2話
町中を走りながら、私は頭を回す。私はどうやら少し考え違いをしていたようだ。
(姫様を追いかけている相手は、姿を見せない悪意である。おそらくは暗殺者。それも王族を狙う暗殺者ってことは、間違いなくプロだ)
暗殺者。人を殺すという技能を研ぎ澄まし、突き詰めてきた才覚。私はそれを侮りはしない。
この暗殺者はプロとしての殺しを請負い、姫様という脆弱な獲物を狩ろうとしている。だとすればその一挙一動に無駄はない。そのはずだ。
だから――。この、「暗殺者が殺気を振りまいて、獲物に存在を気取らせる」という一見愚かしい行動にも、何らかの意味がある。
(考えられるのは二つ。一つは、あえて殺気を振りまいて追い立て、疲弊したところを狩ろうとしている)
いわゆる野犬の狩りだ。威嚇し、追い立て、獲物を走らせる。そうして疲れ切ったところを安全かつ確実に殺すやり方。
だが、これは違うと言っていい。
ここは町中だ。獲物と安全な場所の距離はほど近い。疲れきる前に安全な場所へと逃げられることは容易に想像がつく。
もう一つ言うなら、ついさっき姫様は「疲れ切って隙を晒していた」。私が追いついて声をかけたタイミングだ。暗殺者が姫様を疲れさせるつもりで走らせていたのなら、なぜその時に襲撃しなかった?
だから、これは違う。この殺気は疲れさせるための殺気ではない。
(だったら――。もう一つ。殺気を振りまいているのは、ただの陽動である)
おそらくはこっちが正解だ。
強烈な殺気を向けることで獲物の注意を引き、身の危険を感じさせることで判断能力を奪う。それがこの殺気の目的だ。
判断能力を奪われた獲物は安全な場所に逃げ込もうとする。たとえばそれは、衛兵の屯所だとか。
「こっち。曲がるよ」
「へ、え? ちょっと……!」
私は道を曲がり、路地へ入った。背中から感じる殺気が強くなる。その殺気は、私に猛烈に嫌な予感を植え付けた。
つまり、この殺気の主はこっちには行ってほしくないらしい。それは私の読みが当たったことを意味していた。
「衛兵さんは向こうですよ!?」
「そっちは危ない。私たちは屯所に誘導されてた」
「ええ……っ!?」
あのまま道を走っていたら、おそらく、衛兵の屯所が見えて気が抜けたタイミングで襲撃にあっていた。
そう考えるともう一つ見えてくることがある。この暗殺者は最低でも二人組だということ。一人が追い立て、一人が狩る。そんな役割分担をしているはずだ。
「じゃあ、何処へ……!?」
「それも考えがある。大丈夫、安心して」
姫様を安心させるように握った手に力を込める。すると、同じくらいの力で握り返してきた。
何を隠そうこの私、下町生まれの町娘だ。この辺の路地は一通り頭に入っている。土地勘の無い相手を撒くくらいなら容易いし、実際に私は相手を撒くように何度も道を曲がった。
だが。結論から言うと、それは無駄な努力だった。背中に張り付く殺気はますます強くなる。それはつまり、暗殺者は変わらず私たちを追跡できているということだ。
(土地勘があるか、下調べを入念に行ってきたか。どっちでも同じことか。多少土地勘があるくらいじゃ、撒ける相手じゃないってことね)
姫様さー。ほんとさー。どんだけヤバイ相手を敵に回してんのよー。
そんなことを愚痴りたくもなる。ぶっちゃけ私は、路地にさえ入ればこっちのもんだと思っていた。でもそう上手くは行かないらしい。
まあいい。わかった。しょうがない。だったら私も本気でやる。
「――もう少ししたら、私たちに向けられている殺気が消える。でも、油断しないでね」
「へっ? なんで……?」
この殺気は姫様を目的地へと誘導するためのものだ。しかし、その目論見は既に見破った。だとしたらもう殺気を振りまく意味はない。
言ってる側から殺気が消えた。暗殺者は影に忍び、姿を見せずに私たちを狩ろうとしている。オーケイ、読み通り。
「本当に殺気が消えました……。でも、どうして?」
「油断しないで。まだ終わってないから」
私は姫様の手を強く握る。本番はこっからだ。
ここまでの攻防で私は一つの優位性を獲得した。場所選択の決定権。それはつまり、今度は私たちが敵を誘導できるということだ。
敵は私たちを追ってくるしか無いのだから、接敵地点は私たちが選べる。勝機を見出すとしたら、そこだ。
「あのね、これから大通りに出る。そしたら手を離すけど、後ろを見ないでそのまま走り続けて」
「あ、あのっ……! さっきから何が何だか……!」
「今は説明してる暇はないんだ。お願い」
姫様は返事の代わりに私の手を握る力を強める。私は同じくらいの力で握り返した。
路地を一度、二度曲がって、大通りへ向かう。背中に感じる殺気はまだ無い。だが、相手は追ってきているだろう。そのはずだ。
速度を上げて、光指す大通りへと飛び出す。その瞬間、私は姫様の手を離した。
そして、足をもつれさせてすっ転んだ。
「あだっ」
「ルーチェさんっ!?」
姫様が立ち止まって私の名を呼ぶ。違う。そうじゃない。立ち止まっちゃダメだ。
「走って!」
「……っ!」
少し迷い、泣きそうな顔をしながら、姫様は踵を返す。そう、それでいい。
そのタイミングで、路地からナイフが放たれる。切っ先は姫様の背中へと向けられていた。
「――あは。引っかかったね」
転んだままの体勢で、私は左手に持っていた竹箒をナイフの進路上に掲げた。
鈍い衝撃が走り、竹箒にナイフが突き刺さる。オーケイ、読み通り。敵が仕掛けてくるとしたら、このタイミングしかないんだよ。
邪魔な私がすっ転んだこのタイミング。いや。私が転んだフリをしたこのタイミングは、暗殺者にとってはさぞかし千載一遇の好機と見えたことだろう。
「後はこいつで――」
素早く立ち上がり、竹箒を構える。直後、路地から黒装束の男が飛び出してきた。
目論見を何度も外されよほど焦っているらしい。私など目もくれず、男は姫様だけを狙おうとする。
だから、私に注意を払わない彼に竹箒のフルスイングをぶちかますのは、とても簡単だった。
「お掃除完了だっ!」
顔面に一閃。全力でホウキを叩きつけた。