京都 1981年 ⑦
母親が死んだときに自らの申し出で仕事を辞め、平日の家事を引き受けた朱実だったが、交際相手の勤務状況に合わせて
「土曜の午後と日曜祝日は遊びにいかせてほしい」
と父親に交渉し、了承を得ることに成功していた。
初枝の生前は土曜日も夕方まで働いていた幸雄だが、会社に頼んで勤務時間を短くし、眞子が学校から帰るころに帰宅して、朱美を解放するという段取りが成立した。
「おなかすいたー。お昼ごはん今日何かなぁ」
「今日お母さんと新しい靴買いにいくねん!」
昼までしか授業のない土曜日の昼過ぎ、明るい表情の同級生たちに調子をあわせて教室を出るが、眞子の足取りは重い。
家に帰れば、めかしこんだ状態で待ち構えている朱美は、
「眞子ちゃん、おかえりー」
と、ふだんとは別人のように機嫌よく眞子を出迎えてくれるが、幸雄が仕事から帰るのを今か今かと待ちきれない様子で、玄関のドアが開くのと同時に立ち上がり、うきうきと自分を置いて家を飛び出していくのだ。
父親と二人きりの週末が、眞子は嫌で嫌でしかたなかったが、すんなり姉が出かけられない週末もまた憂鬱なのだった。
幸雄は帰宅途中にカップ酒などをひっかけてくることがあり、家に着くころには完全に酔っぱらっていることさえあった。
そんなとき、赤ら顔で目がすわった状態の幸雄は、
「朱実。今日はおまえ、家にいろっ」
と呂律も怪しく、しかし威厳だけは保っているつもりなのか威張り散らした口調で言いはなち、さっさとどこかへ出かけてしまうのだ。
すると、念入りに化粧をほどこし着飾った姿でつい先ほど
「眞子ちゃん、おかえりー」
と言ったときには笑っていた姉の目は見る見るうちに吊り上がり、すでに目の前から消えた父親の悪口を言いながら、玄関近くにある黒電話の受話器を取るのだった。
まず電話をかける相手は広子だったが、広子が留守だったり都合が悪い場合は、涼子や近所の人にまで手当たり次第に電話をかけた。
妹のあずけ先さえ見つかれば、電話をかける相手は誰でもよかった。
朱実は他人に頼るのがうまかった。
一回りも年の離れた眞子と頻繁に口喧嘩をするほど大人げのない朱実は、良く言えば無邪気で、年上の人にかわいがられた。
眞子とは正反対に社交的な朱実は家に一人でいるのが苦手だったため、平日は暇さえあれば近所の主婦たちにまざっておしゃべりしたり、小さな子供をあずかって感謝されたり、焼いたケーキをお裾分けしたりして、近所の人にも好かれていた。
そんな朱実が電話口で泣きつくと、
「まだ遊びたい年頃やのに」
「かわいそうに」
などと同情を集め、親戚にも近所の人にも
「眞子ちゃんはうちで見るからつれておいで」
と言ってもらえるのだった。
もともと酒好きだった幸雄だが、初枝が死んでからはどんどん酒量が増えていった。
土曜日の昼過ぎに帰宅した時点では酔っぱらっておらず、朱実が機嫌よく出かけられたときでも、遅かれ早かれ幸雄は泥酔し、死んだ妻を想って狼の遠吠えのような嗚咽をもらして眞子をおびえさせた。
眞子は朱実のように気軽に近所の人に頼ることができず、外で遊んでいる子供を見つけては一緒に時間をつぶし、皆が帰ってしまっても、遊具などに座ったまま時間をつぶした。
空腹になるとしかたなく家に帰って冷蔵庫や食器棚を漁り、テレビをつけっぱなしにして一日が終わるのを待った。
自分で沸かした風呂に入った後はパジャマに着替え、姉のもっていたアイドルのカセットテープを聴きながら、こっそりと姉の持ち物―――雑誌やピアスや古い定期入れを手に取ったり眺めたりして、あと1時間、30分、15分、7分、5分、と朱実の帰りを待った。
姉の門限であり自分の就寝時間である夜10時が近づくと、ふとんを敷いて横になり、耳を澄ませて姉の足音が聞こえるのを待つのだが、帰宅する姉のヒールが団地の廊下にカンカンと響くのは、総合庁舎の夜10時の鐘と見事なほどぴったり同時で、そのたびに眞子は姉の帰宅にほっと胸をなでおろしながらも、ああ、お姉ちゃんは一分一秒も家に早く帰りたくないのだな、としみじみ思った。
そしてそのとおり、一日も早く家を出て行きたい朱実は21歳の若さで結婚を決めた。
翌年の春には姉が家を出ていくと眞子が知ったのは、初枝の死んだ年の12月、クラスで仲間はずれにされる直前だった。
クリスマスパーティーを計画していたところに、眞子は母親の死後数ヶ月にわたってくすぶらせていた悲しみと怒りと不満と不公平感の火種を、尻相撲などでうっかり爆発させてしまったばかりに、クリスマス会はもちろん、翌月開かれるはずだったであろう自分の誕生日会への参加資格すら、失ってしまったのだった。
しかし眞子がグループから外されたのは、尻相撲事件だけが原因ではなかった。
眞子が言い出した誕生会ごっこだが、眞子の家はパーティー会場として候補に上がることさえなかったし、眞子には差し入れを持たせる親もいなかった。
そもそも表面的には優等生色の強いこのグループの女子たちは、宿題をやってこなかったり授業中ぼんやりしていたり忘れ物をしたりするようになった眞子を、異質な存在と見なし始めていたところだった。
ついでに言うと、グループの人数は奇数より偶数のほうがなにかと都合がよい。
眞子も昔(のように感じたがほんの数ヶ月前まで)は優等生だった。
学校から帰るとすぐに手を洗っておやつを食べ、宿題をすませるまでは遊びにいかないよう母親にしつけられていたし、それが苦でも不満でもなかった。
三年生までは全教科「たいへんよくできる」だった眞子の通知表が「ふつう」ばかりになっても、
「へ-え。眞子ちゃんて、勉強得意なんやと思ってたけど、そうでもないんや」
と朱実が言っただけで、担任も父親も誰も気にとめなかった。




