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1話

 少し、まどろんでいた。


 カウンターに突っ伏していた顔を上げる。店内に人気はない。

 よかった、眠っている間にお客さんが来ていたということは無さそうだ。


 客商売だというのに客足が少ないことは、危惧するべき事態なのかもしれない。だが、この道具屋クローバーの経営者はそんなことは気にしない。ましてや、店番を預かっているだけの私が気にするはずもなかった。


 日中は申し訳程度に店を開け、寝たり本読んだり、気が向いたら趣味の魔道具を作ったり。たまにお客さんが来たら相手をする。

 私、ルーチェ・マロウズは、そんな平穏な日常をほどほどに愛していた。


「今日も平和だー」


 ゆっくりと伸びをして、椅子から降りる。ちょっと身体を動かしたい気分だった。掃除でもするか。

 店内の棚から埃を落とし、窓とテーブルを拭いて床を掃く。それから竹箒を手に軒先を軽く掃除。あまりの良い天気にあくびが漏れた。


「もうお洗濯もやっちゃおうか」


 どうせ、今日も客来ないし。

 そんなことを考えながら表を掃いていた時、ふとしたものが目についた。


 一人の少女が表通りを駆けていく。急いでいるのかな、とも思ったが、様子が少し違った。

 まず彼女の容姿だ。ブラウスにスカート、それからショートブーツ。少し上等だが、特別目立つようなものではない。だが、彼女の髪と顔立ちは違った。


 さらさらと流れる金糸のブロンド。抜けるような白い肌に、ぱっちりした碧玉の瞳。少しあどけなさが残る口元には、鮮やかな紅が引かれる。全体的に線が柔らかく人好きのしそうな顔立ちだ。

 女の私でも思わず見惚れる、綺麗な子だった。そう、それはまるで――。


(お姫様みたい、っていうか)


 あの子、姫だよ。

 思い出した、前の建国祭で少しだけ顔を見たことがある。あの時は可憐に咲き誇る花のようなドレスを着ていたが、顔立ちは今私の目の前を駆け抜けていく少女と同じだ。


 相変わらずお綺麗であらっさられますなー。なんて。

 そんなことを言ってられる様子でもなさそうだった。


(……あの子が姫様、だとしたら)


 なぜ、姫様がこんな下町にいる?

 なぜ、姫様があんなにも必死に走っている?

 なぜ、姫様が護衛も付けずに単独で行動している?


 周りに視線を走らせる。一見、彼女を追いかける人は居なかった。

 お城での生活が退屈でこっそり抜け出した? いいや、違う。だったらもっとこそこそするはずだ。あんなふうに走ることはあり得ない。

 抜け出したところを騎士様に見つかり、逃げている最中? それも違う。騎士と姫様とでは身体能力に差がありすぎる。姫様が騎士を軽々と撒くなんて、ちょっと考えにくい。

 だったら。だったら……。


(護衛の騎士を連れてお忍びで散策していた最中、何か良くないものに襲われて、護衛の騎士が時間を稼いでいる間に逃げた、とか)


 ふう、と息を吐く。

 ただ、『綺麗な子が町中を走っている』だけの情報から組み立てた、ファンタジックな妄想だ。合っている保証などどこにもない。たまたま姫様によく似た別人が、めっちゃランニングしてるだけかもしれなかった。


 でもまあ。見過ごす、というのも気が引ける。

 ルーチェ・マロウズは平穏と日常を愛する一介の町娘に過ぎないが、町娘相応の良心はあるのだ。


「おじいちゃーん。ちょっと出かけてきていいー?」

「好きにしろ。店は閉めていけよ」

「はーい」


 店の奥から気楽な返事が帰ってきた。道具屋クローバーの経営者たる祖父は、まったくもって商売というものに興味がない。それは私も同じだけど。

 店の看板をCLOSEDに変えてから、私は竹箒を持って走り出した。



 *****



 運動は得意ですか。そう聞かれたら、自信を持ってノーと言える。


 なにも蝶よ花よと育てられたわけではないが、幼少のみぎりより本に囲まれた暮らしを送ってきた。

 祖父の書斎に潜り込んでは、読み聞かせしてもらったり、知らない言葉を教えてもらったり、勝手に本を持ち出して怒られたり。そういったことが好きだった。


 ただ、本を読んでいたかったので、運動というものに触れてこなかっただけなのだ。

 その事実が、今になって私を苦しめる。


「はあ……っ、はあ……っ」


 文学少女ルーチェ。渾身の全力疾走である。

 心臓はバクバクと警鐘を鳴らすし、肺はこれでもかと言わんばかりに酸素を欲するし。腕は痛いし足も痛いしで、色々と泣きそうだった。

 でも、目の前を走る姫様は、私よりも運動が苦手なようだ。民家の壁に手をついて、荒く息を吐きながら立ち止まっている。

 そんな彼女に追いついて、少し息を整える。それから声をかけた。


「何かお困り?」


 彼女はばっと振り向いて、私を見た。警戒した表情だった。

 私の頭のてっぺんから爪先まで、上から順に見下ろす。どうもこんにちは、町娘のルーチェです。私は片手をひらひらと降って、警戒をほぐすように笑いかけた。


「いや、なんだか逃げてたみたいだったから。大丈夫かなって思って声かけたの」

「あなたは……?」

「ルーチェ。道具屋クローバーの店番を担う、王都ハルジオンの町娘ですよ」


 自己紹介しながら彼女の顔を見る。うん、やっぱり姫様だ。しっかり見れば確信が持てる。

 一度見た人の顔と名前は忘れない。町娘ルーチェの数少ない特技の一つである。


「ね、なんて呼べばいい?」

「へ、え、え? ええと……?」


 お忍びで来てるっぽいし、姫様って呼ぶわけにもいかないしなー。そう思っての配慮だったが、姫様はまだ混乱の最中だった。

 無理もない。全力疾走かました後に知らない人が話しかけてきたらこうもなる。まあいいや、彼女の呼び名は今そんなに大事なことじゃない。


 こうして姫様の側で立っていると、嫌でも感じる。ぞろりと首筋を舐めるような悪寒。途方もない悪意が火照る身体を凍てつかせる。

 殺気。そう呼ぶに足る性質の悪意を、私は肌で感じていた。


「追われてるんでしょ」

「……っ。はい……!」

「こっち。ついてきて」


 姫様の手を取って走り出す。

 状況は思っていたよりも厄介そうだけど、まあこんなこともあるでしょ、と。そんな風に考えていた。

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