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1. 61日間の航海

 私の父から聞いた体験談を書こうと思う。 

 父がアルゼンチンに移住していた14年間の物語だ。


 もちろん「ノンフィクション」である。

 本人から聞き、実際に体験した話をなるべく正確に綴ろうと思うが、登場人物の名前は別名とする。

因みに、父は80代半ばではあるが、未だに現役で自宅の工場でバリバリと仕事をこなしている。

 知能も肉体も一向に衰える様子がなく、そんな父のあだ名は『 怪物 』である。



 * * *


 1960年11月17日、神戸港にて、オランダ船『テヘルベル号』から大きな汽笛の音が響いた。出港の合図である。


 デッキから、神崎 ハジメ(カンザキ ハジメ)は、対岸の見送りに来た家族や友人達に向けて、大きく手を振った。



「行ってきまーーーす! お元気でーーーっ!」



 今年で24歳になるハジメは、アルゼンチンに住む知人の藤元夫妻を頼り、移民する事に決めたのだ。

 ハジメはとにかく負けず嫌いだった。

 なので喧嘩っ早い欠点もあったが、一番になる為に努力を惜しまない不屈の精神も持ち合わせていた。


 ハジメは家の事情で祖母に育てられたのだが、その祖母の口癖が

「いいか!同じ盗賊になるなら頭になれ!」だった。


なぜなら、頭になれば配下の者に分け与えることができるからということだ。

...いや、意味は分かるのだが、いまいち分かりたくないと誰もが思うだろう。


 とにかく、そんな豪胆で慈悲深い祖母に育てられたハジメもまた、『弱気ものを助ける』をモットーに、喧嘩上等の青春時代を過ごした。



 大抵の日本人ならば、言葉も通じない他国へ移民など不安しかないと思うのだが、ハジメの場合は、次兄や叔父、親戚や知人など数名が、すでにアルゼンチンで暮らしていたので、不安よりも希望の方が大きかった。


「絶対に一番になってやる!!」

何の一番なのかは謎だが、旅行鞄と習いかけのギターだけを持って、船内に入る。


 ハジメは、知人の藤元夫妻が花の栽培をしている畑の従業員として、働くことが決まっていた。

今は日本語しか話せないが、現地で働きながら学べばよいと考えていた。



 終戦から十数年がたち、日本は他国への移民を推奨する政策を取っていた。

国から渡航費用が出ることもあり、船には大勢の日本人が移民団として、世話役と共に乗り込んでいた。

 行先は、ブラジルやアルゼンチンだ。


 貨物船『テヘルベル号』は大西洋回りで、アルゼンチンまで約2か月の航海で、途中で香港・シンガポールにて大勢の中国人を乗せて、インド洋を渡っていった。

 



 * * *


 ハジメはとにかく世話焼きで、マメに皆に声をかけ、困っている人がいたら手を貸して回っていたので、すぐに顔見知りも沢山できて、友人も増えた。


 そんな航海中のある日、仲良くなった同じ日本人の若者グループ、ハジメ達の男女の十数名は、自分たちの大部屋で車座になり、楽しく宴会をしていた。


メンバーは、ハジメと顔見知りになった27歳と26歳の岡本兄弟。彼らはブラジルに移民予定で、他にも20代の男性たち。 そして、すでに移民している日本人に嫁ぐために渡航する、移民花嫁たち数名だ。



 そんな賑やかにワイワイと皆が盛り上がる中、事件は起きた。

 一人の中年の男が近づいてきて、厭味ったらしく声をかけてきた。


「やあ。自分たちだけ、楽しそうで何よりだね」


 場が途端にシンと静まる中、ハジメが振り返ると、後ろでこちらを見下ろしているのは、いつも自分たちに何かと絡んでくる男だ。


 ハジメとしては、素直に自分も宴の中に入っていいかと聞いてきたなら、別に文句はなかったが、その物言いや、人を見下したような顔つきにカチンときた。


 なんせハジメは負けず嫌いで、尚且つ異常に短気だった。

立ち上がりざま、喧嘩する気満々で叫ぶ。


「何ぬかしとんじゃーーーっ!!!」



 ハジメが叫んだ瞬間、後ろに控えていた岡本兄弟が飛び出してきた。

そのままの勢いで男に殴りかかっていき、唖然とするハジメを置いてけぼりにしたまま、2人かがりで男をボッコボコに殴り始めた。



 「…え?」


 呆然と立ち尽くすハジメをよそに、その日の宴は終わるのだった。

その後、その男は2度とハジメ達に絡んでくることはなかった。



 * * *


 ハジメ達が寝起きしている大部屋は細かく仕切られ、2段ベッドがいくつも並べられていた。

もちろん上の段は若者、下の段が年配としてあった。


 貨物船である為にいくつも港を経由した長い航海であった。

 そんな長い船旅中、客たちは暇を持て余していたが、途中で赤道線をこえる瞬間には、船内で派手なパーティーが催されたりもした。


 そんな中、ハジメは黙々と我流空手の訓練をこなし、日夜筋トレに勤しんでいた。

 身長は165cmと外国人から見れば低めだが、日々の鍛錬のおかげで身体つきもがっしりしており、舐められることはない。


 大西洋回りで航海した船は、どんどん西へと向かい南アフリカに入った。

ダーバン、ポートエリザベス、ローレンスマルケス、ケープタウンと4つの港で停泊の予定だった。


 暇な航海中、皆が待ちに待った停泊だ。

 早速ハジメたち一行は、港の町の観光を計画した。

 そして、グループで船を下りようとしたら、途中で係りの男に止められ、質問されたのだ。


「おい!お前らは中国人か?」


 ポルトガル語での質問だったのだが、ハジメの仲間にブラジルに移民の経験者がおり、そいつが俺たちは日本人だと返事をしたところ、無事に港での観光許可が下りた。


 ハジメは知らなかったのだが、友人の解説によると、どこも人種差別が激しく、一等二等三等と人種が区別されているのだ。そして日本人は一等扱いとされていたのだ。一等のみ観光が許されるとの事だった。


 船を下りて最初に驚いたのは、とても美しい街の風景だった。イギリスの植民地であった為か、とにかく洒落た外観の建物が多かった。


 その後、ローレンスマルケス港では、停泊中の大阪商船『三島丸』と遭遇した。

『三島丸』の船員さん達は、3年間日本人と会った事がなかったようで、ハジメたちを歓迎してくれた。


 翌日町の広場で、ハジメたち移民団 対 三島丸船員でソフトボールの試合が開かれたが、ハジメたちはボロボロにやられて終わった。

 その夜、三島丸の船長が移民団をパーティーに招待してくれて、楽しい一夜を過ごしたのであった。



 * * *

 ハジメたちが乗船している『テヘルベル号』が、南アフリカ最後の港ケープタウン港を後にし、途中怒涛の荒波、荒れ狂う大西洋を横断して、1961年1月9日、ようやく南アメリカ最大の国ブラジルのサントス港に着いたのだった。


 この港で多くの日本の移民団たちや中国人たちが下船していった。ハジメと仲良くなった岡本兄弟や移民花嫁の女性たちもここでお別れとなった。


 その後、途中何度か港で停泊し、1961年1月17日、ハジメの目的地アルゼンチン共和国、ブエノスアイレス港に着いたのであった。


 ようやく、ハジメが日本を出発し、太平洋・インド洋・大西洋を船旅で横断した61日間の旅が、終わりを告げたのだ。

 



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