徒然なるままに
ちんちんは鼠蹊部についていました
タバコの先端から煙が出てきて僕の目に入った。痛む目を伏せながら僕は時子の滑らかに動く口元を眺めている。煙には少量のハッカの成分が入っているからきっとそれで目が痛んだのだろう。でもそこで僕が急に「目が痛む」なんて言おうものなら、相手は自分の話を遮られたと思うわけで、それでも形式上は心配してくるのだろう。大丈夫?と。僕はそんな風に他人が形式的に心配してくるときが一番嫌だ。僕は煙を口から吐いた。もちろん時子の方に煙が行かないようできるだけ顎を天に向けるようにした。天に向かって伸びていく螺旋状の白い線は天井の壁にたどり着くと蜘蛛の子を散らすように方々に散っていく。だから何も言わない。目が痛むことも、時子のことをもう好きじゃないってことも。
時子は変わらず喋り続けている。クラスの女子がくだらないことや、担任の教師が盗撮している話などを。時々人の話を聞いていると、相手の声がプールの中に沈んだときみたいに鼓膜に届きにくくなってくる。そういうとき俺はだいたい目を瞑っている。聞こえなくなっている状況を冷静に考えながら。時々社交辞令で頷くこともある。でも声の遠さは変わらない。俺はこの現象について、心の距離が関係しているのだと思う。
教授の話なんかもそうだ。「であるからして、エックスの関数が・・・」
俺はプールの底に沈みながら、水面を境にした向こう側で話している教授や他のクラスメイトの顔を眺めている。誰も彼もパッとしない顔ばかりだ。もしかしたら、この学校には俺を満たす人間なんていないのかもしれないなんて、そういう風に思ってしまうことがよくある。でもそれはどうでもいいことだ。学校に何かを求める方が間違っている。俺は天涯孤独だ。でもそれを寂しいと思うよりも楽しいと思う。自由の代償がそれだとするなら安すぎると言えるからだ。境界で俺のことを教授が見つめてくる。人は騙し合って世の中を生きている。コンビニの陳列棚を通り過ぎる時、おにぎりやサンドウイッチが俺を見てくる。鮭120円、いくら130円、こいつらの適正な価格って何円なんだ。人間が決めた尺度の中じゃこいつらも幅を利かせて泳ぐことは難しいだろう。たかが人間が決めた値段だ。だから正確じゃない。故に店は消費者を騙している。これは安いと消費者に思い込ませている。生き物の値段、あるいは生き物だったものの値段を人間が決める。いくら所有者だと人間が主張したってそれは生命の倫理的観点からは、到底判断しかねる材料なんじゃないか?
例えが庶民的すぎるって?悪いけど俺も一消費者に過ぎないのでね。生きるためにはメシを食う必要がある。
価値観が空を飛ぶ戦車みたいだって?
悪いね、俺は理想論者なんだ。
意味のないことをただただ書き連ねることにも飽きた。吉田ジョニーは開いていたノートブックを閉じた。