プロローグ 東京 2015年3月 ③
式の後にはクラスごとに卒業アルバム用の記念撮影が行われる、と眞子はたった今気づいた。
眉毛はすっぴんだが、救いは撮影が1組から始まることだ。
娘は2組なので比較的早く帰れる。
眞子は死んだ父親に似てせっかちだ。
1組の撮影は滞りなく終了し、入れ替わるように娘のクラスの生徒、その後ろに保護者が、ステージ上でひな壇状態に並ぶ。万事速やかに進行している。
そこへ、
「すみませ~っん。りんちゃん小さいから埋もれちゃってぇ~っ」
と、便乗セレブ嫁が、小学一年生の我が子をこれ見よがしに押し出しながら、自分たち母子がより存在感を発揮できる場所に移動してくる。
ぬかりない。
更に、先ほど盛大に着物を褒めておいた母親を共犯者に引きずり込もうと、
「美恵子さんもこちらへ。せっかくのお着物が見えないじゃな~いっ」
と移動をすすめるが、
「いえ…私はここで」
と、あっさり断られている。
すると、今度は右斜め後方に立っている眞子をすばやく目でとらえ、
「葵ちゃん、答辞すばらしかったわぁ~~。アナウンサーになれますねっ」
と大きな声で言う。
「あらやだ!アナウンサーなんかなりたくないらしいんですのっ。ヌォホホホッ」
という文句が思い浮かんだが呑みこみ、眞子は例にもれず失語症におちいる。
帰りの電車はダイヤが乱れていた。
よく耳にする「線路に人が立ち入った」との説明だが、「転落した」ならともかく、どういった事情と趣味で、人々がこう頻繁に地下鉄の線路なんかに立ち入るのか、眞子には想像力が及ばない。
車内に空席はなく、ヒールを履いた足が痛む。電車は少し走っては速度を落とし、やがて停止しては、「恐れ入ります」
と、まったく恐れ入っていない声で
「只今、前の電車との車両間隔の調整のため…」
とすでに何度も聞いた説明が、オウムのようにくり返されている。
いっそ本物のオウムが電車内を飛び回りながら「オソレイリマース」とでも言ってくれれば気がまぎれるのに、などと退屈のあまり、くだらないことを思いついてしまう。
文鳥だったらもっといいけど、文鳥は喋らないし、と考えているうちに眞子は、家に残してきた文鳥が気になりだす。
今飼っている文鳥の名前は、深瀬ピチュ。文字通りピチュッと鳴くからだが、同じ文鳥でも子供の頃に飼っていた水鳥ピーコ(←鳥の種類が水鳥なわけではなく、苗字が水鳥、名はピーコ)はピーピーと鳴いていた。ピチュには小鳥用のエサのほかには小松菜や豆苗、リンゴやミカンなど飼育本で推奨されている食料しか与えていないが、子供の頃飼っていたピーコは、ラーメン、苺ミルク、シュークリームなど食べたい放題だったうえ、真冬も鳥かごの温度など気にしたことがなかったが、病気もせず10年以上生きた。
最強の雄文鳥だった。
しかしピチュを飼い始めるにあたって読んだ飼育本によると、そのような頑強な固体は稀で、雛や老鳥は寒さや乾燥に弱く、冬に命を落とすことが多いので注意が必要らしい。
最強の文鳥ピーコが死んだのもちょうど今ぐらいの季節だった。
文鳥の平均寿命は8年とあり、ピチュを飼い始めてもうすぐ6年目に入るものだから、肌寒い今日のような日は外出していてもピチュのようすが気になる。
いくらかわいがって世話をしていても、小鳥のように無力で無能な生き物を死なせてしまったら必ずや、もっと暖かくしてやればよかったとか、いや常に暖かい環境で過保護に育てたせいで軟弱になってしまったのだとか、何をしてもしなくても、ほとんど自分が殺したぐらいの勢いで罪悪感にさいなまれるのだろう。
電車は相変わらず進んだり止まったりをくり返し、足の痛みもあって眞子は目の前の座席を1.5人分占領しているおばさん(自分も十分おばさんだが…)の膝の上にでもドサッと腰かけてやりたい衝動にかられるが、ぴんと伸ばした背中を意地でも崩さないでいる。
腹筋背筋腹筋背筋鉄骨飲料。
鉄骨飲料は今も販売されているのだろうか?
