30話 捨て身の逆襲
ネシャートが航一達を守るように、航一達とアワリティアの直線上に立って構える。
契約上だけの話をすれば、ネシャートにとって航一は守るべき対象ではない。実際のところ、
ネシャートが航一を守るためだけに力を振るえる訳ではなかった。ただ、市ヶ谷と木嶋を守ることを拡大解釈し、《二人が悲しい思いをしないように守る》ことも願いの一つとして捉え、その為に力を使うという手段をとったに過ぎない。
だが、それでも以前の自分では考えられないほどの柔軟な対応だと、ネシャート自身も思っていた。
そして、それはどこか心地よかった。
対して、アワリティアは予想のしていなかった事態に陥り、なんとかして現状の打開を試みようとしていた。
そもそもアワリティアの《魔人としての格》は《装備品の魔人》であり第三位の格付けになる。かつて生まれ落ちた魔人の九割近くがその下、《装飾品の魔人》であることを考えれば大抵の魔人には遅れをとらないのだが、ネシャートはよりにもよって第二位の格付けである《調度品の魔人》である。正面から戦いになった場合、アワリティアに勝ち目は無い。
だが、アワリティアは法則に縛られない《マリシアス》である。
契約者が望んだ願い以外に力を使えない《ジーニー》が相手であれば、たとえ格上であろうと早々負けることは無いと踏んでいたし、実際先ほどまではアワリティアが圧倒的に有利だった。
アワリティアにとっては格上の《ジーニー》よりも、利害関係から敵対すことになった同族の方が余程警戒すべき相手と、そう認識していたのだ。
しかし、眼の前の《ジーニー》は遙かに危険な存在となっていた。
魔人の願いを叶えようとする契約者。その存在によってある程度自在に力を振るうことを許された《ジーニー》。それは完全に予想の外側の存在だった。
大体なんだ、その《魔人の為に祈る人間》の存在とは。
そんな人間が本当にいるのだろうか。
否。
いるはずが無い。存在したとしてもそれを認めない。認めるわけにはいかない。そんな存在に望まれて法則から脱却した《ジーニー》などもっと認める訳にはいかない。
その二つの存在を否定しなければならない。
消し去らなければならない。
アワリティアはそう決断し、同時に静かに覚悟を決め、顔を上げた。
そんなアワリティアを見て、ネシャートは――いや、市ヶ谷と木嶋も違和感を覚えた。
何故なら、アワリティアは笑っていた。
どこか歪に。
どこか諦めのようなものを滲ませた微笑み。
希望や喜びからはほど遠いその笑みは、魔人だからこそ作れる表情なのだろうか。
その場にいた者が感じた違和感は、次の瞬間に予想しない展開となった。
「いいわ……じゃあ、今度こそ全力を出してあげる」
アワリティアは歪な笑みを浮かべたままそう言うと、今なお崩れ落ちたままの山野に向かって腕を伸ばす。直後、山野は吊り手を引っ張られたマリオネットの如く、瞬時にしてアワリティアの元まで移動する。
「ぐ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああががががああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
項垂れていただけの山野が突然絶叫を上げ、アワリティアの腕の中でビクビクと痙攣する。
見開かれた眼は血走り、顔中の血管が膨れ上がり、熟れすぎた果実の様に顔面を赤黒く変色させて苦痛にのたうちまわる山野を見ていられず、市ヶ谷と木嶋は思わず眼を逸らす。
聞いているだけで痛みを共有してしまいそうな……いや、死に至るかと感じてしまうほどの叫びに恐怖し、その声を聞くまいと両耳を覆うが、その悲鳴は二人の脳に突き刺さらんばかりに響いた。
「なッ……貴女は何をッ!」
「簡単な話よ。この子に預けてあった《神の工芸品》を返して貰うのよ」
そう言ったアワリティアの言葉を、その場にいる誰もが――ネシャートすら正しく理解していなかった。何が起きているのかすら、把握している者はいなかった。
苦痛の叫びを発しながら、背骨が折れんばかりに仰け反る山野の胸――心臓のあたりから突然鮮血が迸る。
飛沫となった血液の一部がアワリティアの顔を濡らす。
それまで歪な笑みを浮かべていたアワリティアの顔が、今度は明らかに悦びを湛えた邪悪な笑みへと変貌する。
その胸から突き出したのは血塗れとなった一本の剣だった。
「フフ……アハハハ……ハハハ…………アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
苦痛と失血によりビクビクと痙攣する山野を投げ捨てると、剣を握って笑うアワリティア。
何故そこまで笑えるのか理解できない者にとって、その姿は狂気以外のなにものでもない。
まさしく狂喜。
返して貰うなんて生易しいものじゃない。
