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4話 日常と崩壊の予兆

 翌朝。


 まだ微睡みの中にいる俺は、何かの気配を感じて、次第に眠りが浅くなるのを感じていた。


「ご主人様……そろそろお目覚めになりませんと……」


 誰かの声。扉の開く音。朝の気配。それでも俺はまだ目を開けることができず、朦朧とした意識は目覚めには遠いと感じている。

 そんな中、もう一人の気配が言葉を発した。


「あ、ネシャートちゃん、おはよう!」

「おはようございます……って何を……?」

「何をって、コウちゃんを起こしに来たんだよ?」


 どうやら佳奈が来たらしいが、そんなことは頼んでねぇ……と夢現(ゆめうつつ)で抗議する。


「起こしに?……でも……」

「コレは私の役目だからね」

「役目って……別にオマエに起こされてないだろうが……」


 俺はまだ思うように開かない目を擦りながら状態を起こし、ぼやけた視界を二人に向けた。


「おはようございます。ご主人様」


 ネシャートが恭しく挨拶する。どうもこの『ご主人様』ってのには慣れない。


「ああ、おはよう」

「おはよう! コウちゃん! って、起こしてなかったっけ?」


 佳奈が不思議なものでも見るような目をして首を傾げる。


「部屋に入られたり、近寄られたりだけで俺が目を覚ますの知ってるだろう?」


 赤ん坊の頃からそういうところが俺にはあり、『寝付いたら近寄らない、近寄って目を覚ましたら、近寄った方が寝かしつける』というのが両親の鉄則だったらしい。周囲に最初から誰かが居る場合は普通に眠れるのだが、誰かが近づいて来た場合は、すぐに眠りが浅くなってしまうのだ。


「……あ! うん! そうだね!」


 ネシャートが何か言いたげにしているのと、佳奈の言葉に妙な歯切れの悪さを感じたが、寝起きの俺の頭では考えるだけ無駄と感じ、あっさりとスルーする。


「ほら、着替えるんだから二人とも外に出ろ」


 なにやら微妙な空気を醸し出す二人に退室を促すと、俺は壁に掛けてあった学校の制服に着替え始めた。



  ■■■



「それじゃ静香さん、行ってきます!」

「……ってきまー……」

「気をつけなさいよ~」


 ヤケにニヤニヤしているお袋の視線を背中に受けながら、俺は佳奈と学校に向かった。

 ちなみにネシャートはお袋に預けることになった。

 当初は当然のように一緒に着いて行くと言っていたのだが、流石に俺のことを『ご主人様』と呼ぶ、見た目小中学生を連れて行く訳にはいかない──下手をすれば停学、下手をしなくても生活指導は確実、むしろ生活指導教員が怖い──ので、何とか説得した上でお袋に預けたのだ。


 ……大人しくしていてくれれば良いのだが……。


 ただ、今のところは割と素直に言うことを聞いてくれる。

 コイツみたいな性格じゃ無くて良かった……俺は隣を歩く佳奈をちらりと見やる。

 佳奈は俺の視線を察したのか、こちらを見て笑うが、俺の考えていることまでは察していないようだった。


「折角引っ越しの無い新学期なのに、いつもより慌ただしかったねぇ」

「全くだな」


 佳奈の笑顔につられて俺も笑う。


 俺と佳奈はお互いに父親の仕事の都合で、大抵今の時期は新天地への引っ越しを繰り返していた。

 俺の親父と佳奈の親父さんが同じプロジェクトを進めている都合で、ここ十年ほどは笠羽家と神成家はワンセットで異動になっている。

 ただ、今年は親父たちが海外に転勤となったのだが、この先二年ほどは三ヶ月毎くらいにちょくちょく異動になるとのことなので、流石に慌ただしすぎることを理由にお袋が着いて行くことに反対した。


