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ずっとおぼえてる   作者: ことり あきこ
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京都 1981年 ⑤

 四年生になる春休みのあの夜、眞子は翌日に父方の従姉妹いとこである広子の家に遊びに行くのを楽しみに床に就いた。


 広子には眞子より6つ下の双子の娘がいた。


 歳の離れた姉しかおらず、妹がほしかった眞子は、双子たちと遊ぶのをいつも楽しみにしていた。



 幼いころに両親を亡くした幸雄と初枝には、若いときから頼れる身内がほとんどおらず、結婚後唯一親戚づきあいをしているのが幸雄の姉一家だった。


 初枝は、無遠慮で口が悪い幸雄の姉、佳子よしこが内心苦手だったが、孤独な身の上に引け目を感じてきたこともあり、子供たちのためにも、と佳子やその子供たちの家族と行き来をするよう努めていた。


 佳子には7人も子供がいたが、初枝がもっとも話しやすく親しみを感じていたのが、佳子の次女、広子だった。特に広子に眞子より6歳下の双子の女の子が生まれてからは、頻繁ひんぱんにお互いの家を行き来していたため、朱実は広子を、双子は眞子を姉のようにしたっていた。


「双子ちゃんたち、明日眞子ちゃんと遊ぶの楽しみにしてるって」


 翌日の訪問時間を確認する電話を切った後、初枝が嬉しそうに言った。


「うん!早く明日にならないかな」


 眞子はそう言って、わくわくした気持ちで眠りについた。

 

 朱実に揺り起こされた瞬間、姉の涙声の理由がわからない眞子は、姉は寝坊でもして叱られたのだろうかと、寝ぼけた頭で辻褄つじつまを合わせた。


 しかし辺りは真っ暗で、時計の針は2時過ぎを差していた。


 眠い目をこすりながら両親の眠る隣室へと、姉の後に続いた眞子の目に飛び込んできたのは、目はしっかりと見開いているのにどこも見ていないうつろな表情の、お母さんの顔をした知らない人だった。


 こわい、と思った。


 間もなくやってきた救急車に家族全員で乗り込んだが、着いた先は歩いてもせいぜい10分ぐらいの、どちらかというと評判の良くない病院だった。


 抜けがらのような母親の体はあっという間に処置室へと吸い込まれていき、姉と並んで待合室に腰かけていた眞子はいつの間にか眠ってしまい、気がついたときには外が明るくなっていた。


「大変やったなあっ」

 と、朝になって駆けつけた涼子に息苦しいほど抱きしめられ、眞子の目から初めて涙がこぼれた。


 初枝の親友である涼子は、親戚関係も血のつながりもないのだが、眞子にとって祖母のような存在だった。


 東京で生まれ育った初枝と島根出身の涼子は、それぞれ京都にやってきて最初に住んだアパートで出会った。


 アパートには風呂がなくトイレと台所は共用だったため、肩を並べて炊事をし、おかずを分け合い、病気になれば看病し合い、銭湯にまで一緒に行き、まさに寝食を共にした裸のつきあいで姉妹のような関係を育んだ二人は、それぞれ別の住まいへ引っ越してからも親交を深め続けた。


 身寄りの少ない初枝にとって、涼子は誰よりも心を許せる存在で、子供たちも、特に眞子は、どの親戚よりも涼子になついていた。  

  

 初枝はくも膜下出血を起こし、一命はとりとめたが再出血が起これば今度こそ命が危ないという状態だった。再出血を防ぐためには、患者がストレスを受けないよう、感情の起伏を抑えるよう注意しなくてはならない、と医者は告げた。   


 昼前になってようやく意識がもどった初枝は、

「いやだわ、ぜんぜん覚えてない。わたし、救急車に乗ったの?」

 と、恥らっていたが眞子の姿を見るなり、まだ幼い末娘を不憫ふびんに思ったのか、はたまた幼くして親を亡くした自分の子供時代を思い出したのか、たちまち子供のように泣きじゃくった。


 それを見た幸雄と朱実の間で、眞子に会わせないほうが初枝の平静を保てるだろう、という話がまとまった。


 そうなると、看病や家事の手伝いどころか自分の世話もろくにできない9歳児の存在は足手まといでしかなく、翌日、見舞いに訪れた広子の

「それなら眞子ちゃん、うちで見ようか?」

 の一言を渡りに船とばかりに、眞子は広子の家にあずけられることになった。


 京都市外にある広子の家は、眞子の家から車で4~50分ほどの場所にあり、当面は学校もそちらで通うことがあわただしく決まった。


 眞子は素直に従った。お母さんに元気になってほしい。ただそれだけだった。


 一時的に転校した小学校は、眞子が通う学校より児童数が少なく学年中が知り合いのような雰囲気で、新顔の眞子は興味と注目の的となった。


 取り囲まれて質問攻めにあい、母親が入院中で親戚の家からしばらくこの学校に通うのだと途切れ途切れに説明すると、好奇心でいっぱいだった同級生たちの表情はいっせいに気まずく曇った。


 本当のことを話さいほうがよかったのだろうかと考えたりもしたが、どちらにせよ、仮転入生活は長く続かなかった。


「忘れ物があるから取りに来るようにって、お父さんから電話あったから」


 そう広子に言われた眞子は、学校を休んでまでわざわざ取りにいかなくてはならない忘れ物とはなんだろうと疑問に思ったが、「仮の学校」を休んで一時的にでも家に帰れる喜びのほうが、はるかに勝った。


 練乳をかけるという、家ではやったことのなかった方法でトーストを食べた後、「ぶどうかい」(正しくは「舞踏会」だと知るのは数年後だった)へ行く準備をしている、というごっこ遊びをしながら、双子の身支度を手伝った。


 いつもは父親の車で4~50分の道のりを、電車とバスを乗り継ぎ1時間半ほどかけて家に帰った。


 道中も「ぶどうかい」ごっこが続いていたため、子供たちは、

「お城はずいぶん遠いのですね」

「馬車はゆれますね」

「王子様と会うためですもの」

 などと、取り澄ました口調でとんちんかんな会話を続けた。


 バスが母親の入院している病院の前を通り過ぎる一瞬だけ、病室のベッドで眠っているお母さんを想いうかべてしまい、泣きそうになった眞子は唇をかんだ。 


 玄関に足をふみいれた瞬間に、眞子は非常事態が起きていることを察知した。


 親戚や近所の大人たち、いや、見ず知らずの大人たちまでもが、家の中をずかずかと歩き回っている光景に、眞子の心は激しくかき乱された。


 何がなんだかわからないまま靴をぬぎちらかして部屋にあがった眞子の目にとびこんだのは、畳の上に横たわる、蝋人形にされたような母親の姿だった。


 バスの中から病院を目にした眞子が、眠っている姿を思い浮かべたときにはもう、お母さんは病院になどいなかったのだ。抜け殻がここにあるだけで、もうどこにもいないのだ。


 この1週間あまり、眞子が帰りたくても帰れなかった家にはたくさんの大人が自分より前に到着していて、手際よく家具などを動かし通夜と葬儀の準備を進めているのだった。


 見舞いにも行けず病状も知らされず死に目にもあえなかったことに、眞子は悲しみを通りこして怒りさえおぼえ、混乱したまま通夜と葬式と死体の火葬と埋骨まいこつが過ぎていった。


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