6話 留学生?
「ハイハ~~~イ。新学年最初のホームルーム始めるから各自席についてちょうだい♪」
教室の前方の引き戸がガラガラと音を立て、同時に妙に甲高い男の声が響き渡る。
「うげっ! 杉ちゃん!」
「あら、誰かしらん? 今『うげっ!』って言ったのは? 個人的に生活指導しちゃうわよ?」
ホームルーム開始を合図する鐘の音と共に教室に入ってきた人物──恐らくはこのクラスの担任を受け持つ事になった『オネェ言葉を当たり前のように使うイケメンの男性教師』──を見て、男子生徒一同は一斉に身構え、女子生徒からは歓声が上がる。
「ハイハ~~~イ♪ 今日から皆さんの担任を勤めることになりました小杉忠成よ。みんな一年間よろしくね♪」
自己紹介しながら黒板に、やたらに綺麗な字でカツカツと名前を書く。チョークを手にする時に手首を軽く回すあたり、いちいち仕草がオネェっぽい。
なんでも、本当は女装──勿論、化粧込み──で授業したかったらしいのだが保護者の手前、断念したのだとか。
名前の『忠成』が『ちゅうせい』と読めるので陰でそう呼んでいた男子生徒が生活指導室でチューされて忠誠を誓わされたとか噂もあり、男子生徒にとって『指導されたくない教師』のトップに君臨するお人である。
尚、その言動および仕草を除けば生徒思いで教え方も上手く、さらに見た目は二十代半ばのイケメンであるためか、女子生徒の人気はかなり高い。
この人が一年、俺達の担任なのか……。
二年C組の男子生徒全員がガックリと肩を落とした。
簡単なホームルームと校長の有り難くも長~~~~~~~~い話の始業式を終え、一同は再度教室に集まる。集まってまず、各自自己紹介をさせられることになった。
まあ、初めて顔を合わす連中も多いので少しでも顔を覚える機会があるのは有り難いが、残念なことに俺は他人の顔を覚えるのが苦手だった。
小杉先生の合図で出席番号順で男女交互に、それぞれ自己紹介する。
一人目の自己紹介が終わると、すぐさま市ヶ谷が立ち上がり壇上に上がる。その仕草にもキビキビとした姿勢が見え、市ヶ谷の隙の無さ、取っ付きにくさを助長しているようにも見える。実際、最初に自己紹介をしていた──浅間とか言った──男子生徒は、市ヶ谷とすれ違う際に、幾分恐れているかのように市ヶ谷から距離を取りつつ、席に戻っていた。
壇上に立つ市ヶ谷と眼が合う。視線が吸い込まれるような感覚にとらわれる。
だが、市ヶ谷は一旦視線を落としてから、ゆっくりと顔を上げ、自己紹介を始めた。
「市ヶ谷一花です。趣味は読書です。その……あまり自分を表現するのは得意ではないのですが、よろしくお願いいたします。」
簡潔で、飾り気の無い挨拶。その言葉通り、市ヶ谷自身を表現するにはほど遠い自己紹介。
それでも、市ヶ谷の自己紹介は何故か俺の心の中に残った。
やがて佳奈、その次に俺が壇上に立って自己紹介をする。普段、クラス中の視線を集める機会などそうそう無いので、やたらに緊張してしまう。正直、何を話したかあまり憶えていない。
クラスの半数が自己紹介を終えた頃、背の低い女の子が壇上に上がった。
「え? えええええええええええ?」
その女の子を見た瞬間、俺は自身を制御できずに大声を上げてしまった。お陰で小杉先生には注意されるし、クラスの皆には何事かという目で見られてしまう。佳奈だけは俺が驚いた理由を察し、それでも信じられないといった表情で俺の方を見た。
今、壇上に立っている少女は紛れもなくネシャート本人だった。
というか、俺も佳奈もなんで今まで気が付かなかったんだ? 普通は壇上から教室を見渡した時に気が付くだろう?
だがネシャートが座っていた座席を見て、気が付かなかった理由が判明する。
ネシャートの前の席のクラスメートは我がクラスでも随一の巨漢の女性だった。
ネシャートのヤツ……あの背後に隠れていたのか。
つか、ネシャートの位置からだと、黒板見えないんじゃね?
「ネシャート・ハービィと言います。日本にはまだ慣れていませんが、皆様よろしくお願いいたします」
海外からの留学生という触れ込みで、実に堂々とした態度で挨拶をしていると、本当にただの留学生に見えるから不思議である。かなり日本が流暢ではあるが、逆にそれが日本人には好感触のようだ。
小杉先生が嬉しそうに飛び級で高校に進学したアラブ系アメリカ人、などと無茶苦茶な補足説明をしているが、ネシャートの正体を知らないクラスメートは当たり前の様に受け入れている。
「あとは……そうそう、確か笠羽君の家にホームステイしているのよね?」
うえぇぇっ?