 正直、お袋が着いていくとか言い出さなくて良かった……。


 まあ、そんな事情から今年は珍しく転校せずに新学年の新学期を迎えている。

 ただ、佳奈の言う通り、昨日の騒ぎがあった為か、普段より慌ただしさを実感している。


「くあ……授業は明日からといえもう学校はじまるのかよ……」

「も~~。コウちゃんってば一昨日くらいからそればっかりじゃない。話題が少ないと女の子にモテないよ?」


 伸びをしながら全身から気怠さを辺り一帯にまき散らすと、佳奈は呆れたようにちょいと視線をそらしながら首を傾げる。


「うわ……おま、何気に悪意が見え隠れするような厳しいこと言うね」

「だって本当にそればっかり何だもの。いい加減その『新学期が憂鬱な男子高校生の設定』みたいになってる愚痴は聞き飽きたよう」

「設定じゃねぇよ? リアルに現実に男子高校生ですよっ!?」


 佳奈は俺の顔を覗き込み、いたずらっぽくクスリと笑う。


「知ってる。ちょっと子供っぽいけどね」


 ほっとけ。

 子供っぽくて悪かったな。

 まあ、こんな遣り取りが、俺と佳奈の日常なんだけどな。

 そんな俺達に、背後から声をかける人物がいた。


「おっはよう! お二人さん! 相変わらず朝からイチャイチャと羨ましいねぇ!」


 俺達が通う高校の最寄り駅から続く、長い坂道を下っていると、背後から軽いノリで声をかけられる。


「よう。日吉。久しぶり。」


聞き慣れた声に振り向くと、そこに去年のクラスメイト、日吉真明(ひよし まさあき)の姿があった。

 なお、後半の言葉は敢えてスルーする。


「日吉君、おはよー! え~? イチャイチャなんかしてないよう」

「距離が近くて暑苦しいなって思ったことは幾度もある」

「コウちゃんが酷い!」

「お前ら爆発しろ」


 俺と佳奈を羨ましげに見ていた日吉が、ふざけて蹴りを繰り出すのを、俺は大げさに躱して身を翻す。

 直後……。


 ドンッ!


「ひゃんっ」


 背中に軽い衝撃と小さな悲鳴。


「え? あ? わ、悪い!」


 しまった!

 蹴りをかわす際に周りの確認を怠った自分を恥じた。拍子に誰か──しかも女の子だ──に背中からぶつかってしまったらしい。


「ちょっと! 気を付けなさいよ!」


 振り向くと声の主は軽くスカートを払うと抗議の瞳を俺に向けた。

 眼鏡をかけた、そこそこ背の高い──恐らくは一七〇センチに近い──少女がそこにいた。

 ウチの高校の制服を着ており、佳奈に比べると少々起伏の控え目な胸元を隠すように揺れる大きめのリボンの色が同学年であることを示している。

 襟足で一つに纏められている、背中に達するほどの長さの髪が春風になびき、そのしなやかさが見てとれる。

 細い指が慣れた手つきで眼鏡の位置を正した。眼鏡越しの鋭さすら含んだ視線が印象的だった。

 知り合いでは無いが、その顔つきには僅かに見覚えがある。


「ちょっと……何とか言ったらどうなの?」

「ああ、悪ぃ……怪我とかしてないか?」


 一歩近寄ると、その少女は慌てたように一歩離れた。


 まあそうだよな。

 いきなりぶつかってきた男に警戒するのは当然だろう。

 男としてはちょっとショックだが。


「大丈夫よ。そんなに勢いよくぶつかった訳じゃないから」


 彼女は憮然とした表情のまま、近寄るなという意思を示すように掌を俺に向けた。


「ただ、今度からもう少し回りに気を配りなさいよね」


 それだけ告げると彼女は足早に立ち去った。


「どこかで会ったことある気がするんだが……誰だったっけ?」

「確か一年の時、E組のクラス委員長やってた女じゃねぇかな?」


 日吉が答えるが、何となくピンと来ない。そういう理由で記憶に残っている訳ではなさそうだ。同じ学校に通っているからたまたま記憶に残っていただけだろうか??


「元E組の市ヶ谷さんでしょ?確かにクラス委員長だったけど」


 市ヶ谷と言う名前はここ最近は聞いた覚えがない。やはり気のせいだったか……と言うか、何でお前らそんなこと知ってんの? 普通、他のクラスの委員長なんて知らないよ?