明らかな強奪。または徴発といった方がふさわしい。
そして、その光景から眼を逸らしながら浮かび上がる疑問。
「何故、私の《神の工芸品》がこの子の体内にあったのか……それが不思議なんでしょう?」
市ヶ谷達の思考を読んだかのように、アワリティアは逆に問いかけた。
「ジーニーには分からないわよねぇ」
そう言ったアワリティアの挑発的な視線をうけ、ネシャートはまさかと思い至る。
「あ、貴女は……契約者を生贄にッ!?」
そう指摘され、アワリティアはにやりといやらしく口角を上げた。
「せいか~い。意外ねぇ、ジーニーがそれに思い至るなんて」
生贄という言葉を聞いて、小さな悲鳴を上げて木嶋が両肩を抱くようにして震える。
古来より人々は神や悪魔と契約する際、生贄を捧げてきた。そうやって代償を払うことで、より大きな力を授かれると信じられていた。
悪魔召喚にて願いを叶え貰う場合、魂が代償になる話など、枚挙にいとまがない。
だが、この生贄はそれらより遙かに独善的で悪徳に満ちたものだった。
「貴女は契約の際に命を代償に求めたのですかッ!」
「だって、願いが叶えば命なんて惜しくないとか言うんだもの。そんなに安い命なんか貰ったって良いじゃ無い。だったらこの子の体内にあるすべての魔力を余すところなく私の《神の工芸品》に蓄えたって構わないでしょう?」
アワリティアに人の命を奪うことに罪の意識は無い。
誰かが捨てようとした雑誌を「いらないなら貰っていくわ」くらいの感覚で他人の命を貰っていくのだ。
どうせ無くなる命なら、すべて自分の魔力にしてしまった方が遙かに有効活用できると、そんな風に思っていた。
その無自覚の悪意にネシャートは強い反発を覚えた。
そんなネシャートの激情など一切気にせず、アワリティアは言葉を続けた。
「もっとも、これっぽっちの魔力じゃ第二位の格付けであるアンタには敵わないんだけどね」
その通りだ。
アワリティアは元々、山野から吸い上げられるだけの魔力を――それこそ、人格に異常をきたすレベルで吸い上げいていた。
そんあ状態の山野から――命そのものを魔力に変換するとは言え――ネシャートに勝てるほど膨大な魔力を賄える道理がない。
結界の維持もままならない、魔力の供給源も無いアワリティアに対し、死に瀕したとは言え現在はその危機を脱した航一の魔力を貰い続けているネシャートの方が、圧倒的優位に立っているはずだ。
だが、そのことに対してアワリティアに焦りの様なものは感じられなかった。
むしろ、ある種の覚悟を決めたような、そんな雰囲気を感じ取れた。
アワリティアは自身の《神の工芸品》である剣を愛おしく抱きしめた、
「ああ、そうよ。初めからこうすれば良かったのよ」
そう言うと、アワリティアの腕の中で、《神の工芸品》が甲高い金属音をたてて砕け散った。
瞬く間に砕けた破片がさらに散り散りとなり、光の粒子となる。
その粒子を、アワリティアは全身に取り込んだ。
ドグンッ!
「キャアッ!」
「がッ!」
巨大な鼓動のような音が響くと、アワリティアから津波のごとき魔力の圧力が放出される。
木嶋がその圧力に突き飛ばされたかの様に倒れ、地面に座り込み航一を抱きしめていた市ヶ谷も航一ごと数メートル転がされる。
アワリティアの行為に、信じられないと言った様子でネシャートの両目が驚愕に見開かれる。
「あ……貴女は一体何をッ! そんなことをしたらッ!」
魔人にとって最も大切な存在である自らの《神の工芸品》。
確かに魔人にとって最も身近で最も魔力を蓄えているのが《神の工芸品》だが、それを失うということは依り代を失うことと同義。
一時的に強大な力を得るとしても、《神の工芸品》の中に戻って魔力の消費を抑えることすら不可能になる。
それどころかこの状態で魔力を失えば、その魔人は完全に消滅する。
それは本人にとって自殺に等しい行為のはず。
なのに、アワリティアは自身の《神の工芸品》すら己の魔力に変換してしまった。その為だけに山野の体内から《神の工芸品》を取り出したのだ。
「そんなことをしたら貴女は……」
「消滅する? そうね、このままだったらいずれ消滅するわね」
アワリティアはゆらりと軽く首を捻って、感情の消えた瞳でネシャートを見る。
「でも、アンタの《神の工芸品》を奪えば何も問題無いじゃない?」
ドンッ! と頭上から空気の塊のようなものに押しつけられ、アワリティア以外の全員がその場に倒れ伏す。
ネシャートですら圧力に耐えられず膝を突いた。
それはつまり、アワリティアの結界が再強化されたことを意味した。いや、最初より遙かに強固な結界となったのか、伏したネシャートは立ち上がることもできない。
「グッ!」
「「ネシャートちゃんッ!」」
うめき声を上げるネシャートを案じて声を上げる市ヶ谷と木嶋。
