京都⇔大阪 1995年
眞子が白川バレエ教室に通いだしてから1年がたとうとしている。
今年に入って発表会に出ることが急遽決まり、3月までスタジオに入りびたっていた眞子は、発表会が終わった今、週にたった1~2回ほどのレッスンではものたりなくなってしまっている。
家でテレビを見ていても友達と電話で話していても、てもちぶたさだとポール・ド・ブラの動きをしてしまうし、無性にピルエットやフェッテやシェネなど、なんでもいいからくるくると回りたくて体がうずうずすることがある。
禁断症状だろうか。
「娘の教室にもぜひまた遊びにいってやってください」
以前にそう言われたときには社交辞令として受け流してしまった光子の誘いだったが、くわしく話を聞いてみたい…と、眞子は真剣に考えている。
次に光子と会うのはいつだったか?
眞子が勤める英会話学校、ALLで一枠9000円もするプライベートレッスンを受ける光子は、50代後半だが社交ダンスを教えているだけあり、いつも華奢な足に高いヒールを履き背中を真っすぐに伸ばしてさっそうと教室に現れる。
既に結婚した娘が一人いるのだが、
「とてもじゃないけど我が子には冷静になんて教えられないと思って、あえて社交ダンスじゃなくバレエを習わせたんですよ。今日子も、あ、うちの娘、今日子っていうんですけど、嫌がることなくずっとバレエを続けて、今は自分で教室も開いてるんですよ」
と、いつだったか話していた。
そして、先月の眞子の発表会の後には、
「先生すばらしかったわー。一緒にいった娘も先生とお会いしたがってたんですけど、ロビーでは先生、写真撮影にひっぱりだこになってたから。よかったらまた今日子の教室にも遊びにいってやってください」
と言っていたのを今、眞子は思い出しているのだ。
その週、英会話レッスンにきた光子に眞子が、思い切って今日子のバレエ教室について尋ねてみると、
「遊びにいくつもりで気軽に」と体験レッスンを勧められた。
「百聞は一見に如かずですから」と。
大人のクラスは月木の午前中と金曜の夜だということなので、眞子は仕事のない木曜に行くと伝えた。
今日子はたしか30歳ぐらいのはずだが、母親の光子と同じように小柄で目が大きく、ヒヨコのキャラクター、トゥイーティーのように愛らしく、年齢よりずっと若く見えた。
木曜朝のクラスに通っているのは主婦ばかり4人で、1人は子供の頃にバレエ経験があるそうだが、残りの3人は今日子の教室でバレエを始めたということだった。
レッスン中、今日子は静かな声で生徒に指示を出す。
声を荒げたり、意地の悪い文句が口から出ることは決してなく、
「注意されたこと、頭において動いてね。なんにも考えないで、なんとなく動いても意味がないから」
などと、控えめな声で大切なことを言う。
スタジオの雰囲気は全体的に静かだが、
「ここはダブルでもトリプルでも」
「ずっとポアントにのったままでも」
などと、難度を上げるよう眞子を促してから、
「皆さんも挑戦していいですよ」
と、いたずらっぽく言う今日子に生徒たちは、
「いえいえ、今日はやめときます」
「そうそう、いつもはできるんですけど」
と調子を合わせて笑いが起きた。
レッスンを終えた生徒たちが教室を出るのと入れちがいに、光子が差し入れの袋を細い腕にいくつもぶら下げてやってきた。
光子の買ってきたたこ焼きや稲荷ずしや細巻きを3人で頬張りながら、好きな食べ物やバレエの演目や社交ダンスのスタイルについて話しているうちに、眞子と今日子はお互いを「今日子先生」「眞子ちゃん」と呼び合い、すっかり打ち解けていた。
すると突然、今日子が、
「実は私、夏の終わりに出産を控えてて…」
と言い出し、眞子は驚いて今日子の腹部に目をやる。
「おなか目立たないでしょ?赤ちゃんは順調に大きくなってるらしいんだけど」
と言う今日子に、
「私もそうだったから遺伝かしらね」
と光子がつけ加える。
「腹筋が邪魔してるのかも」
と今日子は笑ってから、少し緊張した面持ちになり、
「眞子ちゃん、私の産前産後の数週間だけでも、代講にきてもらえませんか?」
と、予想もしていなかったことを言いだした。
突然の依頼に眞子はとまどうが、
「夕方から後のクラスはバレエ仲間に分担して受け持ってもらえそうなんだけど、午前中のクラスをお願いできる人が見つからなくて…月曜は無理そうならお仕事が休みの木曜だけでも… みんな、子供が幼稚園や学校にいってる間の息ぬきもかねて楽しみに通ってくれてるから…」
とかわいらしい声で懇願されて断れず、その場で引き受けてしまったのだった。