「あ……私はたまたま友達から聞いただけで、詳しく知ってるんじゃないよ……でも、全国模試で上位に名前が上がるし、結構有名だよ?」


 そんな俺の疑問を察したのか、佳奈が補足する。

 相変わらずこういう時の察しは良い。


「俺はたまたまその会話を盗み聞きしただけで、詳しく知って……」

「日吉。それ以上言うな。むしろ黙れ」

「つかさ、市ヶ谷さんってアレだよな」


 思いきり無視ですか、日吉君。


「なんつうか『サブヒロインの集大成』みたいな特徴持ってるよな?高身長。どちらかと言えば貧乳。地味な眼鏡。目付き悪い委員長キャラってさ」


 その意見に同意しろというのか。


「日吉君、人として男の子として命あるものとして最低だよ、それ」

「ああ、全くだ。いっぺん死んだ方が良い。生き返らなくて良いから」

「二人とも人間の情を無くしたんじゃないかってほど辛辣だ!」


 日吉が何を言おうが、今回ばかりは佳奈の意見に同意だった。

 俺と佳奈に冷たい視線を浴びせかけられて、ガックリしている日吉に同情の余地はない。

 あとあれは隠れているだけで言うほど貧乳じゃない。むしろ大きい。間違いない。俺の乳スカウターがそう反応している。


「んじゃ、コイツ置いて俺らは行くか?」

「あ、うん。待ってたら遅刻しちゃう」

「うぇぁ!? ちょ……二人とも置いていかないでくれよぅ!」


 日吉はガバッと顔をあげると、慌てて後を追いかけてきた。

 ……復活すんの早いなー。


 …………チリッ!


 何だ?