しかし、強大な圧力を前に首をネシャートの方に回すこともできない。
「そんなことが……出来ると……?」
「あり得ない?」
「あり得るはずが……ありません。《神の工芸品》は魔人ごとに適性があって…………魔人なら誰にでも使えるものじゃ……まして『格』が異なれば……」
「そう、確かにその通りよ。適性と『格』それによって宿れる《神の工芸品》が何になるか決まる。でもね……その適性と『格』が全てって訳でもないのよ。実際、他のジーニーの《神の工芸品》を奪って消滅を免れたマリシアスもいるんだから。確率は……まあ、他に成功例を聞かないくらいには失敗した例の方が多いんだけど」
「そんなことが……」
「アンタに負けたらいずれにせよ私は消滅する。だったら少しでも確率の高い方を選ぶのは、当然じゃなくって?」
アワリティアは話しながらネシャートに近づくと、膝を突いたままのネシャートを全力で蹴り飛ばす。
「ガッ……ガハッ!」
ひとしきり地面を転がった後、体を支えられずにネシャートは倒れ伏す。
アワリティアはネシャートを上から踏みつけると、満足そうにニンマリといやらしい笑みを浮かべる。
「じゃあ、アンタからまずは潰してあげるわ」
市ヶ谷と木嶋は、それを見るだけで何も出来ない無力さをまざまざと思い知らされている。
「ゴフッ!」
さらに、市ヶ谷に追い打ちをかけるように航一が咳き込んで血を吐いた。視線を動かすと航一のあちこちにある傷から再度出血が始まっていた。
小康状態を保っていたはずの航一の体温がどんどん下がっていく。
抱きしめた航一が急激に冷たくなっていく。
「嘘……なんで? なんでなの?」
「私の方が力関係で上になったのだから当たり前でしょう? もっとも、今度は例え懇願されたとしても助けてあげないわ。そのまま『コウちゃん』が死ぬのを黙って見てなさい」
再度弱っていく航一。顔色が見る間に土気色になっていく。
「嫌……嫌……」
「あは……アハハハハハハハッ! いい気味よ! いい気味だわッ! 私にここまでのことをした報いを受けなさいッ!」
市ヶ谷は強まる圧力の中、泣きながら辛うじて航一の頭を抱きかかえる。
抱きしめた両手から航一の《死の実感》が伝わってくる。
それまで必死に我慢していたのに、ついにこらえきれず市ヶ谷の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。泣くまいと思っていた分、一度抑えきれなくなると、歯止めがきかなかった。
木嶋も顔を歪めるようにして、涙を堪えていたが、目頭に溜まったものは隠しようがなかった。
「嘘……嘘よ……」
もう、航一は助からない。
市ヶ谷のなかで、一番考えたくない予想が確信に変わった。
「ゴメンね……ゴメンね、コウちゃん。助けられなくて、ゴメンね……」
思わず口から漏れた謝罪。言いたいことはそんな言葉では無かったが、謝罪以外何も思いつかない。
もう一つ思いついた言葉は……。
「もっと……もっと一緒に生きたかったよ」
懇願。
決して叶わないと感じてしまった願い。
それでも叶えたい願いが市ヶ谷の口から漏れた。
だが、その願いを叶えられる筈の少女は、今は身動き一つ取れない。
「うふふっふふふふふッ! そうよ、もっと悲しみなさいッ! もっと泣き叫びなさいッ! もっとあたしに絶望を見せなさいッ! そんなものじゃ足りないわッ! そんなものじゃ釣り合わないわッ! 私にここまでさせた代償をもっと私に見せなさいッ! もっとッ! もっとッ! もっとッ! もっとッ! もっとッ! もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとッ!」
勝ち誇ったアワリティアの罵倒が周囲に満ちる。
木嶋もネシャートも、呆然とそれを見るしかできない。
「うッ……うぅッ……うあぁぁぁぁ……」
市ヶ谷の両目から、止めどなく涙が溢れて落ちる。
引き換えに声は嗚咽しか漏れない。
『死なないで』と航一に言いたいが、それすら嗚咽に消えていく。
「そして、失意の内に死ぬが良いわ……」
言い返すことができるものは誰もいない。
そんな中、次第に弱弱しくなっていく航一を市ヶ谷は抱きしめ続けた。
――ゴメンね私、最後まで守られてばかりで。
市ヶ谷は必死に航一を掻き抱く。
――本当……ごめん。本当は助けたいよ。
心の中でそう呟いて、航一の顔を引き寄せる。そして僅かに残った力のすべてを使って、市ヶ谷は航一の唇に自分の唇を重ねた。
「…………大好き……」
最後にそう言った。
ネシャート「え?」
作者「…………」
ネシャート「見せ場、短くないですか?」
作者「……ごめん、ホントごめん」
佳奈「それよりッ!! メインヒロインとして先越されちゃいけない一線を市ヶ谷さんに先越されてるッ!!」
作者「それは仕方ない」
佳奈「なんでよッ!?」




