東京 2009年
四年生になった葵はしきりに、
「塾ってね、学校より難しい勉強習えるんだって」
「○○ちゃんはどこの塾に通ってるんだって」
「△△ちゃんのお姉ちゃんは三年生から塾に通って難しい中学に入ったんだって。それで△△ちゃんはもっと早く二年生から塾にいってるんだって」
と熱心に報告する。
塾に興味があるのは明らかだが、
「葵もいく?」
と眞子が言ったことは一度もない。
高校進学の際には嫌でもしなくてはいけない受験を、まだ行きたい学校や学びたいことが明確になっていないこの時期にわざわざしなくてもよいのではないかと考えている。
乳幼児の頃から葵は知的好奇心が旺盛だった。
絵本を早くから読み聞かせていたせいか、言葉もまだ話せない頃から目につく文字を指差しては「あっあっ」とか「んっんっ」などと読み方を尋ねるように眞子を見やっていた。
そのたびに眞子は「あ」とか「ケ」とか「B」とか「3」などと読み方を教えていたら、2歳半になるまでにはほとんど全部のひらがなカタカナ、アルファベットや数字まで読めるようになっていた。
それを見た健一は
「葵ちゃん頭いいねー」
と頭のてっぺんから声をしぼり出し、本屋で自らドリルを調達しては葵にやらせるようになった。
「学校ごっこするよー」
との父親の呼びかけに、葵は持っているぬいぐるみを一列にずらりと並べてクラスメイトに見立て、喜んでドリルを解いた。
小学校に入学して最初の担任には保護者面談で、
「葵ちゃんはテストもあっという間に解き終えてしまうんですよ。みんなが終わるのをお行儀よく待ってくれますけど、退屈なことも多いと思うんですよねえ」
と言われた。
他人事のような口調でそんなことを言っておらずに、勉強の進みが早い生徒も退屈しないように工夫してくれないかと眞子は内心不満を覚えたが、
「私立とちがって公立の学校ではできる子供に合わせて進めることもできないのでねえ…」
とその教師は暗に、レベルの高い私立の学校にでも入れてやればいいのに、とも取れるような言い方をした。
自身が子供の頃は家に帰りたくない一心でできる限り外で時間をつぶしたり、バレエに逃避するような生活を送るしかなかった眞子は、葵には家から離れた私立校へ通ったり塾で忙しくするよりも、近所の友達と気の向くままに遊んだり、なにげない日常生活を楽しんでほしいという漠然とした思いがどこかにある。
それでも葵が、「塾に通いたい」と一言でも言えば、反対せずに協力するだろう。
娘には、悔いのない人生を送ってほしい。




