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ずっとおぼえてる   作者: ことり あきこ
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プロローグ 東京 2015年3月 ②

 眞子は後日メールで改めて、今回だけでも是非一緒に出席してほしい旨を再度夫に伝えたが、何の反応もないまま卒業式当日を迎えた。


 夫が娘に

「すごいね!卒業生代表~~~!? パパが答辞の下書き見てあげようかー」

 と調子のよいことを言って断られているところは目撃したが、出席できない事情を説明する現場は目撃できなかった。


 会社を休む、あるいは遅刻さえできない大事な仕事があるのなら、

「残念だけどこの日はどうしても抜けられない仕事があるからごめんね」

 くらいは言ってもよいのではないか。

 



 一人娘の成長を一緒に見守る人がいない孤独を、眞子は何年も味わってきた。


 喜ばしい瞬間もだが、面倒なことには殊更に無関心な夫の態度に、眞子はこれまでもずっと傷ついてきた。


 たとえば娘(あるいは妻)が病気になろうが、就寝時間になればさっさと一人ぐっすり眠り、朝になれば会社へ行く夫は、「仕事だから」看病などしていられないし睡眠をとらないと翌日の仕事に影響するから仕方ないでしょう僕は働いているのだから、といった理念に支えられ、「どう?」とか「大丈夫?」すら言わない。


 自分が思う自分の役割さえ果たせば、心も痛めず悩まされず、もりもり食べてぐっすり眠れる健康優良中年。


 彼の哲学では、思いやったり他者の心情に寄り添ったりなどという「偽善的でナンセンス」(と、はっきり夫が言ったのを眞子は死ぬまで忘れない)な言動をとる必要はないのである。


 夫は基本的には温厚だし、家事育児ではからっきし頼りにならないが、嫌がらずにゴミを出してくれるし車を出してくれるし、それに金を出してくれる。


 夫の稼ぎで娘は大学付属の私立校で水準の高い教育を快適な環境で受け、夫の会社の健康保険があるおかげで妻と子供は安心して病院にかかれるのだから「文句ないでしょう、これ以上ぼくにどうしてほしいの?」と夫が実際に言ったのか、数々の言動を要約するとそういうことだと眞子が悟ったのだったか、今ではもう思い出せなくなって久しい。


 眞子に、たとえば、健在で未だに眞子を気にかけてくれる両親がいて、親友のような姉妹兄弟がいて、それとは別に親友がいて、幼なじみがいて、あるいは姉妹のように育ったいとこなどがいて、いや親代わりのような親戚の、親戚でさえなく近所のおばちゃんでもいいから、このようなやり場のない気持ちを話せる相手がいたら、しょせん男など鈍感で無神経な生き物だとわりきって、笑っていられたのかもしれない。


 夫しかいない自分が、夫に何もかもを求めてしまうのが満たされない原因なのだとすると、結局うまくいかないのも幸せを感じられないのも、何もかも自分のせいなのかもしれない。


 頭の中で自虐的方向に発展した思考は加速する。


「孫をこの手で抱くのが今の私の夢です」


 そう手記に書き残して死んでいった自分の母親がまだ生きていたら、この卒業式にも喜んで出席しただろう、と。


 料理好きで古風だったお母さんなら、はりきって赤飯を炊いてくれたりしたかもしれない…


 そんな愛情に支えられていれば自分も今朝、仕事に出かけていく夫をもう少し優しい声で見送れていたのではないか。


 そう夢想しながらも、生きていれば80歳近くになっている母親は、今頃介護が必要だったり人格が変わってしまっていたかもしれないのだ、ということもわかっている。

 

 すでに亡くなってしまった眞子の両親とはちがい、夫の両親は神奈川で悠悠自適ゆうゆうじてきに暮らしていて、葵の誕生日やクリスマスや卒入学時には、欠かすことなく祝いの現金を気前よく郵便書留で送ってくれる。葵が小さかった頃は訪ねていくたびに

「葵ちゃんはアレルギーがあるから何作っていいかわからないのよー」

 と言っては高級そうな店に連れていってくれたものだが、

「なんでも食べたいものを」

 と言われても、食べたいものというより食べられるものを店の支配人と、時には料理長まで引きずり出して検討せねばならず、店によって親切で協力的な場合もあるが責任逃れしか頭にないような対応をされることもあり、気疲れして帰宅するということがくり返されたあげく、中学受験の塾通いで忙しくなってからは訪問することもなくなってしまった。


 今では節目ふしめごとに律儀りちぎ羽振はぶりよく送られてくる郵便書留と、こちらからは夫が「早期割引!」とか「早得」とか書かれたカタログでやっつけ仕事のようにまとめて選ぶ「父の日母の日ギフト」で、なんとかお互いが

「お気遣いありがとうございました」

 と電話をかけあうのが唯一の交流だ。


 つまり、朝早くから混雑した電車を乗り継いで卒業式にきてもらえるような関係ではないのである。


 さびしいが、もし自分がもっとかわいげのある嫁だったら、夫の両親との関係もちがっていたかもしれない、という考えに行きついてしまう。 


 血を分けた家族にさえかわいがられなかった自分に、眞子は自信がもてない。


 堂々と答辞を読む葵の背中を見ながら、娘には健全に育まれている自己肯定感をそこなわずに生きていってほしいと願わずにはいられない。


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