京都 1986年
しかし元旦の夜にやってきた聡にむかって、アランは今、吠え続けている。
「アラン、おいで」
と呼びかけると、アランは吠えるのをやめて眞子に近寄ってくるのだが、よく通る声で聡が何か言うたびに、再び吠え始めるのだ。
聡は声だけでなく、体も身振り手振りも大きい。
外観も中身も欧米化しきっている。
アランは涼子や眞子に撫でられると一旦おとなしくなるのだが、聡がハッハッハーッと大声で笑ったりすると、またすぐにキャンキャンと吠え始める。
それなのに聡は、
「おっ、元気いいなー」
などと楽しげに声を張り上げるので、悪循環である。
一方、髪も瞳も亜麻色の妻(その名もセシール)は、眞子が抱いていたフランス人のイメージよりも、ずっと小柄で控えめな雰囲気だ。
「おいしいお茶淹れるわな」
立ちあがった涼子を追ってアランも台所へと姿を消し、眞子は聡夫婦と居間に取り残される。
英語がまざる夫婦の会話に眞子は聞き耳を立てるが、理解できない。
「眞子ちゃん英語わかる?」
聞き耳を立てていたことがばれたのか、聡に突然話しかけられて眞子は緊張する。
「全然わかりません」と即答すると、
「涼子叔母さんが、眞子ちゃんはアメリカにダンス留学したいみたいだって話してたから」
と言われて驚く。
涼子は自分のことをどこまで聡に話しているのだろう。
機能不全な家庭環境についても知られているのだろうか、と羞恥心がわきあがるが、血のつながりもない他人の家で正月をすごす中学生の自分は、どのように紹介されていようがいまいが、わけありにしか見えないだろう、と観念する。
そんな屈折した自意識をめぐらせる眞子に、聡のほうは屈託なく、
「ダンスは何歳からやってるの?」
「ぼくたち去年のクリスマスにリンカーンセンターで《くるみ割り人形》観たんだけど、セシールなんて自分もバレリーナになるべきだったって言い出すほど感動してたんだよ、ハッハッハーッ…」
「ぼくも大学はアメリカだったんだ、って言っても父親の仕事の都合でアラスカに家族で引っ越してそこで大学に進学したんだけど、セシールともそのとき出会ったんだよ。最初はぼくも英語なんてほとんど話せなかったから大変だったけど…」
などなど、自分のことを気前よく話す。
英語の話題が出たところでこの際なので、眞子は聡がどのように英語を身につけたか尋ねると、
「そうだなぁ…アメリカにいく前には英会話学校にも通ったけど…」
と呟き、少し考えてから、
「ああ、ラジオ英語も聴いてたよ。あれ15分か20分ぐらいだよね。短い時間で単語も文法も学べるし、リスニングやスピーキングの練習もできるし、毎日続ける根気さえあれば、いいと思うよ。お金もかからないし」
と言う。
たしかに、英会話学校に通う時間や費用を捻出するのは不可能に思えるが、ラジオを聴くぐらいなら、自分にもできるはずだ。
聡のアドバイスは続く。
「ラジオ講座でも学校の授業でも、単語を覚えるときは意味だけじゃなく文やフレーズごとに覚えるといいよ。そしたらその単語がどんな場面でどんなふうに使われるのかがわかるし、実践でも使えるから」
更には、
「洋書なんだけど、おすすめの文法書があるから今度また送るよ」
とまで言ってくれる面倒見の良さだ。
「よかったな眞子ちゃん。聡ちゃんに任しときっ」
茶を淹れた湯呑の盆を手に戻ってきた涼子が、すかさず合いの手を入れる。
「マコサン、ガンバッテクダサイ」
セシールはそう言ってから、音も立てずに茶を飲んだ。
正月が終わって自宅に帰ると、眞子はさっそく本屋でもっとも初級者向けのラジオ英語のテキストを購入し、毎朝眠い目をこすりながら講座を聴くようになった。
目覚めたての身には講師のテンションが高過ぎるが、聡の言うとおり、実践的な英語を毎日少しずつ学ぶのにはちょうどいい構成だ。
安価なのもありがたい。
リピートしてダイアログを丸暗記してみると、中学校で習う英語も実際このように日常生活で使われるのだと実感できたし、クラッセンに行ったときに役立つ場面を想像すれば、ネイティブの発音を真似ての音読練習にも力が入った。
ただ、猪熊のスタジオでは居残り練習をして帰るため、ほぼ毎晩寝るのが遅くなり、早朝からラジオを聴いていても睡魔に襲われ、
「それでは皆さんっ。また明日お会いしましょう!See you~」
という、終わりの挨拶で目が覚めることも少なくない。
受験生と呼ばれる中三になっても眞子は、ペースを落とさず踊りに明け暮れた。
早生まれの眞子だが翌夏にはクラッセンのサマープログラムに参加できる15歳になっているのだから、12月の審査にむけての書類やビデオを用意しなくては…そう思っていたのだが、夏休みがきて同級生たちが次々に部活を引退して受験勉強に精を出す中、これまで通りクラスをこなすだけでも覚悟と根性が必要なのだった。
やはりクラッセンのサマープログラムに挑戦するのは高校生になってからでも遅くはない、と自分に言い聞かせ、この冬に応募するのは断念したのだった。




