アメリカで起きた白人至上主義者と反対派の衝突について
全く世界は恐ろしい・・・
12日に起きた事件の概要はこうらしい。
アメリカ南北戦争で南軍に属し、奴隷制度維持の為に戦った南部諸州軍のロバート・E・リー将軍像を撤去する計画が持ち上がった。
それに反対する白人至上主義者達のデモが起きた。
デモは本来事前に許可を貰わねばならないが、無許可だった、らしい。
そのデモに人種差別反対派が反発し、抗議を行った。
白人至上主義者達と反対派の間で、小競り合いを軽く超えた暴行事件が起きた。
白人至上主義の団体に属する青年が反対派の列に車で突っ込んだ。
こんな所の様です。
いや、ビックリですね。
何と前時代的なというのか、未だにそんな事をやってるのか、と。
自由と正義の国とか言っていて、実態はこんなモノなのかと呆気に取られます。
世間的には白人至上主義者の方が完全に悪者なのでしょうが、私にはちょっと引っかかる事がありました。
彼らが武装?してデモをしている映像が流れたのですが、盾を持っていたのです。
その画像はテレビのニュースで流れていたと思うのですが、検索してもわかりませんでした。
勘違いだったら真に申し訳ありません。
警察ではなかった事は確かだったと思います。
盾って普通、身を守る為に装備する物ではありませんか?
同時にこん棒らしき武器も装備していましたが、盾を持つのは攻撃される事を見越しているから、ですよね?
誰に攻撃されるのですか?
人種差別反対派以外にありません。
勿論、人の列に車で突っ込むなんて殺人未遂(実際に人が亡くなっているので殺人)の何物でもありませんので、擁護などは一切しません。
けれども、白人至上主義者に反対する人たちも、その在り様として同レベルなんでは? と感じたのです。
トランプ氏の大統領選挙時、支持派の人へのインタビューで、支持を公言する事は出来ないとありました。
何故かと言えば、トランプ氏を支持していると分かれば、酷い時には暴力を振るわれるから、だそうです。
人種差別主義者とレッテルを貼られ、理不尽な目に遭わされるらしい。
どちらが暴力的なのかと当時は思いましたが、今でも変わらない様ですね。
ま、そんな短期間で変わる訳がありませんが・・・。
今回の事件は白人至上主義者側から反対派に手を出したとも聞きますが、別の所ではその逆もあるから注意が必要です。
寧ろ、人種差別反対派の方が過激で暴力的な印象しかありません。
人種差別主義者は社会的に抹殺される現状を見ていると、それは明らかです。
ツイッターとかでも問題になってますよね?
何気ない呟きが人種差別と受け取られ、謝罪する事態に発展するとか。
白人こそ至上の存在なんだという主張は、何の根拠もない思い込みに過ぎません。
けれども、もしもこれを宗教だとすれば、それは信教の自由でしょう?
空飛ぶスパゲッティモンスターが世界を作った、という空想を信じてもいいではないですか?
白人こそ至高の存在であると、思う事すら許されないのですか?
同じ考えの人と集まってはいけないんですか?
同志を募って意見を表明してはいけないんですか?
人種差別はいけないと憲法でも定められているのでしょうし、法律でも色々とあるでしょうよ。
けれども、法治国家である以上、法律に基づいている限りにおいては、どの様な意見であれ、存在する事は認められるべきではないのですか?
白人が至上であるというのは一つの意見である筈です。
だから有色人種を差別しろ、となればNGです。
その違いは厳格に区別する必要がありますが、意見だけならどんな物でも許されるべきです。
そんな主張をする人とは付き合わない、尊敬しない、軽蔑していればいいだけです。
けれども、そこに何らかの行動を伴えば、それは逆差別です。
また、憲法も法律も、多数決で変えうる物の筈です。
アメリカ人の大多数が望めば、人種差別してもOKになるのが、民主的な法治国家なのではないのですか?
だからこそ、奴隷制のあったアメリカがそれを廃止出来たのではないのですか?
人種差別が公然とまかり通っていたアメリカで、人種差別を表面上であれ撤廃出来たのは、自由と正義を愛するアメリカ人の、民主主義の成果です。
しかし、その民主主義の成果である筈の人種差別撤廃も、民主的な手続きを踏めば、撤廃出来て当たり前なのです。
そうでなくては民主主義ではないのです。
人種差別に反対だからといって、人種で差別しろという意見すら認めないのは、偉大な先輩達の崇高な戦い自体を冒とくする行為なのです。
人種差別を撤廃する為に戦った彼らが受けた理不尽な弾圧を、人種で差別しろと主張する人に行ってはならないのです。
ナザレのイエスは言いました。
汝の敵を愛せよ、と。
自分と違う意見だからといって、その人の存在すら許さないというのは、自分の存在も認められなくなってしまう行為なのです。
それを全体主義というのです。
ちょっと昔のアメリカ南部では、奴隷を廃止しろなんて言おうモノなら、大農場主に命を狙われる行為だった、のかは知りません。
では逆に、今、人種で差別しろなんてツイッターで呟こうモノなら、社会的な制裁が待っています。
ベクトルが違うだけで、全く同じ反応ではないですか?
まあ、人種差別を助長する発言は法律で引っかかるでしょうから、厳密には状況が違いますけども。
言論には言論で、暴力が振るわれたら警察に任せて、民主的な法治国家である為に、法律に許された中での言論活動を行いましょう。
自分にとってどんなに受け入れがたい意見であっても、その表明の場を奪う様な事はしてはなりません。
反対意見には表明する機会すら与えないなんて、独裁国家と変わりませんから。