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スライド:1『ドッペラー』

 ドッペラーに口はない。

 いやもちろん、目鼻はあるけども。


「お疲れさん。今日はひとり?」

「ちょっと経験値稼ぎに」

「かか、なんでもひとりでこなしてみるってのは大事だからな。さぁ入んな」


 死ぬということは知っている。

 喋れなくなって、見えなくなって、動けなくなることだ。

 ちょうど目の前の奴みたいに。


「子どもですか」

「子どもだな」

「ぜんぜんひどいじゃないですか」

「あぁ、これは酷い。最悪ではないがね。ま、好きに見てっておくんな。情操教育だ」


 でも、いままで人並みとはいかないまでの頻度で死と相対してきたけれども、死ぬということの哲学に、見聞いたことがあてはまった覚えは未だない。たとえば死ぬから絶望したのか、絶望したから死んでしまうのかなんて、いちいち死体に問う訳にはいかないだろう。死人は喋れないのだから。

 朱色のテープを乗り越えついでに剥ぎ取って、一服つきにとどこかへ行ってしまう警察のおじさんはまったく無責任だと思えるけども、残された警察官たちも他のヒトも力なく首を振るだけだ。


「誰も口は出せないよ」

「じゃあ、お構いなく」


 ぐちゃぐちゃになった子どもの死体のすぐそばでは、ちょうどひとりの子どもが母親の手を強く握って立ち尽くしているので、挨拶しておく。


「どうも」

「ん……」


 しゃがんで、子どもらしいくりくりした目を黙ってじっと見つめて。


「……あの、あのね、ここに私がいるの?」

「そう。君のドッペラーが、君の代わりに死んでる」

「痛そうなの? 泣いてるの?」


 背格好も同じなら、顔のつくりもまったく子どもと同じ『もうひとりのわたし』が、赤錆の血を流して仰向けに転がされている。服は検屍官の手によって切り取られ、脱がされていた。

 見れば直ぐ判ることなのに、子どもが訊いた。

 子どもらしい考え方は少しほほえましいけれど。

 この子どもの目には、ドッペラーが映らない。いや、子どもでなくとも世界のルールとして、誰だって、もうひとりの自分を見ることはできない。

 だって見えたら死んでしまうから。


「俺にもわからない」

「どうして?」

「ん~。それはぐっすり眠っているからね。寝顔に痛いも辛いもないだろ?」


 子どもは釈然としない様子なので、あとは母親のほうとすこし話して、現場から退出。外では父親が待っていて、子どもは手を繋いで行ってしまった。


「検屍官さん。これってどんな状況か聞いてます?」

「まぁね。ほんとは部外者には言えないんだぞ」


 と、前置きして、


「事件は午後六時頃。被害者自宅にて発生。何者かが帰宅直後の被害者を、刃物で背中から襲い掛かる。被害者はなんとか振り払うも、重篤な怪我を負い。逃走を図り、壁伝いに玄関に向かったところを、更に背中から何度も刺され、失血死。犯行に使われたのはレターナイフ。これは特徴がない安物で、出処はつかめないだろうね。刺し方にしても脚や腕に見境なく、殺す意図があったにしては急所を外しすぎている」

「親といっしょだったんじゃないんですか?」

「放任主義だろう。あの通り、見たところ愛情がないわけではないから、獅子の子落としってところかな」

「死んじゃってますけどね」

「まぁ七回は死ねるからな。こういう家庭が多くなったのは確かだ」


 それはまったくその通りだ。

 アルトがここにこうして立っているのだって、その結果というか産物であるのだし。


「気になるのはやっぱり殺し方だね。どうして身体の末端ばかりを狙っていたのか。出血量が異常なのは、長い間臓器が動いていたからだ」

「犯人は心臓や脳みそが腕とか脚にあるって思ってたんじゃないですか?」

「それはエイリアン映画の見過ぎだ」


 検屍官さんは冷静に突っ込みを入れて、


「ぼくの考えではこうだ。誰かが、苦痛を与える目的で犯行に及び、結果として子どもが死んでしまった」


 なるほど。でも、だとしたら、そいつはとんでもないサイコパスということにならないだろうか。

 考えてもみて欲しい。

七度もヒトは死ねるのだ。それは一回くらいヒトを殺そうなんて考える輩が増えるのは、一度しか死ねない場合より有り得そうな話ではある。現に痴情のもつれや怨恨による殺人はひっきりなしに起きているし、死刑は誰かが欠伸を噛み殺しながら連日執行している。

