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23話 市ヶ谷の想い

エタったと思いましたか?

作者は思ってました(オイ

いや、本当に、まさか去年の5月とかそのあたりで止まった作品の続きをよく書く気になったなぁと、われながら思います。

もし、待っていてくれた方がいましたら、お待たせしてしまい申し訳ありません。

 この日、俺は市ヶ谷を家まで送ることにした。

 ネシャートが市ヶ谷を護っているなら俺が一緒に居る必要はないのだが、市ヶ谷のどこか寂しげな雰囲気に、そのまま放っておくのも少々気が引けたのだ。

 ただお互い何か遠慮してしまっているのか、交わす言葉は少ない。暗闇を手探りで何かを探すかのようなギクシャクした会話が、時折交わされるだけだった。

 木嶋みたいにある意味ズケズケ……というか重い空気を吹き飛ばすような会話をしてくる相手がいないって言うのは、結構大きいもんだなと思う。いつの間にか、少しばかり妙な口調で話す少女の存在が俺たちの間で大きくなっていることに多少の驚きを覚える。

 まあ、その木嶋と先に連絡先を交換してしまったのが、この微妙な空気を作った理由でもあるのだが……。


 …………そうか、と突然思い至る。

 今までは佳奈がいたからだ。

 あいつが俺の周囲の空気を整えていたのだ。

 転校ばかり繰り返していた俺が、変に緊張することもなく周囲に溶け込めたのは俺の力じゃない。佳奈がいたから俺は当たり前のように他人と打ち解けていたのだ。

 今更ながら、佳奈の存在に大きく影響を受けていたのだと思い知らされる。

 同時に、その位置に木嶋が入りつつあることに焦燥と寂しさを覚え、いつしか右手で胸を押さえてた。


「? どうしたの?」


 そんな俺を心配そうに、少し腰をかがめた市ヶ谷が見上げた。


「なんて言うのかな……次第に佳奈がいない状況にも変化があって……それをどう捉えたらいいか、自分でも戸惑ってるというか……。以前ならこんな時、軽口で場を和ませてたのがアイツだったのにって……」


 こんなこと言われても佳奈のことを覚えていない市ヶ谷からしたら、返答に困るだけだろうに……と自嘲じみた苦笑が漏れる。

 そう頭では理解していても、俺は紡がれる言葉を止めることができなかった。

 そんな俺を、市ヶ谷は優しい目つきで見ている。

 まるで、俺がこうやって話すのを待っていたかのようだった。

 ネシャートは目を伏せて、俺の方を見てはいなかった。


「いや、ごめん。ネシャートを攻めてるんじゃないんだ……ただなんか、何時の間にか佳奈がいないことが日常になって……いや、俺の日常に周囲の日常が置き換わってるように感じて、それをどう自分の中で処理して良いのかわからないんだと思う。もしかしたら、俺は……」


 俺は佳奈のことを忘れるべきなんじゃないか……。

 そんな思いが、心の片隅に浮かんでしまう。

 そう口にしようとしたその時……。

 市ヶ谷はそっと俺に寄り添い、震える手で俺の服を掴んだ。

 そのまま顔を上げず、俺の肩に額を乗せた。


「ねえ……笠羽君」


 市ヶ谷の少し震えた手と声。

 しかし震えの中に感じた小さな圧力に、俺は文字通り気圧された。


「傍に居るのが私じゃ駄目なのかな? 佳奈さんのこと……忘れてしまうのは駄目なのかな?」


 まるで自分の心を見透かされたような言葉に、心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚える。

 少し前ならこの言葉に怒り出したかもしれない……が、今はそう自分が感じてしまった直後だけに、自らを責めたい気持ちの方が遙かに大きくなっていた。

 何より許せないのは、俺が市ヶ谷の言葉に甘えそうになったからだ。

 ぐらりと心が傾くほどの甘い誘惑に、一瞬でも忘れてしまっても良いのかもしれないと思ってしまった。

 そんな自分を自覚して、俺は気付きたくない事に気付かされた。

 日が経つにつれ次第に佳奈のことが頭から薄れているという事実。

 思い出の一つ一つが急激に掠れ、記憶の奥底に沈んで行っている事に俺は愕然とした。


 ダメだッ!

