京都⇔大阪 1997年 ⑧
退院したリアムは、日本でできた友達やホストファミリーと帰国までの残りわずかな日々を忙しくすごした。
眞子は、発表会の打ち上げとリアムの送別会を兼ねた持ち寄りパーティーを今日子に提案した。
バレエ仲間と一緒にリアムを送り出すのが、もっとも健全でもっとも気まずくないと考えたからだ。
発表会のあの日、幕を閉じた舞台上で拍手と歓声の余韻を耳の奥に残したまま、痛みに耐えてがんばったリアムをねぎらうつもりで抱きしめた数秒間、眞子はあやうい感情の波にのまれそうになった。
ふるえそうなほど愛おしい―――けど彼はノエルではない。
リアムとノエルは別の人。
ノエルが恋しい―――けど忘れなくてはいけない。
そしてリアムも、もうすぐいなくなってしまう…
打ち上げ兼送別会の会場はスタジオで、ということで、スペースに限りもあるため、成人クラスの生徒だけに声をかけ、発表会に出演した成人女生徒の12人全員が出席した。
自称リアムファンの彼女たちは気合満点で、天むすからカツサンド、炊き込みおこわ、だし巻き卵など、和風ながらアメリカ人青年の口にも合いそうなものを作ったり調達したりして、
「リアムくんのお口に合うといいけどー」
と、リアムを取り囲んでいたが、発表会前は衣装を着るために太れない、と節制していた反動か、しだいに、
「ひやっ、これおいしいわっ」
「どないして作るん?」
「買ったん? どこで?」
といった具合に、食に走った。
眞子は見目鮮やかな太巻きを作ってきた。
万が一の食中毒をおそれて生ものは避け、アボカド、カニカマ、ツナマヨ、きゅうり、卵焼き、三つ葉、そして涼子直伝の牛肉のしぐれ煮などを彩りよくあしらった太巻きは好評で、
「先生、意外と家庭的やん。ええお嫁さんになれるわ」
と伊田さんたちに言われて「お嫁さん」の自分を想像してみるが、まったくの別人にしか思い描けない。
北山の串かつ屋で食事をしたときよりも箸使いが板についたリアムは
「おいしい」
と満足げに太巻きを頬張り、
「やっと眞子に日本食を作ってもらえた」
と、いたずらっぽく笑う。
「やっとって?」
と聞き返すと、7年前に初めて彼の家で一緒にごはんを食べたとき、日本のごはんを作ってほしいと言ったリアムに「また今度ね」と返したきりになっていたらしい。
再会してからのここ何か月かの間に、あらゆることを詳細に覚えているリアムに何度も驚かされてきた眞子は、
「よく覚えてるね」
と感心しつつも、こんなにも何もかもを忘れられない彼は、誰とも共有できない思い出をたくさん抱えたまま生きていかなくてはならず、それは孤独で傷つくことのような気がしてならない。
もうすぐいなくなってしまうリアム。
もっとずっといてほしい気もするし、もうこれ以上近くにいるのはつらい気もする。
聡明でユーモアがあって真摯な紳士のリアムとは、屈託なく接することができればどんなに楽しいだろうと思いながらも眞子は、リアムから時おりこぼれ落ちるノエルのかけらを拾い集めることに、夢中になりすぎている。
心の準備もないまま永遠に逢えなくなってしまった人たちとの別れを未消化なまま引きずってきた経験からも、リアムとはちゃんとお別れをして気持ちに区切りをつけたいと思い、眞子は空港への見送りを申し出ていたのだが、リアムはそれを拒んだ。
それはパーティーがお開きになった後のことだった。
「リアム元気でね~」
「さびしくなるわ~」
と生徒たちが一人ひとりリアムと握手して帰っていき、駅への坂道を上るリアムの横で眞子は自転車を押して歩いていた。
凍りそうに冷たい空を見上げて
「雪でも降りそうだね」
と白い息を吐く眞子にリアムが突然、空港には来ないでほしい、と告げた。
ここで笑って別れたいから、と。
“I wanna go with a smile.”
消え入りそうなリアムの声を聞いて突然、眞子の胸に不安が押し寄せる。
おいていかれる、と。
その不安をのみこむように眞子は2度うなずき、頬で溶ける氷の感触に、ほんとうに雪が降ってきた、とつぶやいた、つもりだったが声にはならなかった。
雪はリアムの髪にも舞い降り、眞子は今初めてリアムの髪の色に気づいたかのように、きれいな金褐色に見惚れた。