 でも、死がもっと身近になった今現在で殺そうという考えに至らずこういった手段に頼るのは、発想の時点で、単に殺すより数段質が悪い。


「守秘義務があるでしょう、検屍官」

「ただの学生ではありませんか、検察官」


 現場を物色してまわる、銀縁の眼鏡を掛けた検察官さんがやってきて難色を示した。


「冗談。学生だってヒトは殺せますよ」

「可能か不可能かの話ではないでしょう。それなら赤ちゃんだってヒトは殺せる」

「どうでしょう。犯人は殺人現場の近くを、敢えてうろつく傾向がありますから」

「彼は蝶番ですよ。私もいくらか面識がある、ドッペラー処理のスペシャリストです」


 名刺なんて持ってないから、アルトはペコリと頭を下げる。

 検察官さんはこちらに一瞥くれるだけで、声をかけようとはしない。


「まぁ、あなたがたはドッペラーが現れてくれて商売上がったりなんでしょうがね」

「そんな不謹慎な」

「べつにいいですよ。私からもいくつか補填しましょうか。事件の起きた当日、とは言え今日なのですがね、学舎はどこも早帰りの日程でした。これは私が先ほど問い合わせたので確かな情報ですが、つまり午前十一時ごろの一斉下校で、被害者は少なくとも昼には帰宅しているはず。ところが事情聴取では、被害者は寄り道せずにまっすぐ家に帰り、帰宅したちょうど午後六時に被害にあったとなっています。これだけで、おかしいと思いませんか」

「事実関係がでたらめだ」

「検屍官の私見はどうですか?」

「体温から逆算してみるのは出血量からしてあまり現実的とはいえないでしょう。ただ死後硬直は始まっていないから、死んでからそう時間は経っていなかった。二、三時間以内でしょうか。被害者が死んだのは午後六時ごろとぼくは考えています。即死ではないから、この時間が必ずしも事件時刻と一致するわけではないと付け加えておきますが」

「とにかく厄介なことにかわりはないと言えます。警察ぶったあの老害が、しっかり仕事してくれないと困りものですよ」


 検察官さんは舌打ちしてあとは任せますと、陣頭指揮を失って困り顔の警察官に寄った。


「なんだかぴりぴりしてますね」

「実は一昨日もその……似たようなことがあってね。同僚の話だ」


 検屍官さんは、こればっかりは口を滑らせてしまったと言葉を濁す。


「関係、あるんですか?」

「そうかも知れない」


 わかっているくせに言葉にしない。

 リビングひとつをひとりのヒトで血の池にかえてしまうような、惨たらしい殺し方をやってのけるサイコパスが連続で二度ヒトを殺しているということ。二度あることは三度あるということ。そして、そいつは捕まるどころか今も野放しにされていること。


「そうですか」


 ただ大人の事情というのは決まって複雑で、難解だ。


「それじゃあ蝶が飛ばないうちに、プラトニア都市条例に従って処理してもいいんですか?」

「あぁ、書類は机の上に。サインとかしておいたけど、不備があるかも知れないからいちおう目通しといて。分からないことがあったら警察のおじさんか検察官さんに。蝶が飛ぶ前によろしく」


 アルトは警察ではないし検察ではない。医者ではない。専門的な知識はなにも持ち合わせていないから、何かが起こってもそれがいったいどういうことなのか、実のところ分からず仕舞いだったりする。

 ドッペラーに口はない。

 ドッペラーを処理するときに、だから口をきいてやる必要はない。

 やっているのはいつも末端の、後片付け。少し肉々しい魂の抜け殻であるドッペラーを片付けるだけのバイト。片付けには、ドッペラーが現れた経緯も過去もいっさいを必要としない。せわしく働く大人たちが時間を割いてまで話してくれる必要はない。処理の手順と許可の書類があれば、事足りる。

 だからもののついでにこれだけ知れたことを幸運に思うべきなのだ。

 よく言い聞かされている。図々しいのは嫌われる、と。

 訊いてはいけないこと訊いてしまう前にさっさと話題を変えて、適当に話を切り上げてアルトはバイトに取り掛かる。

 警察が引き上げるのを待っていたら、夜も更けてしまった。


「――よ、ドッペラーちゃん。調子はどうだい、あぁ、そのまま寝てていいよ。元気そうでなによりだ……」


 無残に引き裂かれた子どもの死体。のようなもの。

 いくら馴れたつもりでも、これと血まみれの部屋で二人きりは精神をすり減らす。

 でも、こんなのはマシだ。ずっとマシだ。

 どうしてって。この世の至る所で、きっと誰かがもっと惨い死に方を曝して、それを誰かが片付けているのだから。

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