 忘れてしまってはダメだッ!

 俺しか佳奈を覚えていないのに、そんな俺が忘れてしまったら今度こそ佳奈がこの世界から消えてしまう。

 その恐怖に身体がブルブルと震える。

 何故ここまで恐怖に震えるのか。

 一瞬の疑問の後、すぐにその理由に思いつく。

 あのアルバムの写真。

 俺の知らない写真。

 佳奈の写っていない写真。

 俺が佳奈を忘れることは、あの写真を事実として認め俺が今まで信じた自分の過去、自分の十年を否定することだ。

 佳奈のことが記憶から消えたら、歯抜けの曖昧な記憶で埋め尽くされてしまう。

 それは俺が俺でなくなることに等しい。

 だけどそれだけじゃない。もっと単純な理由がある。

 俺はもう一度佳奈に会いたい。

 言ってしまえば佳奈に対する未練が、俺が佳奈を忘れてしまうことを極端に恐れさせているのだ。

 そして、俺はそれを享受することはできない。

 例え佳奈と会えなくなる日が来るとしても、忘れなければならない日が来るとしても、こんな終わり方では到底納得どころか妥協すらできない。

 一度強く目を閉じ、改めて市ヶ谷を見る。

 市ヶ谷は縋るような目で俺を見ていたが、うっすら動揺のようなものが垣間見えた。

 何だろう。市ヶ谷は自分じゃ駄目なのかと聞いてきたが、何かその言葉に対して答えを求めているような目に見えなかった。

 それどころか、このままで良いのかと訴えかけているようだった。

 そしてネシャートも。


「忘れたくないのでしょう?」


 そう言った。

 そうだ。忘れたくない。忘れる訳にはいかない。

 そしてそのことを、その想いを曖昧にしたままにしてもいけない。

 俺は市ヶ谷に正面から向き合う。


「そうだ。俺は佳奈を忘れたくない。忘れる訳にもいかない。本当は市ヶ谷にこんなことを言うべきではないのかもしれない。俺は『チカちゃん』を忘れていたんだから……それでも、もし俺の事を市ヶ谷しか覚えていない状態になったら、市ヶ谷には忘れてほしくない。そう思う。それにもし俺しか市ヶ谷を覚えていないような事態になったとき……」

「ごめんなさい……」


 市ヶ谷は俺の口元にそっと手を添えた。

 そんな市ヶ谷の行為にドキリと心臓が跳ねる。


「でも、その言い方はズルいよ……」


 少しだけ悲しげにそう言って市ヶ谷は手を下ろす。

 俯き気味に目を伏せたため市ヶ谷の表情は見えないが、どんな表情をしているのか創造に難くはなかった。


「ごめん、市ヶ谷……本当に……ごめん。忘れてて、ごめん」


 そうだ。

 俺は市ヶ谷に謝っても謝りきれない。

 市ヶ谷にとっては、きっと俺こそがそういう存在だった。

 市ヶ谷からしたら、昔親しかった『幼い頃の笠羽航一』は俺にとっての『消えてしまった神成佳奈』に等しい。

 また、ついこの間までの市ヶ谷一花は『俺が忘れた神成佳奈』に等しい存在でもあったはずだ。

 そんな市ヶ谷にとって、俺の今の言葉がどれほど酷い言葉なのか。

 それを分かった上で、俺はズルい言い方をしてしまった。

 それでも、俺が佳奈を忘れたくないという想いを伝えるには、こう言うしかなかった。

 本当に、謝っても許されることではないと思う。


「本当にごめん。もう二度と忘れないから。だから佳奈を忘れて欲しいとは、今は言わないでくれ」


 俺の服を掴む市ヶ谷の手が、より一層力を込めてくるのが分かる。そのまま、俺に身体を預けしがみついてくる。そのまま目を伏せて、何度も謝罪の言葉を口にしながら嗚咽を漏らした。