小杉先生がネシャートに、恐らくは確認するつもりでした質問が、クラスメートの視線を俺に一斉に向けることになった。
注目されるのに慣れていない俺は乾いた笑いを浮かべて適当に誤魔化す以外に対応方法が思いつかない。まあ、下手なことを口にしなければこれ以上好奇の目にさらされることも無いだろうと思っていたのだが……。
「はい! ご主人様の家にお世話になっております!」
なんですとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!
俺に向けられていた好奇の視線が、一気に悪意と軽蔑の眼差しに変わる。
「え? ちょっと、ご主人様って言ったの、聞き違いじゃ無いよね?」
「ホームステイってそういう関係なんだっけ?」
「そんな訳ないだろ……これって問題あるんじゃね?」
「え? でもあれじゃない? 笠羽君って、あの笠羽君だよね? 神成さんと付き合ってるんでしょ?」
「え? じゃあ浮気?」
「神成さん、あんなにスタイル良いのに……何が気に入らないんだ?」
「それってロリコンってやつ?」
「ええ? じゃあ神成さんはどうなるの?」
「神成さんがフリーになるなら、俺、アタックしてみようかな?」
うわぁぁぁぁぁ…………。
クラスのあちこちから下世話な話が聞こえてきて、かなりイラっとくる。あと俺と佳奈は付き合ってねぇよ。
ちなみに人をロリコン呼ばわりした日吉は後でシめることにする。
俺の斜め後ろに座っている──先程木嶋と名乗っていた女子生徒──が目の前の佳奈の肩を叩いて「是非聞きたいのだが……結局のところ、笠羽君とはどうなっているのだ?」などと聞いている。その笠羽君は貴女が話している相手の真横に座ってるんですがね。
そんな中、ツカツカとやや高めの靴音を鳴らして近づいてきた小杉先生は、目尻を引きつらせながら、うっすらと笑みを浮かべて俺を見下ろしている。
「笠羽君…………あとで生徒指導室に来て貰って良いかしら?」
この状況で、死刑宣告ともとれるその命令を、俺に拒否することは不可能だった。
■■■
うっはぁ…………参った。
結局事情説明とお説教を含め、一時間半は拘束されていた。
時間は午後二時にほど近く、かなり腹も減っている。
まあ、教師としては留学生がホームステイ先でご主人様と呼ぶよう教えられてるとしたら、詳細を聞き出し問題があれば対処せざるを得ないのは解る。
結局、日本語が不慣れで意味を取り違えていたとネシャートが証言したため、小杉先生も二度とそういった呼び方で男の人を呼ばないようにとネシャートを注意して、この場は納めてくれた。
お説教が想定より長かったのは、ネシャートが留学生であること、飛び級で高校二年生となったがまだ十三歳の女の子──ということにしたらしい。色々ツッコみたいことはあるが──であることや、日本語に疎いであろうと判断されたため、説明や確認に時間が掛かったことが主な理由だった。
まあ、ネシャートは留学生どころか魔人なのでその手の配慮は必要ない様に思うが……。
ただ、当のネシャートはかなり落ち込んでいる。
単に怒られた事にショックを受けているのではない。
俺に迷惑をかけた事が兎にも角にも許せないらしい。
その件については何度も気にしていないと言っているのだが、自分で納得しきれないのか、なかなか立ち直ってくれない。
少し時間を置いたらまた元気になってくれるだろうか。
何かで俺の役に立てたと思えるような事があれば、恐らくは立ち直るんだろうけど……。
まあ、まずは下校する事としよう。いつまでも学校に残ったままでは、気分が切りかわらないだろうし。よし決定。
生徒指導室を退室しようと引き戸を開けると、廊下には佳奈と市ヶ谷が待っていた。佳奈などはやたらに心配そうにしている。
その横で市ヶ谷は落ち着いて……あんまり落ち着いていなかった。というか俺が顔を見せた瞬間、慌てて落ち着こうとしたのだが、顔に表れた動揺を消せきれずにいる。
二人の姿を見た俺は、ホッとしたのか思わず笑みが溢れる。
「何で笑うんだよぅ」
「何で笑うのよ」
同時にツッコミ入れやがった。
なんかこの二人、気が合うのかなぁ。
外見的に似ている部分もあるが、性格的にはかなり違う。その筈なのに、こうしてみると姉妹みたいにも見えるから不思議だ。
性格が違う部分が多いから、逆に気が合うのだろうか?