若いころからあまり日に当たってこなかったせいか、眞子の白い肌には40歳を過ぎても深刻なシワもシミもなく、
「天使の輪が3つもできてます!」
と美容師に感心されるほど艶のある髪は黒々としているが、ひきしまった体も肌のハリも髪の艶も保持する努力をおこたれば、坂…いや、崖を転がり落ちるように老けそうでこわい。
老けようが太ろうが性転換しようが夫は気づきもしないだろうが、久しぶりに誰か---たとえば古い知人にでも---とすれちがっても気づいてもらえないほどには老けこみたくない。
眞子の降りる駅まであと一駅だが、そこからまた別の路線に乗り換えなくてはならない。
さらに最寄りの駅から自宅まで、自転車で15分強。葵が電車通学をするようになってから、いや中学受験の塾に通うようになってからずっと、もう少し駅に近い物件を選んでいればよかったと思ってきたのが、ここ最近では、今のマンションで暮らすのも、あと数年だと考えるようになった。
葵が自立するタイミングで自分も出ていけるよう、眞子は経済的自立をめざしている。
英語講師を辞めて、思い切ってバレエ教室でも開けば生計は立てられるかもしれない。
娘の生活にスケジュールを合わせて仕事も調整してきたが、そろそろ葵にも必要とされていないと感じる今日この頃、自分が家を空けても寂しがるのはピチュぐらいだ。
バレエ教室を開くためにはどれぐらいの資金が必要なのだろう。
この数年、英語講師をして細々と蓄えた貯金でまかなえるものだろうか…
そんなことをつらつらと考えてみるが、バレエと真正面から向き合うのを避けてきた本当の理由は、気持ちがかき乱されるのがわかっているからではないか。
自分の若かりし日々を追体験することになれば、これまでのように普通の毎日を取りつくろえなくなるかもしれない。
以前、新聞の紙面か何かで「想い出は心の非常食」といったようなフレーズを目にして激しく共感したことがあるが、近ごろでは想い出が常備菜になってしまっている。
体だけはここにいて、掃除機をかけたりご飯を作ったり英語を教えに行ったり子供の学校に足を運んだりしているけれど心はここにはなく、想い出を食いつないでなんとか生き延びている。
過去が輝いて見えるのは、今が輝いていないからなのだから、今をなんとかしなくてはならないのだけど、何をどうすればいいのかわからない。
だましだまし自分の役目をはたすことだけに努めて一日を終える夜、今日もなんとか一日を終えられたという切実なため息と、幻想でもいいからほんの少しでも満たされた心もちで眠りにつきたいという欲望が交錯して、気づけば彼と過ごした時間を熱心に想い起こしている。
何度も何度も。
一度は忘れてしまおうと努力して、本当に忘れてしまったことまで、今度はなんとか想い出せないかと、記憶の糸をたぐり寄せている。
こんなことをしていては今を幸せに生きられるわけがないのに、一度開けてしまった記憶のふたは、簡単には閉じられない。
電車はようやく降りる駅に到着し、眞子は電車の扉が開ききるのももどかしくホームに降り立つ。
そして、その場で動けなくなる。
次々に降りてくる乗客が、迷惑そうに眞子をよけて通り過ぎていく。
もう何年も誰からもこんなふうに呼ばれていない、自分の名前を呼ぶ声以外、何も聞こえない。
扉が閉まり、ホームで見つめ合うふたりを残して、電車は走り去る。