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ずっとおぼえてる   作者: ことり あきこ
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京都 1989年~1990年

 その冬に準備万端じゅんびばんたんで応募したサマープログラムの審査には、しかし、通らなかった。


 不合格の通知に一瞬、文字通り目の前がまっ暗になる。

 久しぶりに倒れそうだ。

 サマープログラムに参加できるのは男女それぞれ20人ずつだが、大学に合格するのはそれより少ない12人ずつなのを考えると、将来への展望は目の前の風景より更に暗い。




 三年生になると、公平に大学からスカウトが来ているという噂を耳にした。


「そのうちオリンピックとか出たりして」

「サッカーも野球みたいにプロリーグとかあればいいのに」

 などと同級生が話しているのを耳にしても眞子は、根掘り葉掘り聞きたい衝動にあらがい、興味のないそぶりをしてしまう。


 退院してから公平とは学校で会っても気恥ずかしくて…いや、何よりも「キミ誰だっけ?」的にそっけなくされるのがこわくて、目もほとんど合わせられないでいる。

 



 高校最後の夏休みだというのにクラッセンのサマープログラムに参加できなかった眞子は、かわりに申し込んだコンテンポラリーの集中講習で左足首を捻挫ねんざした。

 最悪だ。


 病院で診察を終えて会計を待っていると、部活帰りの公平とばったり会った。

 また膝の状態が悪いのかと尋ねると、入院した祖父の見舞いに来た帰りだということだった。


「いつも帰りが遅くなって来られへんけど、今日は珍しく早く練習が終わったから」

 と話す公平の表情は嬉しそうだ。


 それは眞子と久しぶりに話せたからなのだが、やはり家族思いなのだな、と誤解した眞子は感心しつつも説明のできないさびしさを味わう。


 眞子の隣に座っていた親子づれが名前を呼ばれて立ち上がり、公平は空いたスペースに腰掛ける。


 東京の有名大学からスカウトがきているという噂は本当だった。

 しかし公平は浮かれるどころか迷っていた。

 高校サッカーでも活躍できなかった自分にスカウトがきたことに驚き感謝しながらも、サッカーの本場である海外のチームに挑戦してみたいのだと言う。


「サッカーの本場」とはどこの国だか聞きそびれたまま、眞子は公平に手をふる。

  


 夏休みの終わりに眞子は、仕事で日本に一時帰国している聡と4年ぶりに再会した。


 会うのは中学二年の正月を涼子の家で一緒に過ごして以来だ。


 10センチ近く背が伸びた眞子に聡が、

「眞子ちゃんすっかり大人っぽくなったねー」

 と言う隣でうなずくセシールの髪が以前の亜麻色あまいろではなく、小さいころ眞子が持っていた人形を思わせるような金髪になっている。

 あの人形はまだ家のどこかにあるのだろうか?

 それとも、もう捨ててしまっただろうか?


「留学の準備は順調?」

 挨拶のような気軽さで聡は聞くが、ジュニア向けのサマープログラムにさえ参加できなかったのに、クラッセンに合格できる自信がないと、眞子はぽろりと弱音をこぼす。


 だが聡に、

「そうなの?でも、サマープログラムは書類とビデオだけで審査されるけど、大学の入試は生でオーディションするんでしょ?」

 と言われると、確かに、サマープログラムよりも大学のオーディションでは、より厳正に審査してもらえるような気がして希望がもてる。


 ここ何年も努力してきたことはすべてクラッセンに入るためなのだ。

 弱気になっている場合ではない。


「オーディションでアメリカにくるときは家に泊まっていいよ。寝室は一つしかないからリビングのソファーベッドで寝てもらうことになるけど。国連近くの、マンハッタンでは治安も悪くない場所だし」

 と聡はいささか自慢げに言い、セシールも、ドウゾドウゾと勧めてくれる。


「日程はもうわかってるの?」


「1月からアメリカ各地でオーディションがあるんですけど…ニューヨークは最後のほうで、3月だったと思います」


「3月だったら高校卒業してから?くわしい日程がわかったら連絡して」


 オーディション会場は日本から近い西海岸を選ぼうと漠然ばくぜんと考えていた眞子だったが、確かに、聡のいるニューヨークのほうが遠くても心強いかもしれない。


「よかったなあ、眞子ちゃん」

 台所に立っていた涼子がそう言いながら、缶詰かと見紛みまがうほど器用に半球体に切り分けた白桃をちゃぶ台に置き、甘くみずみずしい香りがふわっと広がる。



 9月に入って公平は、「後悔したくないから」と大学への推薦を断り、海外のチームに挑戦することを決めたと、電話で眞子に報告した。

 家族、特にお母さんには大反対されたけれど、お祖父さんが味方になってくれたと声をはずませた。


 夏休みに病院で会ってから、2人は時おり電話で話している。


 11月に発表会、そして12月にはクラッセンへの書類とビデオの提出がある眞子は、疲労やストレスで弱気になるたびに、「後悔したくないから」という公平の言葉を頭の中でくり返す。



 書類選考に無事合格した眞子がオーディションのためにニューヨークへ発ったのは、高校の卒業式の前々日だった。


「時差もあるし長旅で疲れるだろうから、早めにこっちに来てゆっくり泊まってくれていいよ」

 聡はそう言ってくれていたのだが、現地で練習できる環境を確保するのは難しいだろうと考え、結局オーディションの2日前に着くようスケジュールを組んだ。


「えー、じゃあ、卒業式出られへんの!?」

 和歌や福美は残念そうな声をあげたが、眞子にとっては卒業式などどうでもよかった。


 もう何年も自分のために学校の行事や式典にくる家族はいなかったし、それをさびしいとさえ感じないようになっていた。



 登校最後の日に眞子は、

「がんばって」

「応援してるから」

「ぜったい合格」

 などなど、同級生からの寄せ書きで埋まった色紙を受け取った。


 トゥシューズを履いた眞子のイラストは、美大への進学が決まっている福美が描いたものだ。


 色紙に感動しながらも眞子は、クラッセンに合格するのであれば、家から遠く遠く離れられるのであれば、ここにいる誰とももう二度と会えなくなっても我慢がまんしますので合格させてください、などとわけのわからない願掛がんかけをするほど思いつめてしまうのだった。

 


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