そんな俺達を見て、落ち込んでいたネシャートも僅かに笑みを浮かべた。
さっきまでかなり落ち込んでいたからな……少しでも気が晴れてくれたのなら良いんだけど。
二人にはちょっと感謝だな。
「アラアラアラ……女の子を三人も心配させるような真似をするなんて、笠羽君も罪な男ねえ……将来が心配だわ」
「罪って……ちょっと、小杉先生、勘弁してくださいよ。そんなんじゃないですから」
小杉先生の意味深なツッコミに、反射的に反論してしまう。佳奈は幼い頃からの幼馴染みであるが故に兄妹みたいな感覚が強い。市ヶ谷は今日あったばかりでまだ相手のことを何も知らない。ネシャートに至っては人ですらないので特別な想いが生まれる筈も無い。
「そうなの?」
「そうですよ……それでは失礼いたします」
俺は話を中断すべく、早々に頭を下げて生徒指導室を退室する。
「気をつけて帰りなさいよ?」
小杉先生の気遣いの言葉を聴きながら、俺は引き戸をゆっくりと閉めた。
■■■
「コウちゃん……大丈夫……だった?」
下校中、佳奈が遠慮がちに聞いてくる。確かに結構な時間が経過しているので、心配するのも無理は無い。
まあ、お説教が長引いたというより、ネシャートの事を小杉先生が色々気にして話を聞いていたから、少し時間がかかっただけなのだが、細かい説明を佳奈にしていなかったため、少々勘違いしているようだ。
「ああ、俺は平気なんだが……」
俺は佳奈の誤解を正すため、指導室であったことを簡単に説明する。
そしてネシャートが落ち込んでいる原因も二人に説明した。
当のネシャートは俺の横で小さな肩を落とし、それなりに落ち込んでいるのが見て取れる。
といっても指導室にいた時ほどではないが、それでも普段の元気さを取り戻すのにはもう少し時間がかかりそうだった。
「ネシャートさん、大丈夫?」
項垂れたネシャートに、市ヶ谷が恐る恐る声を掛ける。
「今回の件で、色々な人に迷惑をかけてしまって……」
どうやら俺に迷惑をかけたことだけが原因ではないようだ。
落ち込んでいるもう一つの理由は、小杉先生にも迷惑というか余計な気を使わせてしまった事を恥じているらしい。
勿論、小杉先生としてはネシャートが間違った言葉を覚えてしまったが故に、何らかのトラブルに巻き込まれたりしないよう、ネシャートの身を案じて注意していたのだが、それがネシャートに取ってはかえって申し訳なかったようだ。
ネシャートは人間ではない。魔人だ。
その為、多少のトラブルなど物ともしないのだが、小杉先生はネシャートを少女として真剣に扱っていた。
それ故に、逆に申し訳ない気持ちになってしまったそうだ。
「まあさ……これからは『ご主人様』なんて呼ぶのは止めてくれよな?」
俺は慰めるようにネシャートの頭を軽く撫でた。
ネシャートは僅かに頬を染めて、驚いたように俺を見上げた。
やがて、暖かい日差しのような笑顔を見せる。
「解りました! 明日から『航一様』とお呼びいたしますね」
「いや、他のクラスメートと同じような呼び方してくれないか?」
間違いなくもっと変な勘違いされる。
そしてネタにされる。
実は、既に手遅れだった。
この日の事があってから、俺はクラスで「ご主人様」と呼ばれる事になった訳で……。
頼むから、俺をご主人様と呼ぶんじゃねぇ!
■■■
そう言えば……。
「ネシャートはどうやって転入してきたんだ?」
市ヶ谷と駅で別れた後、俺はとある疑問をネシャートに突きつけた。
そもそもネシャートは昨日ウチにきたばかりだ。編入試験も受けていないだろう。それともこれもネシャートの魔法なのだろうか?
「えっと……静香さんが『学校には話をつけた』って言ってましたが……」
何時!?
「なんでもコネがあるとか……」
どんな?
……つか、そんなコネがあるんだったら、去年俺が高校受験したときに使ってよ?
そもそもそんなコネもってるお袋は何者だよ? いつの間にそんなコネ作ってんの? 俺達家族って方々を転々としてたから、この街でのコネクションなんて持って無さそうなもんなんだけど?
尚、後でお袋にコネについて聞いたがはぐらかすだけであり、俺の望んだ回答を得ることはできなかった……。