 こういう時、どうしたら良いのだろうか。

 思考が空回りして何をしたら良いのか、なんと声を掛ければ良いのか思いつかない。

 俺にしがみつく市ヶ谷の背中に両手を回してあげるべきかもしれないが、俺にその資格はあるのだろうか。そう考えてしまい行動に起こせない。

 そんな俺の行動を見かねたのか、そっとネシャートが俺の後ろに近寄って囁いた。


「もっと自分に素直になって良いと思います。自分の気持ちに素直に……『何かしてあげたい』と言う気持ちに従って良いと思います。」


 その言葉に、フッと心が軽くなる。

 そうか、俺がどうしたいかという気持ちが俺の思考から抜けてたのか。

 ネシャートに促されて、俺は震える市ヶ谷を少しでも慰めたいと思っていることに気付く。だったらその気持ちに従おう。

 そう決意して、まるで離れていた時を埋め合わせるように、その震える背中に腕を回した。

 背が高いことを気にしていた市ヶ谷のその背中は、思っていたよりずっと小さくて、いつも毅然としている市ヶ谷とは思えないほど頼りなく感じた。

 市ヶ谷が俺の胸に顔を埋めて泣いている間、ネシャートは黙って俺たちを見詰めていた。どこか嬉しそうに。どこか羨ましそうに。

 一頻ひとしきり泣いた後、市ヶ谷は俺から少し身を離してから真っ赤になった目に溜まった涙を拭いもせず、それでも笑みを浮かべて俺を見た。


「ごめんね。笠羽君……忘れてほしいってのは、私の我が儘だったよね。私にとっては『コウちゃん』がそういう存在だったのにね……」


 市ヶ谷が『コウちゃん』と俺を見て言ったのに、違和感をどうしても覚えてしまう。昔は市ヶ谷に……いや、『チカちゃん』に当たり前のようにそう呼ばれていた筈なのに、今となっては異質な感じが纏わり付いて離れない。そしてそう思ってしまうことに、申し訳ない気持ちになっていた。


「そんなにあからさまに嫌がらないでよ」


 市ヶ谷が悲しそうに呟く。


「あ……すまん……そんな嫌な顔をしたつもりはないんだが。ただ……ずっと俺のことをそう呼んでいたのが佳奈だったから」

「私が……そう呼ぶのは駄目なの?」


 もう俺は、昔みたいに市ヶ谷を「チカちゃん」とは呼べない。呼ぶことは出来ないし、そう呼んであげることが正しいこととは思えない。


 「ごめん……」


 俺はそう答えるしかなかった。

 市ヶ谷は俺に顔を見られたくないのか、背を向けた。そのままの姿勢で、何か声を出そうとしているのだろう短い呼吸音が繰り返し聞こえるが続く言葉が聞こえないまま十秒ほどの時間が経過する。その後、意を決したのか大きく息を吸い込み少し引きつったような声で言葉を紡いだ。


「……じゃあ、違う呼び方を考えないとね」

「今まで通り、名字で呼ぶのは駄目なのか?」

「それ以外の呼び方が良い……それじゃ、他のクラスメートと同じだもの」

「それ以外と言われてもなぁ……」


 市ヶ谷の唐突な要求に、俺は返答に詰まる。

 冗談めかして言っているようにも聞こえるが、冗談で済ませられそうにない。

 これは不器用な市ヶ谷の意思表明だろうから……。


「名前で呼んであげたらどうですか」

「えっ……いや、それは……まだ恥ずかしいというか……」


 佳奈のことを散々名前で呼び捨てにしてた手前、『流石に恋人でもないのに』などとうそぶくつもりはない。だがいきなり『一花』等と呼ぶことには躊躇してしまう。


「私としては、いつかそのくらい気安く呼んでくれると嬉しいな」

「あ、うん。善処します……」

「ホント? やった!」


 それまでの涙を振り払うように明るく微笑む市ヶ谷を見て、俺は心臓が跳ねるのを感じ、表向き平静を装うのに腐心することになった。

 理由は市ヶ谷と高校で出会って一度も見たことのない笑顔を見たから。その表情は、昔好きだった『チカちゃん』の面影を色濃く残していた。



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