6話
一瞬の稲光を残しながら突き抜けた矢は、姫様の頭上を飛び越えて、暗殺者に突き刺さる。
この雷撃魔道具は、出力を抑えた非殺傷の道具だ。これ単体で対象を無力化することはできない。しかし、一瞬痺れさせることくらいなら、できる。
「――っ!」
手を痺れさせた男の手から、黒塗りの短剣が滑り落ちる。オーケイ、先制は取った。
「護衛さん!」
私が声をかけたときには、騎士様は既に動いていた。
一人の騎士が暗殺者にタックルをかまし、もう一人は姫様を引き寄せて安全な位置にまで下がる。突然始まった騒動に街行く人が足を止めるが、かまっていられない。
「大人しくしろ!」
騎士様は手慣れた動きで暗殺者を組み伏せる。地面に取り押さえて首筋に手刀。容赦無く意識を狩りに行く判断はさすがのプロだ。
だが、暗殺者も同じくプロである。一体どんな技を使ったのかは分からないが、彼は手刀を耐えた。そして組み伏された体勢から、腕の関節をあり得ない角度でぐるりと回し、騎士様を投げ飛ばした。
「へえ、やるなぁ」
そんな暢気な感想を漏らすと、暗殺者の男がぐるりと私を向いた。ありったけの憎悪を籠めた瞳で私を見る。
こわいなー、と思いつつ雷撃魔道具を構える。来るならおいで。私を狙う分にはどうとでもなるんだ。
でも、そう上手くは行かないみたい。舌打ちを一つ残して、暗殺者の男は背を向けて走り出した。
「くそ……っ! 逃がすか!」
投げられた騎士様が立ち上がり、男を追う。身軽なのは暗殺者の方であったが、一度雷撃を受けた身体だ。騎士様の方がずっと速い。
走っても逃げられない。そう悟った暗殺者がどういう手に出るか。
それはもう、読めている。
「――あは。また引っかかったね」
暗殺者は、日陰になっている壁に手をつく。すると、とぷんと影が脈動した。
壁の中に黒々とした影が渦巻く。それは水のように揺らめきながら、暗殺者の体を飲み込み始めた。
追い詰められた暗殺者は、影に潜って逃げようとする。前も見た手口だ。だからこそ、対策するのはたやすかった。
「術式改変魔道具影魔法対応モデル、くらいのこわいのつかまえた。君のために作った特製のオモチャだ。気に入ってくれると嬉しいな」
暗殺者の身体が半分ほど影の中に沈み込んだところで、影が固定化する。
体の半分を飲み込まれたところで影が固定化し、壁の中に埋もれてしまった彼はもがき始める。無駄な抵抗だ。こうなってしまっては暗殺者だろうとなんだろうと、逃げられる由もない。
逃げられないことを理解すると、暗殺者は強く歯を噛んで私を睨んだ。それが精一杯の抵抗だった。
そんな彼の様子に困惑しつつ、騎士様が私を振り返る。
「これは……? 君がやったのか?」
「うん、ちょっとね。あ、でも、法に触れるようなことはやってないよ? 民間人が所持していい水準の魔道具しか使ってないから」
「そうじゃない。君はこうなることを予測して、予めあの場所に罠を張っていたのか?」
肩をすくめる。そういう風に見えるかもだけど、実際はちょっと違う。
実は屋台を回っている途中に、その辺の壁という壁に魔道具を仕掛けていたのだ。つまりは数撃ちゃ当たる戦法。この辺の壁だったら、どこに触れようと罠は発動していた。
ちなみに、たとえ無害なものであってもみだりに魔道具を仕掛けることは軽犯罪である。よって、それっぽい笑顔ではぐらかした。見逃して。
「君、すごいな……。以前奴らの手からシルル様を守り抜いたのも、偶然ではなかったということか」
「それよりも、ここ任せていい? 衛兵さん呼んでくるから」
「いや、君はここに居てくれ。おい、誰か! 衛兵を呼んでくれるか!」
衛兵が来るまでの間、私は暗殺者の男を見ていた。もし妙な動きを見せようものなら、すぐに阻止できるように魔道具を構えて。
「護衛さん。一応伝えておくけど、敵は単独犯じゃない。最低でも二人組、もしくはそれ以上だと思う。まだ油断しないでね」
「ああ……。君も気をつけろよ。すまないが、もし何かあったとしても、我々は君よりもシルル様を優先して守らねばならない」
「気にしないで。分かってるから」
お気遣いありがとう。自分の身は自分で守るよ。
そうは言っても、露骨に警戒している中で仕掛けてくるというのは考えにくい。警戒は解かないが、おそらく来ないだろうなとは思っていた。
しかし、違った。奴は仕掛けてきたのだ。
「…………っ」
ゾクリと、身体が震えた。
底冷えするような粘つく殺気。何としてでもお前を殺すという、明確かつ強圧的な意思表示。何処からともなく発せられたそれは、間違いなく私に向けられたものだ。
ぷるぷるリングくん・ザ・ビーストがこれでもかと振動する。それ以上に、私の心臓が、荒れる呼吸が、命の危機を感じさせる。
はは……。参ったな。これ、ちょっと、洒落にならないぞ。なんていう殺気だよ。一体どんな化物なんだよ、こいつは。
「ルーチェさん……」
姫様の顔色も悪い。私も似たようなものだろう。それでも私は、せめて表情だけでも微笑みかけて、大丈夫だと言った。
事が起きたのは次の瞬間だ。私たちが殺気に警戒を向けてしまった瞬間、彼はその一瞬の隙を見逃さなかった。
壁の中で拘束していた暗殺者。彼は、私たちの隙をついて、口の中に含んだ何かを飲み込んだ。
「……っ! 吐かせてっ!」
私が叫んだときにはもう遅かった。
暗殺者の男は白目を剥いて激しく痙攣し、勢いよく吐血を繰り返す。あまりの急変にどうすることもできない。
そして、私たちが見ている眼の前で、彼は吐血をやめた。
死んだのだ。
「ひっ……」
姫様が小さく悲鳴を上げ、騎士様がそれをかばう。
やられた。くそっ、完全にしてやられた。
殺気で判断能力を奪い、気をそらした隙に、拘束された男が毒を飲んで自害する。止める間も与えない完璧な連携だ。
あと一歩のところまで追い詰めたはずの相手は、命がけの反撃で私の策をすり抜けていった。