京都 1984年4月~ ③
安全で快適な城だった2DKは、今や暗く冷たくうす汚れた牢屋のように眞子を孤独に閉じ込めている。
幸雄と2人暮らしになってから眞子は、朱美がいたときにも増して、
「お父さんが酔っ払って泣き崩れることなく、早く寝てくれますように」
と強く強く祈らなくてはならなかった。
そして転職した幸雄の仕事が夜勤になってからは、学校からの帰り道、
「お父さんがもう仕事にでかけた後ですように」
「家にいませんように」
と祈るようになった。
中学生になってからはしかし、毎日直接バレエスタジオに向かい、家に帰るのはとっくに幸雄が仕事に出た後なので、父親が非番でもないかぎり帰宅後に顔をあわせる心配もなくなり、祈る必要もなくなった。
幸雄が夜勤専門になってから2ヶ月ほど経ったころ、飼っていた文鳥が死んだ。
眞子が小学校を卒業する直前だった。
朝、つぼ巣の中で目を閉じたまま少し斜めになった姿勢で固まっているピーコを発見した眞子に幸雄は、
「もうピーコも年やったからなぁ」
と声をかけた。
そっと亡骸をつぼ巣から取り出し、川原の土を深く深く掘って埋めながら、眞子は一人で泣いた。
孤独と静けさに押しつぶされそうな夜、眞子は家中の照明とテレビをつけっぱなしにすることで、なんとか気をまぎらわせようとした。
常にうす暗く感じられる一人ぼっちの家は、電気をつけても十分に明るくなることはなく、もっと明るくなるはずだとくり返し引っぱった蛍光灯の紐はちぎれ、ちぎれたたまま今も眞子の部屋の中央にみすぼらしくぶらさがっている。
小さいころから眠りが浅く物音に敏感だった眞子だが、廊下で足音がしたり階下の部屋から話し声が漏れ聞こえると、うるさいと感じるよりもむしろ、この建物の中に他にも生活している人がいるという当り前のことに安堵した。
からっぽの父親の部屋からベランダに出ると、この錆びついた手すりをのりこえて飛び下りなくては、との、わけのわからない衝動にかられることがあった。
お母さんではなくて、自分が死ねばよかったのに。
眞子は頻繁にそう考えることがある。
母親が死んですぐの頃は、これは悪い夢だ、目をぎゅっとつぶって何も考えず眠ってしまえば朝がきて、母親がやさしく起こしてくれる、そう呪文のようにふとんの中でくり返していたが、そんなことは起こるはずがないことも知っていた。
初枝の死によって仕事を辞めたり転職したり、嘆き悲しんで荒れたり沈んだりする幸雄と朱実を見ているうちに眞子は、
「死んだのがお母さんでなく自分だったら、誰もこんなにダメージを受けずにすんでいたのに」
「わたしが死んでも、お父さんの生活もお姉ちゃんの人生も、変わらなくてすんだのに」
と考えるようになっていた。
死んだらどうなるのだろう。
何も、さびしさもかなしさも、感じなくなるのかな…
ベランダの柵に手をかけて見下ろすと、小さな頃は眼下に広がっていた田畑はいつの間にかマンションにかわってしまっている。
春になってもれんげの絨毯はもう見られないし、夏になってもカエルの合唱は聞こえない。
夜空だけは母親が生きていた頃とかわらず、まぬけなほどのんびりとした月が滲んで見える。
ベランダの柵に手をかけたまま、眞子は死ななくていい理由をさがしている。