 今まで感じたことの無い違和感が首筋を刺激し、俺は感覚に任せて背後に振り向いた。

 見れば佳奈も怪訝な顔をして、同じ方に目を向けていた。


「あれ? 二人ともどうした?」


 待っているものと思ったのか、足早に追い付いてきた日吉が、自分の方に視線を向けていない俺達を見て、当然の疑問を口にした。


「いや……誰かに見られてた気がして……」

「……うん、そこに誰かがいたのは見えたんだけど……」


 そこまでは確認できなかった。佳奈の方が先に気が付いたからこそ、俺も背後を見たのかもと推測する。


「神成さんのファンとかじゃあないのかな?」

「そう言うんじゃないような……コウちゃんの方を見てた気がするし……」

「だからこそ笠羽を見てるって可能性も……」

「…………つか、コイツにファンなんているのか?」


 反射的に佳奈を指差す。


「それに気が付かない笠羽は幸福者ってことだ。爆発しろ。」


 日吉はおもいっきり呆れ顔をして「ほら、遅れんぞ」と軽く背中を押さされた。

 俺は──恐らくは佳奈も──それ以上考えても無駄と判断し、促されるまま再び歩きだした。



  ■■■



「クラスって言えばさ……今年、クラス替えあるのかな?」


 ポツッと気になっていたことを呟く。


「あるって聞いたよ」

「そうか……そうだよな……」


 何となく、慣れない感覚に捕らわれる。


「普通にあるだろ? 無い方が珍しい」


 日吉が何を言っているのかと言わんばかりの目を俺に向ける。


「俺にとってはクラス替えは珍しいんだよ」

「『私達にとっては』でしょ?」


 日吉は俺達の返答にキョトンとした顔をしたまま固まっている。

 まあ、これが普通の感覚じゃないことは分かってるよ。

 ただ、俺達の場合……。


「あ、そか。お前ら毎年クラスだけじゃなく、学校も変わってたんだっけ」

「そういうこと」


 日吉が妙に得心したように、そりゃあ仕方ないと一人ごちながら頷く。

 横合いから佳奈が何か言いたそうにニヤニヤして俺の顔を覗き込んでいる。


「心配しなくても、きっとまた同じクラスだよ! 私とコウちゃんの縁はクラス替えなんかで切れたりしないんだから!」

「そろそろ縁切れないかなぁ……」


 ぷち。


 何かが切れた音がした。多分、切れちゃいけない何かだ。俺の不用意な一言が致命的な何かを切った。


 ユラリ…………


「なん……だ……と?」


 佳奈が一時肩を落とすが、そのまま幽鬼のように首を傾げたまま顔を上げる。髪の毛が頬から口許にかかり、一層恐怖を掻き立てる。

 表情からは一切の感情が消えたように見えるが、瞳の奥には憤怒の炎が燃え盛っていた。

 やめてください。元が割と美人なだけに完全にホラーですマジで怖いです勘弁してください。


「ごめんなさい」


 恐怖に負け、即謝罪する俺。


「うむ、なら宜しい」


 一瞬で笑顔になって、即許す佳奈。


「笠羽、弱っ! あと蒸発しろ!」


 泣きそうな顔をして、即ツッコむ日吉。

 仕方ねぇだろ? こう見えても佳奈は本気で怒ると怖ぇんだよ。


「一緒のクラスがいいよね?」


 改めて確認してくる。


「そうだな……まあ、今まで別のクラスになったことも無いし、そうなったら違和感あるだろうな」


 不思議なことに、二人一緒に転校していて今まで別々のクラスになった試しが無い。転校の多い俺達を気遣って、親父たちが何か根回しでもしていたのだろうか?


「どうしたの? 突然虚空を見つめて? 何か見えちゃいけないものでも見てる?」

「あ? 何でもねぇよ」


 勝手に人を見える人にするな。


 ごく普通の日常。

 昨日あたりから急激に非日常に突入しているせいか、今この一瞬が凄く特殊なものに思える。

 いや……今まで気がつかなかっただけで、本当は特殊なものだったのかも知れない。

 ふと、そんな考えが頭をよぎったが、すぐに脳裏から消えた。


 この時の俺は知らなかった。

 この日常が危ういバランスの上に作られた物であることを。

 もうすぐ、この日常が壊れてしまうことも。



  ■■■



 くるくると日傘が回る。

 楽しそうに。

 嬉しそうに。

 くるくると日傘が回る。

 それは漆黒の日傘。影の色をした日傘。

 それを持つ少女のドレスも影の如く黒いドレス。

 その少女はくるくると日傘を回し、くるくると踊っていた。

 闇色の髪の毛をひらめかせ、くるくると踊っていた。

 くるくると良く回る真っ赤な瞳で、全身真っ黒の少女が、唇と瞳だけは真っ赤な少女が、遙か彼方の航一達を見ていた。

 遙か高みから、航一達を見下ろしていた。

 少女が立つは送電線の鉄塔の上。

 殆ど足場の無いその鉄塔の頂点でくるくると狂った踊りを踊っていた。

 踊りながら航一達を見下ろして見下していた。


「あらあら、ご主人様の目的を確認しに来ただけなんだけど、面白そうな人がいるわね。」


 そう言って、少女は踊るのを止めて目を細め、前方を注視した。

 そして何かに気が付いたのか、恍惚とした表情を浮かべ、自身を抱きしめるように両腕を回すと、そのままブルブルと震えて軽くのけぞった。


「ああ! なんて素敵なの!? なんて素敵な魔力なの!? 凄いわ! あんな凄い魔力は見たことがない! 欲しい! 欲しいわ! だから必ず私の物にしてみせるわ!」


 ブルブルと震えながら、もう立っていられないかのように鉄塔の上でしゃがみ込む。

 それでも恍惚とした視線を航一達に向けたまま、食い入る様に見つめ続けている。


「でもこのままじゃ美味しくないわねぇ……どうしたら美味しくなるのかしら?」


 邪悪な笑みを浮かべ、少女は思案する。

 どうしたら、あの魔力を自分の物にできるのだろう。

 どうしたら、あの魔力の持ち主を自分の虜にできるのだろう。


 少女はゆっくりと立ち上がり、再び踊りだす。


「そうね。絶望させましょう。絶望したら、きっと美味しくなるわね」


 狂った踊りを踊りながら、くるりと反り返って航一達をみて、狂った笑みを浮かべて、忽然と少女は消えた。



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