したら、素直にくわえて、それは美味しそうに食べてくれたものだった。

 その様子を見ていた同級生に、「なあ餌付け崎、いくら妹のように可愛がってるからって、あーんして食べさせてるのはどうかと思うぞ。シスコン崎が過ぎるぞ」と言われたのでノートの角で頭を刺したどうでもいい記憶がふと蘇って、どうでもいいからまたすぐに忘れた。


 今日、ケーキを口に運んで食べさせようとした時は、久しぶりだからか戸惑った様子だったけれど、ちゃんと素直に食べてくれた。亜子と昔の関係に戻れて嬉しい。


 亜子をそっとベッドに横たえて、毛布を掛ける。

 寝顔を見るのは久しぶりなので、傍らに腰を降ろして、しばらく眺めることにした。

 安心しきったような、無防備な寝顔。思わず頬が緩む。


 寝付けないと言って困っていたのに、ハーブティを飲んでしばらくしたら、あっさりと眠り込んでしまった。確かにカモミールには安眠効果があるらしいけれど、たぶん普通はここまで即効性はない。亜子は信じやすい性質なのだろう。


「亜子は素直だね」


 返事はないと分かっているけれど、つい声を掛けてしまう。

 あどけない寝顔を眺めていると、愛おしい気持ちがこみ上げてきて、頭を撫でたくなる。起きていても撫でたくなるけれど。


 亜子は昔から寝つきが大変いい。一度眠ってしまうと、撫でたり、頬擦りをしたり、キスをしたくらいでは起きなかった。

 それは今も変わらないらしいなと思っていると、亜子が声を発した。


「せんくん」


「キスじゃないから。舐めただけだから。無許可でキスしたわけじゃないから」


 起きていたのかと思って素早く弁解したが、亜子は何も言わず、もそもそと寝返りを打っただけだった。

 寝言だったらしい。

 寝言でまで名前を呼んでもらえて感無量だ。


「せんくん……」


「うん。どうしたの?」


 起きている時よりも舌足らずな感じでひたすら可愛い。

 寝言に応えてはいけないみたいな迷信を聞いたことがあるけれど、この可愛い呼び掛けに応じない方がどうかしている。


「あのね」


「うん」


「さっき千くんが使った必殺技なんだけど」


「使った覚えがないよ」


「千だから、ハンドレッド・ブリザードって技名はどうかな」


「ハンドレッドは百だよ」


 夢の中でどういう状況に陥っているのかは不明だが、夢の中でも一緒にいるようなので嬉しい。

 技名が決まって満足したのか、寝言はぱたりと止んだ。規則正しい、微かな寝息だけが聞こえる。


 毛布に潜り込んで、亜子の華奢な身体を抱き締めた。

 体温と鼓動を感じて、たまらなく愛おしさが募る。


 こうして亜子が腕の中にいると、ひどく満ち足りた気持ちになる。

 やっと手に入れたんだと実感できる。

 最初からずっと欲しかった。やっと手に入れた。


 とりあえず亜子には自力で生きていけないようになって欲しい。

 俺がいないと途方に暮れて死んでしまうようになって欲しい。


 幸い、亜子は甘やかせば甘やかした分だけ甘やかされてくれる子だったから、徹底的に甘やかせば、きっとちゃんと駄目になってくれる。


 ひとりになった途端、迷子になって通学できなくなった時みたいに。

 ひとりではどこへも行けない、手を引かれなければ歩けない、そうなればいい。


 亜子は笑顔で、手の届かないとこに行ってしまう怖さがある。

 夏休みに遊ぼうと無邪気な声で約束しておいて、さよならも告げずにいなくなった、あの出来事はトラウマでもあり、教訓でもある。


 亜子を自由にさせてはいけない。


 自由にさせると、ふらふらと遠い所に行ってしまう。

 近い将来、大学帰りに山で遭難するとか、そんなありえない事態を起こしかねない。いや、それはさすがにないか。

 ともかく亜子にはGPSを付けておこう。


 絶対に自由になんかさせてあげない。


 亜子に嫌われたと思っていた時は、傍にいてくれるだけでいいと考えていた。

 一方的に愛情を注ぐだけで構わなかった。

 嫌われたままでもいいから、もう一度戻って来て欲しかった。

 愛情は求めないから、ただ傍にいてくれることを願っていた。


 けれど今は、亜子からの愛情が欲しい。 

 ひとりでは生きていけないと言って欲しい。

 他の誰かでは駄目だと言って欲しい。

 他の誰かが差し伸べる手には目もくれず、俺の手だけを取って欲しい。

 亜子の心が全部欲しい。


 自分の欲深さに自分で引いた。満たされたそばから、もっと欲しいと考え出して、本当にどうしようもない。

 でも、こんなどうしようもない人間だけど、亜子は好きだと言ってくれた。


「俺には亜子だけだよ。亜子さえいてくれたらいい。ずっと一緒にいて。ずっと」


 抱き締めながら、願いを口にする。

 眠る彼女の心に、深く刻まれることを祈って。


「うん」


 返事があったので、起こしてしまったのかと思ったけれど、やっぱり眠ったままだった。

 寝言。まだ、夢の中でも一緒にいるのだろうか。

 そう思うと、たまらなく嬉しい。


 どんな夢を見ていたのか、朝になったら教えてもらおう。





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